平手友梨奈という魅力…羊と角と和音

2020年2月3日、再度、ツラい別れをつきつけられた。
ショックで急遽書き加えたため、一番長くなると思います。

ラジオ番組『SCHOOL OF LOCKS!(SOL)』内で、てち(平手友梨奈)が3週目を担当していた20時20分過ぎの授業(コーナー)が3月いっぱいで終わるツイートが流れた。4月から校長も変わり新時間割になるためのもので、むろん、終わるのはてちだけではない。

欅坂の大ファンでてちと楽しそうに話す遠山校長が3月いっぱいで退任すると聞いたときから、覚悟はしていた。ちょうど高校卒業だし、同じタイミングで卒業するだろうな。そう思っていたが、脱退に続く知らせにやはり衝撃を受けてしまった。

いつも愛ある授業で、てちを笑わせたり、「もーっ!」と可愛く怒らせてくれたSOLには感謝以外にない。まだ計8日のラジオが聞けるので、笑顔でてちとの授業を受けることだけ考えよう。本当にSOLのてちが可愛くて好きすぎた。卒業後、何か書いてしまったらごめんなさい。


で、本題。
2019年の平手友梨奈を、「黒い羊」「角を曲がる」、そして「不協和音」抜きに考えることはできない。魅力という視点からはズレてしまうけれど、書かずにはいられない…。ひとまず今回で終わりなので、あり得ないくらい長いです。途中でやめていいですよ。お知らせしましたよ。


最後にして最高のシングル「黒い羊」


「欅坂に恩返しをしなくちゃ、ちゃんとお礼をしなくちゃ終われない」

『ROCKIN’ON JAPAN』2019 APRIL VOL.506号のロングインタビューでの、てちの言葉だ。欅に戻ってきてくれたのはうれしいのにとても胸が痛み、今でも読み返すと切なくなる。

当時、17才。まだ自分のことを考えるので精一杯なはずの人に、何ていうことを言わせているのか。いや、てち本人の思いだとわかっているけれど、まわりの大人たちが「そんなことを思わなくていい。恩返しはあなたが幸せになることだ」と言い続けてほしかった。

デビュー時から、ただ一人、自分がどうなりたいかではなく「欅坂を有名にしたい。知ってほしい。曲を届けたい」と言い続け、欅坂のことしか考えていないてちが恩返しという果てしないものまで背負ってしまったら、もう歯止めがきかないんではないか。今でも全てを捧げているのに、これ以上何を差し出すのか。心配でたまらなかった。

けれど、もう決めてしまったのなら、届けてくれる全てを受け取りたい。早く恩返しなんて終えてしまえ。2019年はいつも「これで最後かもしれない」と思いながら、応援していたような気がする。

傷ついては立ち上がり、満身創痍でも戻ってきてくれる姿に「どうして、まだ欅でいてくれるんだろう。もう恩返しなんて十分だよ」という思いと、「欅坂にいるてちを見ていたい。ありがとう」という思いでぐちゃぐちゃになっていた。そこまで思っていたのに、脱退発表では崩れ落ちるくらいの衝撃を受けてしまう不甲斐なさ。てちを応援していると、いつもアンビバレントになる。


壮絶な覚悟でできたのが、欅坂46の平手友梨奈として最後のシングルとなった「黒い羊」だ。

曲を聞いたときから、確かに「僕」が存在し、MVを見るたび胸の奥底に突き刺さった。何度も見たいけど、見るのに覚悟がいるような。見た後には、救われたり、とてつもなく孤独になったり、勇気をもらえたり…その時々の自分の思いや状況によって違う感情を揺さぶられる曲。

なるほど…と思った。
あの凄まじい思いがあったからこそ、「黒い羊」の僕は生きることができて、血を涙を流してボロボロになりながらも、立ち上がったのだろう。僕だけではなく、ひとりひとりが生きて、あのヒリヒリとした世界をリアルに感じさせてくれた。

「黒い羊」はテレビ、ライブともに披露することが極端に少なくて、私が生で見られたのは全国握手会の幕張メッセミニライブだけだった。あとは武道館公演の最終日、唯一のアンコールで披露された「黒い羊」を、外で呼吸することすら忘れて聞き入った。歌だけで僕は確かに存在し、胸が押しつぶされ苦しくなるような思いにとらわれた。

パフォーマンスを見る機会が少なかったからなのか、「黒い羊」の僕とてちがカブり、曲の主人公としてではなく、てち自身として届けているようにも見えた。

「欅坂にこの曲があることで、ちょっと救われたじゃないけど、自分のいる意味を何となく感じたかもしれない。この気持ちを出せるんだって(抜粋)」

前出の『ROCKIN’ON JAPAN』で、「黒い羊」に対するてちの言葉。もしかしたら、今までの中で一番自分とリンクする主人公だったのかもしれない。

私は「黒い羊」を絶望の中で息を吹き返す救いの歌だと思っていたので、とても安堵した。この曲をやるたびに救われて、自分の存在を肯定できていたのならうれしいし、もっともっと披露してほしかったと残念にも思う。

