かけがえのないGifted

どんなタイトルだよ、と我ながら思います。
私が、今、好きなアーティストの曲名『かけがえのない世界』と『Gifted.』を合体させただけという無節操、無粋ぶり。両曲に何か関連性を見つけた!とか、使っている音のなんちゃらが~という音楽的な考察はありません。

てちこと、平手友梨奈さんのガチオタなので、自身2曲目の『かけがえのない世界』が披露されたとき、MVが公開されたら『ダンスの理由』との違いも込みで書きたい、書いちゃうだろうなと思い、今か今かと待ちわび……現在に至ります。

2021年11月時点で、未だMVなし。リンク張りたくても張れない状況です。デジタル配信のみ。しかし、この音源がすごい。FNS歌謡祭披露時とは変わっている音源をイヤフォンで聞いたときの衝撃。聞くたびゾクゾクするほど素晴らしいので、音源だけで書こうかなと思っていました。

そんなとき『THE FIRST〛を見ていて、「ああ、だからてちに惹かれたのか」と納得する場面がありました。その逆も。

元々、そこまで音楽好きではなく、カラオケで歌う用に聞くことがメイン。好きなアーティストや曲があったとしても、それらは友達を介して知ったものばかり。あくまで受け身で「いいなあ」と思ったに過ぎない。一定期間、聞くけれど自ら情報を追いかけるほどの思い入れは持てなくて、また音楽とは無縁の生活に戻ってしまう。好きな歌手や音楽を聞かれても具体的には思い浮かばず、「ピアノの音は好き。あ、曲はわからんけど」と答えるくらいの、ぼんやりとした距離感です。

そんな私が大人になってから、初めて誰かを介したのではなく自分で好きになったのがてちとBE:FIRST。だから、片方を思うことで、もう片方が好きな理由がはっきりするという経験も初めてで、衝撃的でした。言語化して残したい。

前置きが長くなりましたが、両者を好きになったポイントや楽曲から受けるイメージについて書いていきます。

すでにお伝えした通り、私は音楽好きというわけではない、おそらく一番のライトユーザー層であるド素人、単なるてちガチオタバカのひとりでしかありません。専門的な考察や公正な見方などできるはずなく、あくまで個人的な思いなので異論反論は受け付けていません。少しでも不快、苛つき、違和感などがあれば、即刻、読むのをやめて「あーあ、くだらないもんを読んじゃったなあ」と一蹴していただいて構いません。注意しましたよ? しましたからね。

まず最初に、今回はてちよりもBE:FIRSTのことを多く書いてしまうと思います。だって、てちはドラマ撮影で忙しく、供給ストップしているので書きたくても書けない。

オタは知ってますよ。ええ。静かだった分、ぶち上がることがやってくるということを。約束されているNHKのドラマだけでなく、MVや新しいCM、もしかしたら、念願のファンクラブとか! 願いを込めて言霊になりますように。

でも、もしも、今年前半のような供給ラッシュが続いていたら、ここまでBE:FIRSTをしっかり追いかけなかっただろうし、ということは、それによって気づけたことにまだ思い至ってないと考えると、自分にとって必要な期間だった……と言い聞かせてます。


異質でまっとうな『THE FIRST』


オーディション『THE FIRST』の異質さは主催で審査員であるSKY-HYの存在によるものだと思う。誰よりも音楽を楽しみ、期待や感動、喜びを隠すことなく表している姿は衝撃的で、画面に釘付けになった。まるで視聴者のような、いや、オーディションに挑んでいる彼らの身内のような振る舞いには、審査する立場にありがちな「上からの視点」が一切感じられない。

それだけで十分興味を引いたけれど、さらに追い打ちをかけたのは、「自分を見せようという気持ちと、曲を届けようという気持ちは似ているようで違う」というSKY-HYの言葉だった。言い回しは若干違うかもしれないが、自分を表現するのか、曲を表現するのかは違う視点であり、あくまで「曲を、曲の感情を届けたい」という思いがなければ危険だという言葉だった。

