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幸田露伴の随筆「古革籠⑤」

古革籠⑤

今昔物語と剣南詩稿

 我が国の民間に「うぶめ」と云う妖怪があって、産褥(さんじょく)で死んだ妊婦が化けたものだと云い伝わっている。「今昔物語」巻二十七に源頼光の郎党の平季武(たいらのすえたけ)が、産女(うぶめ)が赤子を河中で抱くことを載せて、昔から凄まじいものだと云う。「本草書」に、「姑獲鳥は産婦が化けたもので隠れて妖(あやしいこと)を為す」とあることから、「うぶめ」の語が妖婦であるのは疑い無いが、姑獲鳥の文字を昔から当てて来た。姑獲鳥は即ち姑悪鳥であって、陸放翁の詩にその情態が明らかに見えるものがある。鳴く声が姑悪と聞え姑獲と聞えることで名付けられたようで、忌まわしく物さびしく思われるものだが、しかし姑獲鳥は本当の鳥であって妖怪では無い。
 我が国でも、「中国でうぶめと云うのは夜間に飛行する鳥で、鳴く声が小児のようで、小児に害を加えると云われている・・」と「本草啓蒙」に書かれている。「草木子」巻四の下に、「夜行遊女は悪鳥である、夜飛んで昼眠る、鬼神のようである、およそ人は小児を育てるには露処してはいけない、小児の衣も露晒してはいけない、毛が衣中に落ちれば、本当に鳥の為に祟られるだろう、或いは衣に血を落とせば痣を為す、或いは云う、産死の者が化けたところのものである」と記されている。夜行遊女と云う鳥も即ち姑悪鳥であろう、暗夜の水辺に鳥の声が人声のように聞こえて自然と人を凄然とさせることから、このようなものを妖怪のように云ったのであろう。夜釣りをしているとこのような鳥の声を聞くことも稀では無い、放翁も釣人として水辺に住居(すまい)を定めて住んで居れば、サゾ長い詩を作ったことであろうが、ここでの放翁の詩は、思うに別の寓意があったものと思われる。

注解
・今昔物語:平安時代末期に著わされた説話集。
・剣南詩稿:中国・明の詩人陸放翁の詩集。
・本草啓蒙:江戸時代の本草書。本草家(薬物学者)の小野蘭山の講義録「本草綱目紀聞」を基に作られた書。体裁は李時珍の「本草綱目」の解説書であるが、数多くの和漢古書を引用し、自説を加えるなど内容は豊富である。
・放翁の詩:剣南詩稿巻十四に、「夏の夜の舟の中に水鳥の声が甚だ哀しんで姑悪(こあく)と云うように聞えて感じて詩を作る」として詩がある。水鳥は即ち姑悪鳥で、また姑獲鳥とも云う。鳴く声によって名付けられたと云う。詩は次の通り、
 女(じょ) 生まれて 深閨(しんけい)に蔵(お)る、
 未だ曽て檣藩(しょうはん)を窺わず。
 車の上って 天とする所に移れば、
 父も母も 它門(たもん)となりぬ。
 妾(しょう)が身は 甚だ愚かなりと雖も、
 亦知る 君が姑(しゅうとめ)の尊きを。
 牀(しょう)を下る 頭鶏(とうけい)の鳴くに、
 髻(かみ)を梳いて 襦裙(じゅくん)を着く。
 堂上に 灑掃(さいそう)を奉じ、
 厨中に 盤さんを具す。
 青々 葵莧(きけん)を摘み、
 恨むらくは美なる熊蹯(ゆうはん)ならざるを。
 姑の色 少しく怡(よろこ)ばざれば、
 衣袂(いぺい) 涙の痕 湿める。
 翼(こいねが)うところは 妾(しょう)が男を生まんことを、
 庶幾(こいねが)わくは 姑も孫を弄せん。
 此の志 竟(つい)に 蹉跎(さだ)たり、
 薄命にして 讒言(ざんげん)を来たしぬ。
 放ち棄てられしは 敢て怨みざれど、
 悲しむところは 大恩にそむけること。
 古き路 陂沢(ひたく)に傍(そ)い、
 微雨(こさめ)ふりて 鬼火昏(くら)し。
 君聴けや 姑悪の声、
 乃ち遺られし婦(おんな)の魂なる無からんや。
 (娘は深窓に生まれ育って、未だかつて外を知らない。車に乗って夫のもとに嫁げば、父も母も他家(よそ)の人となる。私は甚だ愚かと云えども、貴方の姑(おかあさま)の尊いことは知っている。寝床を下りて一番鶏の声を聞けば、髪を梳いて着物に着替え座敷の掃除をして、台所では食事の支度をする。青々とした野菜を摘んでは、熊の掌(て)ほど美味しくないのを残念に思う。姑(おかあさま)の顔に悦びの色が無い時は、着物の袂(たもと)も涙の痕で湿りました。願うは私が男の子を生んで姑(おかあさま)が孫をあやせるようになること。この願いはついに叶うこと無く、不幸にもお小言を受けました。離縁されたことを怨みはしませんが、悲しいのは大恩に背いた事。古い道は沼地に沿って小雨が降り、鬼火がチラチラして道は暗い。貴方聴いて下さいな姑悪の声を、あれは離縁された妻の魂では無いでしょうか。)