あの頃、苦しんでいた自分も、今、弱気になっている自分にも寄り添ってくれる。そんな風に思えるのは、諦めず何度も奮起したてちの「僕」がいるからだ。


響と平手友梨奈の「角を曲がる」


「角を曲がる」は不思議な曲だと思う。
映画『響』のエンディングで聞いたときは、響の曲としか思えなかった。月川監督の言う通り、まさしく「エンディングのような曲」だった。CD収録はむろん、サウンドトラック配信もされていない、映画でしか会えない曲。

2019年9月19日、ドーム公演のダブルアンコールでまさかの披露。
5万人のど真ん中でたったひとりのパフォーマンス。泣いたら見れなくなる!と必死にこらえながら息を詰めるように見入っていた。不思議だけど、ソロなのに欅坂としての「角を曲がる」だと感じた。推しバカと言われたらそれまでだが、あのドーム公演のエンディングとして自然に受け止められた。

そしてMV解禁、ミュージックステーションウルトラSUPER LIVEでのテレビ披露。

間違いなく平手友梨奈の曲となっていた。
響のために生まれ、欅坂の曲に変化したものが、さらに平手友梨奈でしかあり得ない曲へ…出会うたび印象が変わる。それも含めて、まさしくてちの曲だと思う。何より声に聞きほれた。低めでやわらかい声は、心の一番奥、やわらかいところに寄り添ってくれたり、わしづかみにもされる。痛いけれど心地いい。声にも表情とギャップが潜んでいる。

個人的にはミュージックステーションでの「黒い羊」から「角を曲がる」に続く演出で、どちらの曲も腑に落ちた。

この「黒い羊」のラスト、ひとり階段をのぼっていく僕を見たとき、胸がぎゅうぎゅうと音を立てた。けれど、その後の「角を曲がる」を続けて見て、ああ、そうか、大丈夫だに変わったのだ。

本当の意味で救われるのは、ひとりで歩くことを選んだ僕だと思っている。
誰かを指さし笑うことで連帯感を持ち、いつ手の平返しをされるかわからない集団にいても心の平穏はないだろう。一時の安心感や温もりは得られるかもしれないが、あくまで一時のもの。いつ自分が指さされるのか、もしくは誰かを指ささなければいけないのか…そうやって窺い続ける場所にいても救われない。

どんなに不安で怖くても、ひとりで歩く覚悟を決めなければ自分の道の角は曲がれない。

いや、それは寂しすぎるでしょ…と思う人もいるかもしれない。
大丈夫。角を曲がると同じように覚悟を決めてひとりで歩いている人に出会ったり、懐かしい人と再会したりするもの。そのとき誰かの顔色を窺うことなく抱き合ったり、目を見ることから始めることも自由にできる。

引き寄せの法則なのか、ひとりで立つことを決めると同じように生きている人が見つけやすくなるし、向こうも見つけてくれる。それぞれの「自分」を認め合い誰かを指ささずとも立っていられる平穏がある。少なくとも、私はそうだった。

このミュージックステーションのときすでに脱退は決まっていたと思うと、2曲を披露した意味を考えてしまう。私の解釈がそのままてちに当てはまるとは思っていないけれど、今は苦しくても、大丈夫。何年か後でも、絶対に「あのとき、覚悟を決めた自分」が報われて、感謝する日がくる。絶対くる。そう思えたことで、私が救われたのだと思う。そういう感覚になるくらい、実在性のあるパフォーマンスだった。


はじまりで、終わりの「不協和音」


奇跡だった2019年の「不協和音」。
テレビはもちろん、ライブでも見られることはないだろうと諦めつつ、いつかを夢見ていた曲。ドーム公演2日間、紅白歌合戦の3回も見られたことは、今でも夢だったんじゃないかと思うほどの出来事だ。

ドームでは「もしかして…」と予想していたものの、アンコールでイントロがかかったときの衝撃。一瞬で鳥肌が立ち、コールやペンラを振ることもできず、震えながら受け取るだけで精一杯だった。

「不協和音」の僕も確実に成長している。
自分は流されない、嫌だ!と闘い続けていた僕が、ドームではイエスと言うしかない理不尽さや弱さを知ったうえで、それでも嫌だと言いたい。そんな大人の意思、願いのように感じた。当然、その場で考える余裕はなく、思い返した印象に過ぎないけれど。