この違いこそ、私がてちに惹かれ続けているポイントでもある。
彼女は欅坂のときから、ずっと「曲の世界」を届けることに全力で向き合っている。インタビューなどで、自分の表す言葉を「無」と語っているくらい、自分を見せようという意識がない。だからこそ、パフォーマンス中の表情や動きにとってつけたようなわざとらしさがなく、ストーリーを感じるのだ。

表現の違いについて、「2020年をてちで振り返る」の中の「欅坂と映画」で書いていたことでもあったので、まさしく「そう! それ! それだよね!」と声をあげるくらいの共感だった。『THE FIRST』をしっかり見るようになったのは、この後からだったように思う。

合宿でも同じような思いになる場面が多々あった。
りょんりょん先生の「目と眉を動かせ」「ただニッコリ笑って歌うボーカリストになるな」「何で同じ表情なの?」という言葉は、歌はただ音程通りの声をだすのではなく、気持ちから生まれる全身を使った表現だと教えてくれる。

「あー、だから、てちが好きなんだよなあ」
りょんりょん先生の言葉で思ったのは、これです。てちのことばかりですみません。てちの曲ごと、いや、曲中においても変わる表情。曲の人物がそこにいるとしか思えないくらい、目や眉、背中…全身で表現していた。

アイドルに苦手意識がぬぐえない理由のひとつもわかった。
「ただニッコリ笑って~」それだ。可愛く元気な曲でなくても、カメラに映るときアイドルスマイルをする。もしくは、取ってつけたように睨みつける。その違和感は何なのだろうと考えていたが、どちらも、曲ではない自分を見せようとしていて感情がつながっていないのではないか。だから、いきなり「自己」を見せられたような違和感がある。

音楽にいい、悪いはない。ただ、私はその曲の世界に連れ去って、ストーリー性を感じさせるアーティストが好きなんだなあと改めて実感した。


ちょっと、ここまででてちのことしか出てきてませんけど?
はい。ですよね。すみません。でも、そう感じたからこそ『THE FIRST』が気になり見続けたのだと思う。そして、彼らがどんどん変化していくのを目の当たりにし、惹かれていった。

その分岐点となったのが、クリエイティブ審査だろう。

オーディションとして特異な審査項目というだけでなく、彼らの意識を変えて「作品ファースト」を実感したポイントであり、視聴者に本気を見せつけたポイントでもある。私のように。クリエイティブ審査の3チームがそれぞれきちんと色を出していて素晴らしかったのはもちろんだが、その後の疑似プロ審査で発揮されていたように思う。

自分を生かしながら他者を生かし、作品を届けるというたったひとつの目的に向かう。これをオーディションの審査でやり遂げたパフォーマンスは圧巻で幸福感があった。幸福感が大げさならば、安心感といえるかもしれない。

「自分が! 自分が!」という空気はガッツがあるといえるが、見ている人の胸をざわつかせもする。特にチーム内であれば、なおのことだ。そのざわつきがない分、安心して曲の世界に浸ることができるのだと思う。

他者を殺さない姿勢は同じ志を持った仲間ということもあるだろうが、SKY-HYの「才能を認めて、リスペクトする」という、本来まっとうな言動によって培われた面もあるのではないか。

オーディション中、それぞれの素晴らしかったところや今後の課題を明確に言語化し、誠実に伝えてくれる姿を目の当たりにしていれば、あえて「自分が目立つため」を考えずとも、作品のために自分は何ができるのか、越えなければいけないものは何か……を追い続けることで評価はついてくる。そう思っても不思議じゃない。

SKY-HYの姿勢はオーディション後も貫かれていた。

BE:FIRSTのメンバーには選ばれなかったが、才能ある人たちと別途契約を結んだり、コラボをすることで才能を生かし続けている。何よりオーディションに関わったすべての人を認め、誰のこともなかったことにはしない。

