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幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話 月・霜」

 連歌はおもしろいものである。前の句と次の句が連なって、しかも各章は自然に流れて、句意が変わり言葉が変わっても、情景には通じ合うものがあり、彼より此れを生じ、甲より乙に行き、或いは直に行き、或いは横に流れて、転々と遷(うつ)り移って窮まることが無い。 
 この巻は私の庵の閑な折々に、取り止めない雑談を多少の因縁の糸の牽くに任せて、それこれと記したもので、題して聯話と云う。ただ古人の独吟や百韻のような勝れた味も無く勝れた趣も無いのは老人の戯れ仕事のためで、付けごころも分からない聯歌の、聾者の独り言のようであるのを愧じると云うべきか。
 
                        昭和十七年初冬
                             露伴

 

 「深川夜遊」唐辛子の巻、二の表第四句、

 ふし見あたりの古手屋の月

 芭蕉の句である。伏見は京都に近い里で誰でも知っているところである。古手屋は古着を売買する店で、旧解では「手」は青和幣(あおにきて)や白和幣の「て」の借り字で、荒たえ・白栲(しろたえ)の「たえ」の約字であるのは明らかで、疑うところは無い。或いは、手は品の意味であると云う。都を少し離れた伏見辺りの、次第に田舎めいたところの月を、古着屋の簾外(すだれはずれ)に見たのであろう。前句は、

 革足袋に地雪駄重き秋の霜

 酒堂(しゃどう)の句である。革足袋は談林の句に、「革足袋の音は紅葉踏み分けたり」などとある革足袋で、上等でない品であろう。温飛卿の「商山早行」の詩に、

 鶏声茅店月、人跡版橋霜、(鶏声茅店の月、人跡板橋の霜、)

 これを欧陽脩が感賞して、「これは梅聖兪の云うところの表しがたい状景で、目前に在るようだが表せない意(おもい)を、言外に見えるようにしたものである。」として、自身も「鳥声梅店雨、野色版橋春」の一聯を作ることになったと云う。古手屋の月も茅店の月も梅店の雨も詞のつながりは同じである。俳諧の味は梅店よりも古手屋の方が優れていよう。芭蕉の前に西山宗因がいる。宗因が出て貞門の庭を叩き破ったことで、芭蕉は芽を出し葉を伸ばしたのである。宗因に句があって云う。

 里人の渡り候か橋の霜

 日頃の宗因にも似ない、しっとりとした好い句であるが、見どころは里一字だけであろう。しかし、それによって早立ちの旅の情景を明らかに浮かびあがらせたのは、流石に芭蕉の先人である。

注解
・青和幣・白和幣:和幣は木の繊維で織った布のこと、麻で作った和幣は青みがかっているので青和幣、梶の木の樹皮などをもとにして作った和幣は白いので白和幣と云う。
・酒堂:濱田洒堂、芭蕉の近江地方の門人。
・談林:談林派、貞門俳諧の古風を嫌い、式目の簡略化をはかり、奇抜な着想・見立てと軽妙な言い回しを特色とした西山宗因を中心にする俳諧の一派。蕉風俳諧 の発生とともに衰退する。
・温飛卿:温庭筠、中国・唐の詩人。飛卿は字(あざま)(通称)。
・欧陽脩:中国・北宋の文学者で政治家。永叔は字。
・梅聖兪:梅堯臣、中国・北宋の詩人・聖兪は字。


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