紅白でさらに変化を遂げる。

2019年11月13日の『ベストヒット歌謡祭』で披露した「避雷針」を皮切りに、年末の歌番組で「二人セゾン」や「月曜日の朝、スカートを切られた」など様々な顔を見せてくれた。まるで歌番組を舞台にした、ひとつのライブを見ているようでワクワクが止まらなかった。

その大トリが紅白歌合戦の「不協和音」だ。
あの泣きそうな、ふり絞るような嫌だは、守ろうとする嫌だに聞こえた。もう誰にも嫌だなんて言わせないで。そんな支配はしないで。そのためなら僕がいくらでも言ってやるよ! 欅坂の矢面に立ち続けたてちにしかできない、盾のような「不協和音」だと思った。

私にとって欅坂46の平手友梨奈は「不協和音」MVで始まり、紅白歌合戦の「不協和音」で幕を閉じた。

盛大なフィナーレはなく、まるでドーム1日目のアンコールのような、全てが終わったときにはステージから消えている。そんな唐突で静かな、痺れる終わり。あまりに出来すぎていて余韻が消えず、もう少し見ていたかった願いもある。同時に、儚いけれど、優しく強く成長した「不協和音」が最後で納得している自分もいる。


そして、欅坂について。
てちのいる欅坂が、曲を届けることに全力で、「アイドルだから〇〇しなきゃ」ではなく「アイドルだって〇〇できる」に挑戦し続けた欅坂が本当に大好きだったので、できれば、その思いをなくさないでほしい。今はそっと見ていたいと思う。


ありったけの感謝と応援を


あまりに長すぎて、ここまで読んでいるような奇特な人はいないと思うので、てちへの思いで締めたいと思います。キモいので読まなくて大丈夫です(書くな)。

追いかけ続けた約2年半、本当に幸せで何物にも代えがたい時間になった。
自分がこんな風に夢中になるとは全くの想定外。しかも、次々に新しい顔を見せてくれるから、一度も好きが停滞することなくずっと右肩上がりのままだった。これ以上好きになってしまったらいつかツラくなるなあと知っていたのに、止めるなんて絶対できなかった。

成人式が遠い昔となった大人の今、てちに出会えて好きになれてよかったと心から思う。もう少し若い自分だったら、好きゆえに求めすぎてアンチ化していたかもしれない。でなければ、「はいはい、中二病ね」と表面だけで判断して嘲笑っていたかもしれない。そういう自分を経験していたからこそ、「〇〇でなきゃ!」と求めたり、年齢に関係ない思いを否定することなく、ただただ好きでいられた。

なおさら、どうしてすぐに好きと認めて自分から沼に入っていかなかったのか。もし、さっさと認めて行動していれば、2017年の欅共和国に入国することも可能だった。あの時の自分を「いいから、もう好きなんだから認めろよ!」と怒鳴りつけてやりたい。

てちと出会う前も楽しく自由に生きていたつもりだったけれど、感情の濃度や輝きが一気に増していった。ドキドキワクワクしたり、体が心配で勝手に涙は溢れるし、理不尽な声に怒りで震え、カッコよさと色気にニヤニヤが止まらない始末だ。今まで味わったことのない緊張や愛しさも知ることができた。

色々な場所、人たちにも出会わせてくれて、素晴らしい景色を見せてくれた。書ききれないくらいたくさんのものをもらっているばかりで、ありがとうしか返せないのがもどかしい。

留学ではなくオーディションを選んでくれて、欅坂に入ってくれて、曲を届けること、グループのために全身全霊をかけてくれて…応援できる場所で活動してくれて、本当にありがとう。嘘のない言葉を届けてくれてありがとう。まっすぐ信じることができた。全力の恩返し、絶対に忘れない。

欅坂を離れたてちに望むのは、幸せになってほしい。それだけ。
笑いたいときに笑って、怒るべきときに怒り、やりたいことに挑戦できて、子供のように思いきり泣いてそのまま寝てしまうような場所がありますように。

もし表舞台でやりたいことに挑戦するのなら、いつでもどこでも全力で応援したいし、例えそうでなくても、いつも全力で幸せを願ってる。

欅坂のファンとして有名な誉田哲也さんの著書『武士道エイティーン』のラストシーン、主人公のひとり、磯山香織の言葉が今の気持ちそのものだった。

「いいだろ…あたしが待ってるのは、あたしの自由だろ…そう思ってあたしが戦うのは、別に…構わないだろ」

自由にてちを思いながら待って、一日一日を大事に戦いたい。
てち推しは待つことにも、露出がないことにも慣れているし、考えを押しつけないてちのおかげで妄想が得意だから大丈夫。何年でも待てるよ。てちと出会うまでにかかった年月を思えば、きっとあっという間だ。

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