これは『THE FIRST』から見ていたファンにとっては安心以外の何ものでもない。すでに箱推しとなっていた私にとって、レイちゃんやラン、ショウタママがいないことに少なからず喪失感を持っていたし、今後、彼らの歌声やパフォーマンスに触れる機会があるんだろうか。あったとしても、どれくらい先になるのか。そんなファンが抱える不安や心配、さみしさを見越しているかのように、スピード感を持って行動してくれた。

「才能、殺すわけないじゃん!」
そう言ってくれているようで、安心して待てる。個人的に知っているわけでもなく、むしろ数カ月前までは知らなかったのに、どんな状況でもブレない姿勢、伝えることの大切さを身をもって示しているSKY-HY、日高社長を信頼しているのだと思う。

はい。BE:FIRSTのファンでもあるけれど、正直、BMSG推しになっています。初の運営推しというジャンルが誕生しました。

てち沼に落ちてから、ずっと抱えてきた運営に対するモヤモヤ。現場はてちが信頼しているスタッフさんばかりだ。間違いない。それなのに、どこか好きな人を人質に取られているような気持ちが消えない。

BMSGの姿勢で最も心打たれたのは、アーティストだけを矢面に立たせないことだ。

無論、表舞台に立っているため火の粉がまったく降りかからないというのは難しいだろう。でも、社長もアーティストだからなのか、自分自身のためだけではなく新しいカルチャーを作るという信念のもとに設立したからなのか、困難があれば共に立ち向かっていくという気概を感じる。日高社長がSNSや雑誌など様々なインタビューでしっかり伝えてくれることで、安心し救われているファンは多いはず。

今までの事務所はあくまで裏方であり、表だって発信する人は少数だった。視聴者からすれば、見えるのはアーティストだけ。その構図が「矢面に立たされている」ように感じられて仕方ない。運営のやり方や情報の扱い方に不安、不満があっても、ファンに向けて真意が伝えられることはない。でも、だからといってファンをやめることもできない。そのジレンマが、人質に取られているような感覚になるのだろう。

そんなモヤモヤを抱えることなく、ファンがまっすぐ応援できる空気や場所を作りだしたBMSGが眩しく感じる。


ちょっと話がずれてしまうけれど、オーディショ終了後、SKY-HYがインタビューで話していた言葉に目を奪われた。

「自分と同じ思いをさせないため」
「トラウマは同じ境遇の人を救うことでしか克服できない」

『ダンスの理由』の歌詞とてちの姿勢が思い浮かんでしまった。

「絶対に救いたいあの娘は私」
「もしも同じような境遇ならば 同じ目に遭わせない」

てちが歌詞を書いたわけではないけれど、ラジオやインタビューなどからうかがえる言葉を慎重に扱い発言する彼女の姿勢は、自身が言葉によって苦しい思いをしてきたからだろうと想像できる。そんな風に寄り添っているてちだからこそ、この歌詞に説得力が生まれる。

あれは〇〇のことだ!などこじつけて考えるのは好きではないけれど、このSKY-HYの言葉を知ったときに、根本的なものがどこか似ていると思い、てち単オタバカの私が『THE FIRST』、BE:FIRSTに惹かれたんだと妙に納得できた。

BE:FIRSTガチオタの人にとったら、こじつけのように感じるだろうし不快になるかもしれない。でも、てちありき、てち好きを実感した形ではあるけれど、新しい魅力ある人たちとつながることができたのは、純粋に楽しい。ガチオタでなくても楽しめる。この懐の深さが、音楽の力だなあとも思ったりする。


重なり合うGifted

BE:FIRSTのデビュー曲、『Gifted.』を最初に聞き終えたときの気持ちは、「うあ、何これ…そうきたか」だった。

王道の爽やかソング『Shining One』に続く大事なデビュー曲、どういう感じなのだろうと思っていたら、ノーガードの腿あたりに重いキックを入れられ膝から崩れ落ちた。前に味わったことのある衝撃。

『不協和音』MVを最初に見たときだ。
てち沼に向かうことになったきっかけであるこの曲に触れたときも、頭に浮かんだのは、「かっこいい」などではなく、「何だこれ」だった。好きなわけじゃないと言い訳をしながら、MVを見るのを止められなかった。

