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幸田露伴の随筆「潮待ち草42」

  四十二 魚

  鯉
 鯉は美しい魚である。第一にその姿が正しく、第二にその色が麗しい。形もいろいろある。まるくてスラリと長いのがあり、平らで幅が広く頭が小さいエビス鯉と云うのがある。何れも曲線の輪郭は見る眼もやさしく愛らしい。色は墨汁の中に金粉をまぜたようなものがあり、銀のように白みを佩びたものがあり、浅葱鯉と云って浅葱桜のように青みに見えるものがあり、紫鯉と云って黒の中に紫の艶がさす見事なものがあり、また緋鯉あり更紗鯉ありで、皆人を心地よくさせる。それなので、西洋の人が「川の女王」と称するのも尤もと云える。サテこの鯉はたいへん可笑しな性質があって、放卵の時に当っては、雌が甚だしく疲れるので雄はその傍に付き添って、水草などの生えた放卵の場所から、水の豊かな流れの緩い安全な深い場所へと、扶け付き添って行くと云う。このJanus dabraiasと云う人の観察に間違いがなければ、心までもが優しい魚である。
 追記。小野蘭山は、「形が大きく短くて、背中に筋が有るのをエビス鯉と云う」と記しているが、総べて魚本来の形に比べて少し詰って楕円なものをエビス何々と云う風習があって、エビス鯉、エビス鮒、エビス鰈(かれい)などは皆その例である。であれば、エビスはエビスでは無くて、いびつの訛かも知れない。思うに飯櫃(めしびつ)の形に擬(なぞら)えて云い始めた言葉ではないだろうか。

  鮒
 鮒はただ一匹で行くことは無く、居りもしないものである。魚の多くは皆、群れ遊ぶものであるが、特に鮒は必ず友と共に居るものである。それなので陸佃(りくでん)の説に、「鮒と云うのも相付く故であって、鯽(せき)と云うのも相付く故であると見える。夫婦は相依り附いて離れてはならないものなので、支那(中国)の古い礼式には婚姻の時に鮒を用いる定めさえある。」とある。今の気の強い男女などは、日頃から牛の肉などを好んで食らうせいか、夫を持ち妻を迎えた後に、ともすれば角(つの)を突き合わせることが多い。焼き鮒の味噌汁、ひら鮒のさしみ、雀焼き、鮒のすし、鮒の背越しと、飽くまで鮒を用いさせて鮒責めにするが善いのである。中の悪い夫婦も睦まじくなることであろう。

  鯤
 鯤(こん)と云うと人は直ちに「荘子」の逍遥遊編に、「北冥に魚あり、その名を鯤と為す。」とあるのを思い出して、大層大きな魚とするだろうが、しかし、列子や荘子以前には鯤を大魚と記したものは無い。魚の鮞(はらご・腹子・卵)が孵化して僅かに米粒ほどの大きさに成ったものを指して云うのである。極めて小さいものを極めて大きいもののように云うのは意(おもい)あっての戯れであろう。「淮南子」で釣りの上手な人の名を娟嬛(えんけん)と云うのも、娟嬛は即ち蜎蠉で魚が悦んで食うところの虫の名を借りて人の名のようにしたのではと疑える。蜎蠉は孑孑(ぼうふら)であって、孑孑を魚が好むことはよく人の知るところである。

  鱸
 魚は多く雷を悦ばないものである。しかし黒鯛などは、豪雨が銀矢のように降り、電光が紫龍のように閃き狂う時でも、なお能く水底でおもむろに餌を食う。鯖や鰯などの浮き魚はこれと違い特に雷を嫌って、たまたま自分等の居るところの近くに大雷が起きると、数里或いは数十里も遠くへ逃げ出すのが常である。鱸(すずき)は魚の中でも余りある勇気を持つ智の足りないものであるが、それでも雷を嫌うものと見える。出雲の国は天孫降臨の時から鱸については物語のある地であるが、今でも松江の湖(宍道湖?)には鱸が大層多い。その湖の鱸どもが十月の雷を聞く時は、それでなくても海に降(くだ)ろうとする頃なので、雷に堪えかねて争って海に入る。それなので、松江辺りでは十月の雷のことを鱸落としと云うと云う。鱸落としとは面白い言葉ではないか、和歌や俳句などにも取り入れられるべき語である。

