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2.膨れ上がる理想。安全基地は作れない。

今年みた桜です。
雨や曇り、寒い日が続き、開花が遅れていました。
満開はみれませんでしたがお花見らしいことができてとても満足でした(*´꒳`*)

偉大な大自然。わたしは自然に触れている時間がこころ満たされる時間でもあります。

【心の拠り所】(主観になります。)
とは、安全基地のことです。
ありますか?安全基地。

意識しながら生活している人は少ないかもしれませんが、何かあった時
なんとなく心の支えというか、頼れる存在・帰れる場所。素直な気持ちを吐き出せる相手。など。

うまくいかなかったアタッチメント形成がメンタルの不調に差し支えている原因の一つだった場合、
〝安全基地をつくる〟というのを知りました。

でもこれは、大人になってから安全基地を作るというのは非常に難しいことだと思いました。
もしかしたら側から見たら、客観的に見てみれば、安全基地が存在しているのかもしれない。
でも〝疑い〟というのは常に付き纏って安心感というのを得にくいのではないかなと思うんです。

【わたしの課題】

わたしのアタッチメント形成には父親が大きく関わっています。

わたしが自分でも問題点だなと思っているところは

人を信用できないこと。
特に、突然態度が180度変わるかもしれないと常に疑っていること。


これは誰に対してもです。
職場でも、友達でも、好きな人、恋人でも、お客さんでも、店員さんでも。誰でも。病院の先生でも、です。

必ず人は裏切る。そう思い込んでしまっています。特に男性に対して強く思います。

どんなに親しくしてくれようとしていても、
ただの善意で行ってくれていることや、かけてくれている言葉ですら
全てを疑って、裏があると思ってしまいます。

なので、誰かと仲良くなるということがほぼ出来ません。
「何かトラウマがあるでしょ?全く信用していないでしょ。」と言われることもあります。
わたしの反応は、人を傷付けていることになりますよね。
なので変わらなくちゃいけないな、って思った理由の一つでもあります。

そういう考え方になってしまったと言っても過言ではないのかな、と思う原因がアタッチメント形成の不備。

【父親からの無視。〝手のひら返し〟で脳内混乱】

考えてみれば小学生の頃も放置や怒鳴られること、はたかれることはありました。わたしがわがままを言ったのかもしれない。自分勝手だったのかもしれない。
兄弟喧嘩の末もありますが、スポーツが出来ない、勉強がわからない、そんな理由のこともあります。

いまでもその瞬間のことが衝撃ではっきり映像として頭の中に残っているのが、
中学生の頃はじめて受けた父親からの無視、からの解放の瞬間です。

ある日突然始まりました。
話をする機会もなく、理由も告げられず。何かしてたなら謝る機会もなく。
数ヶ月単位のロングスパンです。

その間も家の中なので当然わたしの姿や声、父は見聞きします。
あからさまに嫌な雰囲気を出すんです。
母に対しても苛立った態度になるし、大きな咳払いや、物音の立て方、目の前から消えろというような。
突然怒鳴られるかもしれないっていう恐怖がありました。

そしてもういい加減慣れてきたころ、
普通に。この数ヶ月が無かったかのように。
会話が始まったんです。家族団欒が始まったんです。

あの時感じた〝動揺〟忘れられないです。

親が子を無視することは異常なんだ、ということを最近認識しました。
悪いことをしてしまえば怒られる、叱られるは当然のことだと思います。
一時の罰として〝謝るまで無視だ!〟なら時と場合にもよりますが躾かもしれないです。

今後の生き方考え方にどれだけ影響するのか。
すぐには影響が感じられなくても、時を経て大人になってから、人間関係の最も大きな障害となります。

子供時代だけならまだ、そういう躾かと1億万歩譲って気付かなかったかもしれません…が。

父についてはまた改めて詳細に書きとめておきたいと思っています。

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