このときの思いを書くとさらに長くなるので、もしも、どんな感じだったのか気になるよっていう奇特な方がいたら、「平手友梨奈という魅力…ギャップ」をチラ見していただければ……。


で、話を戻します。

プレデビュー曲『Shining One』はキラキラとした、聞くとワクワクして踊り出したくなる曲で、MVやパフォーマンスを何度か見ていると「マンガ誌のようだな」と思った。

は? マンガ誌? 意味わからないんですけど。
そう思いますよね。私もわかりません。が、クルクルとセンターが変わっても曲の世界観が壊れず、それぞれ違うストーリー性を感じさせてくれる。全員、主人公。グループを表すのに使われる言葉を、初めて実感した。

リュウヘイがセンターになると美しいアート作品のように感じ、ソウタは熱いヤンキー、マナトは猟奇性をはらんだミステリー、レオは爽やかで親しみやすい下町物語……。作品を届けている中で、自然と全員の魅力、個性が発揮されているようだった。

その多彩さが、少年マンガ誌のように感じた。いや、個人的には昔の『花とゆめ』のほうがしっくりくるかもしれない。王道の恋愛マンガもあれば、バイオレンスに耽美ホラー、ファンタジーと様々なジャンルの作品を掲載し、少女マンガ=恋愛マンガという固定概念を覆したマンガ誌だ。

私にとって、グループのセンターは単に一番前の真ん中にいる人や多く歌う人ではない。その人が映った瞬間、自動的にピントが合うようにひきこまれ勝手に想像が広がっていく、主人公そのものだ。

その主人公性は本人が意識して出せるものではなくて、作品と溶けあい表現しているときに自然と溢れでるのだろう。私がそれを感じたのはてちだった。派手に踊っているときだけじゃなく、ただ手をおろすだけ、背中を向けるだけで目が離せなく、勝手に想像が膨らんでしまう。

BE:FIRSTに単推しがいないのが自分でも不思議だったけれど、謎がとけた。
主人公性を全員に感じるからなのだろう。

からの、『Gifted.』は、もう「やられた」の一言。

まさに独自路線を突き進む、決意表明のような曲。音源、MV、パフォーマンスで彼らの表現を受け取り、この曲から受ける贅沢というか濃厚、荘厳、緻密で端麗な感覚は何なのだろう。

一言で表すとしたら、「オーケストラ」だと思う。
この言葉が浮かんだとき、ああ、それしかないと勝手に納得してしまった。それぞれの声や個性が重なり合って、ひとつの作品として大きなうねりをあげるようにエンディングへと向かっていく。

オーケストラを生で聞いた回数なんて片手で十分足りるくらいなド素人のイメージなので、「何言ってんの?」とイラッと思っても、バカだなあと流していただければ幸いです。

ただ、『Gifted.』の音楽性を支える正統派なマナトとジュノンの美しい声とパッと鮮やかに彩るリョウキ、シュントの耳に残る声、妖しい色気を放つリュウヘイの低音、爽やかで甘いレオ、まっすぐで力強いソウタ、それぞれの声が然るべき場所で光り、または支えることで、ひとつの作品を構成している様は「個性的なグループだね」という言葉では言い表せないように思う。

面白いと思ったのは、より強く「オーケストラだ」と感じたのが、音源ではなくパフォーマンスを見たときだった。本来のオーケストラにはない、ダンスが加わったほうが、より音楽を感じるのが自分でも不思議でならない。特にラスト、マナトとジュノンの高音にのせてセンターで踊る姿は、ダンスは音楽の添え物ではないし、音楽もダンスのためのBGMじゃない、どちらも必要な音楽表現だ。不要な声や振りなどひとつもない。

そう考えると、SKY-HIは演者であり指揮者なのだろう。
勝手なイメージだけれど、社長よりもしっくりくる。SKY-HYの掲げた旗の元に集まった彼らを指揮し、育成しながら新たな表現へ進んでいくに違いない。数年後、SKY-HYではなく自分たちで指揮をとるようになった彼らがどんな『Gifted.』を奏でるのか。そんな想像も楽しい。

