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月曜日のたわわ広告とその炎上について思うこと

note登録初日からいきなりの話題ですいません。

ただ、この月曜日のたわわの話題、これまでの自称フェミニスト炎上案件が凝縮されてるな~と思ったので、記事にしようと思いました。

もちろん、あくまで個人の意見であり、正義でも、正解でも、また他の誰かのご意見を否定するものでも御座いません。というかこの世に正義と正解は存在しないというのが個人的な意見です。

また、ソースの引用など手間なので基本的に
ソースは脳内
であることをご理解いただければと思います。

概要を超簡単に説明すると

・講談社の青年漫画雑誌ヤングマガジンの「月曜日のたわわ」の広告が日本経済新聞に載る

・漫画の内容が性的な表現が多いために、新聞の広告としては不適切と感じる人が怒る

です。まぁその他、国際的な組織のなんちゃらかんちゃらみたいな話もあるのですが、とりあえずの話としてはこんな感じです。

広告の内容としては、横向き立ち姿の女子高生がネクタイを締めているイラストでした。私自身、月曜日のたわわは、存在自体は知っていましたが、原作は読んだことがありません。それはおそらく、怒っている人の大半もそうだと思うのでお許し下しあ。

他の女性問題での炎上案件でもそうなのですが、今回も

フェミニストを自称する人たちが性的搾取であると主張し、
表現の自由を根拠に二次元文化に近しい人たちが擁護する

というある種「いつものパターン」に陥り炎上しました。

個人的にこの件で思った点を箇条書きにしました。

・女子高生をモデルにした広告は女性への性的搾取か?
・性的表現のある漫画は女性への性的搾取か?
・なぜ炎上するのか

といったところでしょうか。ひとつずつ考えていきます。

女子高生をモデルにした広告は女性への性的搾取か?

こちらが新聞に掲載されたものと同じ画像になります。

性的搾取とは何を指しているのでしょう。あなたにはわかりますか? 

このほかにも、過去の例で、制服姿の女子高生をモデルにした予備校やスポーツ・オリンピックなどの広告が、性的搾取であると非難されていたと記憶しています。正直、非難する方たちの意見を直接聞いたわけではないので、自分の理解の及ばないことではあるのですが、制服での広告活動が、モデルの方や、その他女性への蔑視につながるということでした。

そういった価値観を持った方が存在するのは、まぁいいでしょう。でも、そこにあまり筋の通った根拠はないように思います。ちゃんとした理由があるなら理解の余地もありますが、納得のいく理由をネット上で見たことがありません。非難して抗議するなら、他者を説得させるだけの理由が必要だと思います。

月曜日のたわわの広告も、裸体や局部・下着の露出でない以上、公序良俗に反していないものであり、私自身は性的ではない、ないし性的搾取ではないと考えています。左下の露骨に胸部を強調したコミック表紙を見るに、広告側のイラストは配慮すら感じます。(結局新聞には載ってんじゃん、というツッコミはしてもいいと思います)

性的表現のある漫画は女性への性的搾取か?

これは意見の分かれるところかもしれません。犯罪者の中には、そういう性的なコンテンツを見たことが、犯行のきっかけとなったと供述する人もいたでしょう。犯罪者でなくとも、女性を性の対象として扱う描写を見て、現実でも女性に対してそういう接し方をしてしまう人がいたでしょう。(これも犯罪者か)でもそれはその人の問題ですよね?

他人に対する理性、敬意、人権尊重の気持ちがあれば、いわゆる「創作と現実の区別がつく」人であれば、性的搾取はきっと起きないのではないでしょうか。その人として基礎的な価値観を作るのは育ってきた環境によるところが大きいでしょう。

性的な表現のある漫画は悪ではないと私は思います。

なにより、漫画で性的に搾取されているとされるキャラクターは現実に存在していません。存在に対して無責任でいられる。そのうえで、反社会的な行動、反倫理的な行動の描写に対して、自分がどう感じ、どう喜び、どう悲しむのか。これは文学に対する姿勢と同じく、一種の人生のシミュレーションなのです。小説はよくて、漫画はダメ。そんな非合理な理屈は通りません。作者側にも、読者側にも、他者に迷惑をかけない前提で、自己の内面の追及の自由があると思います。反社会的な欲求を抱えつつ、それでも創作活動や創作に触れることで、なんとか社会に適応して生活している。そんな人もいると思います。

性的なほのめかし以上の描写のある漫画に関しては、成人向けでなく、少年向け、青年向けのものであっても、私は軽度のポルノコンテンツのようにとらえています。需要と供給の上で成り立ち、現実とは区別して楽しむもの。ゾーニングという線引きは必要だと思いますが、節度を持って楽しんでいる人間から取り上げることは、健全ではないと私は思います。かつてアメリカで酒が禁止されたときに、犯罪組織が酒の売買で幅を利かせたように、正義をかざして規制をすると、反対に悪が栄えることになるのです。ポルノコンテンツを失い、性的な捌け口を失った欲求不満の男性たちが増えることは、はたして幸せな社会の訪れなのでしょうか。