 

張良(ちょうりょう)と蔡邕(さいよう)

 張良は一見して物やさしく知恵深い人で、猛々しい人で無かったと「史記」や「漢書」に記されているだけでなく、中国の雑書瑣記にも樊噲(はんかい)のような人と同列に記したのを見ない。であるのに、我が国の雑書などにサモ張良が勇猛な人であるように記されているのは受け取れない。舞曲や謡曲で張良を強く烈しい猛者のように扱ったことで、このような事が起こったので有ろう。しかし舞曲や謡曲が張良を勇士のように扱った根拠は何であるか未だ知らない、まことに理解しがたいことである。
 漢の蔡邕は不実な軽薄人では無い。それを「琵琶記」で妻を顧みないで丞相の婿になったと書かれたことにより、伝え伝えて罵詈されるようになった。しかしその根拠とするところは何なのか、中国でも学者の説が区々様々なので明らかではない。思うに「琵琶記」が成った時よりも遥かに遠い宋の時代に、既に蔡邕を不実者と婦女が罵ったと思われる。宋代に蔡邕を軽薄な男と罵った証拠は、陸放翁の詩にあって明かだが、しかし宋代に蔡邕を謗るようになった根拠はついに明らかではない。張良のこともソウである。不思議な事も世には有るものである。

注解
・張良:中国・秦末期から前漢初期の政治家・軍師。漢の高祖に軍師として仕え覇業を助け、漢成立後は留侯に封じられる。謡曲に「張良」がある。
・蔡邕:中国・後漢末期の政治家・儒者・書家。
・樊噲:中国・秦末期から前漢初期の武将。
・琵琶記:中国の戯曲。元末明初の高明の作。都へ上り出世する蔡 邕と,郷里で困窮しながら舅姑に孝養を尽す妻の趙五娘を主人公とする作品。


古書新法

 数年前から某富豪が趣味で、美味しい鶏肉を作ろうと、特異な飼育法で鶏を飼い出した。その肉を味わったところ真(まこと)に膏(あぶら)が乗っていて美味、実に人に可(よ)い、しかしその飼い方を訊くと、総べてはヒナを運動させないことを主体にするのであって、大層古い支那の書に出ている方法に似ている。「斉民要術」の中の事が二十世紀の奢侈となるのも、おもしろい世のさまである

注解
・「斉民要術」:中国・北魏の賈思勰が著した華北の農業・牧畜・衣食住技術に関する総合的農業書。


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