『Gifted.』がオーケストラならば、『かけがえのない世界』はミュージカルだ。はい、何度でもてちです。ホントすみません。でも、脳が勝手につなげてしまうので、仕方ない。

『かけがえのない世界』はFNS歌謡祭で一度パフォーマンスしただけで、他にはデジタル配信の音源しかない。パフォーマンスを見たとき、曲調やダンスの方向性、常にチームで踊るのではなく、2人や3人に変わる構成が贅沢なショーのようで、前に観た『シカゴ』を思い出したりした。

まさかミュージカル調がくるとは…やられた。そう思っていたが、甘かった。本当に自分でも意味不明だけれど、『かけがえのない世界』は音源を聞いたとき、より明確に「ミュージカルだ!」と思ったのだ。ミュージカルに必須のダンスや派手な演出が一切見えないのに、なぜなんだろう。

がなる低音に耳元で囁かれているようなゾクッとする低音、艶っぽい裏声……多彩な音とそれに食われることのない歌声だからだろうか。正直、まだ一度しかパフォーマンスを披露していないし、MVもないので、はっきりとは掴めていない。『かけがえのない世界』については、いつかMVを見て曲の世界観を受け止めてから改めて書きたい。じゃあ、ここで書くなよって言われそうですが、おさえきれず…つい。すみません。


「〇〇」FIRSTを問い続ける


まだ続くの? 長すぎだろ!って自分でも思います。
もうちょっとなので、もし、ここまでお付き合いいただいているのであれば、もうちょっと辛抱してください。

『THE FIRST』から誕生したボーイズグループの名前「BE:FIRST」が発表されたときは、正直、「Be Freeと間違えちゃいそうだな」とか「1番をめざすのかあ」という印象だった。その文字のまま、1位になること、売れることをめざすグループか。まあ、そりゃそうだよね。結果が伴わなければ新たな道は切り開けないし、ボランティアや趣味ではない以上、売り上げは大事な指標。といいつつも、どこかさみしさに似た感情があった。

が、違っていました。
いや、勝手に違うと解釈しました。

『Gifted.』をデビュー曲に選んだことやSNSを使った情報公開の仕方、グッズ販売などではなくクラウドファンディングという、資金調達とファンの「直接、応援したい!」という思いを叶える方法。ああ、これは1番といっても、単純に1位をめざすのではないだろう。

何を1番とするのか?

アーティストだけじゃなく、運営、ファン、みんなに投げかけているようにすら感じる。「ファイティングポーズではなくハグを」というレオの言葉もしっくりくる。

オーディションで「クオリティファースト」「クリエイティブファースト」「アーティシズムファースト」を掲げたように、それぞれが何をファーストにするのか決めて進む先にしか、新たなカルチャーは生まれないのだと思う。

自分は何ファーストか?
真っ先に浮かぶのは、「てちファースト」だ。では、そこに通じるモノが何かといえば、「想像力が刺激される」ということかもしれない。

流行っている、可愛い、カッコいいということよりも、「何だかわからないけど気になる。どういうものか想像したくなる」と思わされると、もう考えずにはいられない。入沼ですよ。しかも、今回、関係なさそうなこととアメーバーのようにつなげて想像する楽しさを実感したので、さらに沼が大きく深くなっていく予感。

だから、今の私が1番、望むことは『かけがえのない世界』MVの公開であり、パフォーマンスであり、てちが表現したいものを受け取り続けるということに尽きる。

もう少しわがままをいえば、色んな人とコラボをして表現がさらに広がっていくのが見たい。

その中にはSKY-HYもいてほしい。他者と戦うのではなく寄り添い、常に感謝を忘れず、表現に対してストイックな2人が重なり合ったらどんな音楽を奏でるのか。あらゆる音楽を肯定するBMSGなら、きっといつか……と妄想しておきます。

とりあえず、年内のFNS歌謡祭、Mステスペシャル……祈っています。


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