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幸田露伴の随筆「潮待ち草8・9」

八 巣林子
 西鶴を無学のように云い、巣林(そうりん)を博学のように云うのは、小賢(こざか)しく他人の優劣を論じる者が常に話題にするところであるが、実のところそれは矮人観場(わいじんかんじょう)の談(だん)であろう。西鶴が俳諧の技を生計の糧(かて)としたことを、それでなくても自分を揚げて他人を貶(おとし)めようとする俳諧者たちの競争心からの口汚い嘲りをこうむって、オランダ流などと云われ文盲と云われ、またその死後には、西鶴と同様に草紙(そうし・読み物)を書く才能の劣る作者たちの嫉妬から、「牛膝(ごしつ)といのこづちとを別物と思うのは無学の証拠だ」などと些細な過失を指摘して攻撃され、甚だしくは「地獄巡り」など云う事なども作られたが、要するにこれ等は皆敗北した競争者の側から出た誹謗であって、荘子の云ういわゆる過悪の言(げん)である。であるのに、後世の者はこれを察することなく雷同して、西鶴の一二章さえ詳しく読み味わうことも出来ないくせに、黄色い嘴(くちばし)を差し出して無学呼ばわりするのは片腹痛いと云うべきで、このような輩はともすれば巣林をおそろしく博識な人のように云い触らすが、実に大笑いである。巣林はたまたま多くの競争者を生じるような道に携(たずさ)わらなかった。かつその弟子に近松半二を有し、その友に半二の父の穂積以貫を有し、そして大儒学者の伊藤東涯の門人で、かつ梵字の研究で知られた以貫に「難波土産」などの著作があることで、自然と巣林を博識であると思うようになったのである。西鶴や巣林が尊い理由は学識の有無に関係しないのでこれを論じる価値は無いが、学識に於いても必ずしも西鶴が巣林に及ばないことは無く、巣林もまた必ずしも西鶴に勝れているとは云えない。巣林の作品に出て来る仏教の事は、おそらく「法苑珠林」もしくは「大蔵一覧」や誰もが知っている有り触れたこと以外に無い。漢詩を取り入れたのも、思うに「朗詠円機活法」などの他には無いようである。巣林の世話浄瑠璃はたいてい民間の話に幾らかの作意を付け加えたものに過ぎないようで、またその時代浄瑠璃では謡曲と舞曲を父母としないものは少ない。どこに博学のところが認められよう。無暗に古人を比較することは愚かなことである。西鶴や巣林などは不世出の才人である。その人が真に博学であっても、博学がその人の価値を更に高めることは無い。その人が真に無学であっても、無学は却ってその人の誇りとなる。馬琴のようになるとそれも云えない。馬琴は能く勉め能く学び厭きることなく一生懸命励んだことで、僅かに博学多識の域に達することができて、胸中に在る万巻の書の知識から文章を編み出して、幾編かの優れた作品を作り出したのである。馬琴が博学で無ければ、思うに振鷺亭(しんろてい)にさえ劣ったことだろう。文学を楽しむ者は無暗に西鶴や巣林を目指してはいけない。ただまさに馬琴の困苦勉励したことを見習うべきである。

注解
・西鶴:井原西鶴、江戸時代の大阪の浮世草子や人形浄瑠璃の作者で俳諧師。
・矮人観場の談:背の低い人の観劇の話(能く見えないので前の人に聞いて知った話)、受け売り話、付和雷同の意見。
・牛膝といのこずち:イノコズチはヒユ科の多年草。茎の節が膨らんで、猪子の膝のように見えることを槌に見立てて名づけられている。乾燥した根は牛膝と呼ばれ薬用に用いられる。
・地獄巡り:西鶴が死後に地獄に堕ちて閻魔大王に俳句を教えたりしたという話。
・荘子:中国・戦国時代の思想家で『荘子』の著者。
・伊藤東涯:江戸時代中期の儒学者。儒学者伊藤仁斎の長男で古義堂の二代目。
・馬琴:滝沢馬琴、江戸時代後期の読み本作者。
・振鷺亭:本名は猪狩貞居、江戸時代の戯作者で浮世絵師。

九 入鹿
 古い事実や物語の類をそのままに新しく書き綴るのは、本(もと)づいて書くとか踏まえて書くと云うべきで、盗んだと云うべきではない。上田秋成の「雨月物語」の白峰の一夜の文章などは明らかに「撰集抄」に本づき、もしくは「撰集抄」を踏まえて書かれたもので、また芭蕉の「蠣(かき)よりは海苔をば老いの売りもせで」なども明らかに「山家集」の和歌に本づき、若しくはその和歌を踏まえて作られたものである。巣林の時代浄瑠璃は多く謡曲や舞曲の古いものに本づき、もしくは古いものを踏まえて作られたもので盗んだと云うべきものではない。ただ「百合若大臣野守鏡(ゆりわかだいじんのもりのかがみ)」の中の松ヶ枝と云う女が、偽盲(にせめくら)になって主君の仇である別府に近づく文章で、偽盲であることを覚られないようにと敢えて炉中に落ちることを書いたようなことは、実際にある舞曲の「入鹿」の中の、鎌足が偽盲になった為に吾が子が炉の中に落ちたことを知らなかったと云う話を、少し作り変えて使ったまでで、巣林と云えども古(いにしえ)の作品の着想を盗んで用いたと云う非難を免れるわけにはいかない。

注解
・上田秋成:江戸時代後期の読本作者。
・白峰の一夜:西行が讃岐(香川県)の白峰で、崇徳院の供養のために経を詠んでいると、崇徳院の亡霊が現われる場面。
・撰集抄:作者不詳の仏教説話集で、西行がモデルになっている。
・西行:西行法師、平安末期から鎌倉初期にかけての歌人。
・山家集:西行の和歌集。
・百合若大臣守鏡:近松門左衛門作の戯曲。
・入鹿:幸若舞曲の曲名、藤原鎌足による蘇我入鹿退治の物語。
・鎌足:藤原鎌足、飛鳥時代の貴族で政治家。藤原氏の始祖。


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