  石斑魚
 東京の人はせいごを賞味して石斑魚(うぐい)を賞味しない。加賀(金沢)辺りの人は、石斑魚を賞味してせいごを賞味しない。実に加賀の鮬(せいご)の味は食うに堪えず、石斑魚はこれまた美味で食うによいと云う。桜うぐいと云って、桜の咲く頃のこの魚は、紅色をさして大層美しくなり、川底の好みの小石の場所に群れ留まって、しばらくはそこを立ち去らないで遊んで居ると云う。思うに放卵の時に美しくなって、遊び留まったりするのであろう。桜鯛、桜うぐい、紅葉鮒、みな美しい感じのする言葉である。
 追記。猶よく考えてみると東京のうぐいは加賀のとは異なるようである。

  泥鰌
 世の中には奇妙なことがあるものである。泥鰌の骨を少しも傷つけずに残し置いて、悉くその肉を除き取ることは誰も出来難いことであるが、博物学の標本として完全なものが必要とされて、或る人がどうにかして之を得たいと思い苦しんだ結果、蟋蟀(こおろぎ)が泥鰌を好んでむさぼり食うこと激しくて、泥鰌汁を食す家には蟋蟀が群がり集まると聞いて、試みに蟋蟀のむさぼり食うのに任せたところ、蟋蟀がどのようにしてむさぼり取ったものか、又どのような液などを吐きかけてソウしたものか、一夜にしてこれほど脆く細い泥鰌の骨を少しも傷つけずに美しく残して、その肉を少しも残すことなくむさぼり食ったことに驚嘆して、手を打って大いに悦んだと云う。猫が鼠を捕らえ、蛇が蚯蚓を食うようなことは、自分の命を繫ぎとめる技ではあろうが、蟋蟀と泥鰌はソモソモ何の因縁で、これほどにも蟋蟀が泥鰌をむさぼり食い尽くすのであろうか。このことは水産のことに造詣の深い鶴淵翁に聞いたのであるが、その後は秋の夜に蟋蟀の声を聞くたびに、今の蟋蟀は古の螽斯(きりぎりす)なので、彼の金玉の五句との噂がある、「鳴くや霜夜の小筵(さむしろ)に」の和歌を思い出すよりも、「アア、床下の蟋蟀よ、泥鰌恋しさにこんなに鳴くのかヨ」と思う時の方が遥かに多くなった。猫と鼠の仲のよくないことは和歌にも用いられようが、蟋蟀と泥鰌のことは可笑しいけれど、和歌には用いられ難いであろう。泥鰌の小さいものを柳葉泥鰌と云い、斑(ふ)のあるものを鷹の羽泥鰌と云う。泥鰌と云う音の響きは好ましくないが、柳葉泥鰌と云い鷹の羽泥鰌と云えば、和歌にも用いることのできる語である。尤も美しい色紙や短冊の上では、泥鰌のことなので跳ね回って見苦しいことであろうが。

注解
・金玉の五句:得難い和歌。
・鳴くや霜夜の小筵にの和歌:きりぎりす 鳴くやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねむ。・・・後京極摂政前太政大臣(百人一首)

  嘉魚
 いわなは渓(たに)の水中の岩の隙間に棲むことで、岩魚の名が付けられたものであろう。香魚(あゆ)の居るあたりよりも猶も川上に行くと、香魚は居ないで山女魚(やまめ)が居て、山女魚が居るあたりから猶もまた川上に行くと、山女魚は居ないで嘉魚(いわな)が棲んでいる。「稲も麦も食わず、鯛も香魚も食わず、稗と嘉魚だけを食うこと幾年も経った後に和歌を詠む人がいれば、その和歌は必ず心清く調べの高いものであろう」とある人が云ったが、傍(かたわ)らにいた人が大いに笑って、「心清く調べが高いか私は知らないが、その和歌の第四第五の句には、鯛が食いたい米が食いたいとありはしないか」と云ったと云う。それはとにかく、モシ嘉魚の精などが詠んだ和歌があれば、何としても聞きたいような心地がするのである。


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