なぜ炎上するのか

今回の月曜日のたわわの広告に関しては、上でも述べたように個人的にはどこが不快なのか分からないのですが、ここの「不快か否か」は自称フェミニストと二次元を擁護するオタクとの対立の中で語られていることだと思うので、彼らの立場を想像しての分析になります。

およそ、自称フェミニストの方々の認識として、

二次元の女性イラスト≒ダッチワイフ

くらいの認識である、と感じています。厳密にいえば違うのかもしれませんが、二次元キャラのメディアへの露出に対しての批判の熱量などを鑑みるに、このレベルの感覚で捉えているのだと私は思います。確かに、衣装を着ていても、露骨に胸元を強調していたり、ボディラインが不自然に描写されていたりして、性的な想像力を刺激するような見た目のことが多いですね。

一方、オタク側の意見としては、

服も着ているキャラクターに対し、性的だと感じるほうがおかしい

という意見をよく見た気がします。なにがこの意見のギャップを生んでいるのかと考えると、「二次元キャラへの慣れ」なのかなと思います。

ふだん、二次元のキャラクターに親しんでいるオタク側にとっては、「露骨に胸元を強調していたり、ボディラインが不自然に描写されていたり」することは、もはや当たり前の描写すぎて、性的ではなくなっているんです。

このギャップが、自称フェミニスト・二次元キャラ炎上のキモなのだと思います。

性的な描写のイラストを不快だと規制したがる自称フェミニスト。
vs
性的でないキャラクターを否定する自称フェミにキレるオタク。

なんてお互い独り善がりな争いでしょうか。ここまで書いてきて、なんだかこれ以上書くのがむなしくなってきました。。。

私はどちらかといえばオタクの立場です。

なぜかといえば、多様化する社会の中で、二次元のキャラクター文化は、もはや日本に誕生してしまったもので、それが法律に反しない以上、受け入れるべきものだと考えているからです。

人の目に触れる広告とはいえ、もとは二次元のキャラクターは、娯楽を基にしたコンテンツで、その娯楽を広告に使っているということは、広告の対象はそれを不快と思わず、注目する集団ということですよね。不快に思う集団は、初めから宣伝の対象に入っていなかったというだけのことなんですよ。

法律に触れておらず、一部であっても、他者が受け入れているものを、不快であると否定する。これはある種ステレオタイプ的な行動で、多様性を求める昨今の風潮とは真逆だと思います。私がしつこく「自称」フェミニストと呼称してきたのはここが理由で、自分の理解できないものは否定する、攻撃するというのは、いわば「最近の若者は」などと本質的に同じ、すでに持っている価値観を捨てられない人なのだと思います。それは、すべての人間が尊重される社会を目指す過程であった本来の「フェミニズム」とは別物なのではないでしょうか。

二次元キャラの性的ほのめかしのある描写を理解しろ、とはもちろん言いません。私自身オタクであっても、分野によって「うわ。。。キモ。。。」と思うジャンルもたくさんあります。なんなら一人旅に行ったら実はアニメの聖地で、知らないキャラクターのラッピングバスや船に乗せられてちょっと居心地の悪い恥ずかしい思いをした経験もあります(おのれラブライブ)。

でも、それが今の日本なんだなと思いました。周囲にはそのアニメのファンだと思われる人たちがあふれ、観光を楽しんでいました。文化が多層的にその観光地に魅力を付与している。これまで来なかった層が観光に訪れ、地域の経済を動かしている。もちろんそのキャラクター達も「スカートそんな短くする必要ある?制服でそんな巨乳になる??」といえるくらいにはおそらく性的でした。それが今の多様性のある日本なんです。

本当の意味で女性の権利を守るには

これまで、月曜日のたわわを取り上げ、二次元キャラクターのメディア露出や女性問題について書いてきました。

私個人としては、女性の問題を考えるうえで、アイドルや、グラビアアイドル、AV女優などが表立って語られていないことがすごく不思議です。彼女らにも当然人格があり、性的搾取の温床だと思うのですが、なぜなんでしょうね。二次元のキャラより、当事者の意思が介在する分、表立って否定できないからなんですかね。

世の中の男性のジェンダー意識の低さを体感で感じていると、数々の女性問題を、性的なコンテンツのせいにしてしまう気持ちもわかります。しかし、問題の根底にあるのはそれまでの日本の文化的・社会的背景が、女性蔑視的な価値観を有していて、現在もそれを引きずっていることにあると私は思います。かつては(1990年代ごろまで?)、民法のバラエティ番組でも、ゴールデンタイムにバカ殿などでセクハラを笑いとして放送していたような気がします(親が見せていなかったので具体的にはわかりませんが…)。今では、民法も、視聴者への影響力を配慮してか、コンプライアンスとしてそういうシーンを提供してはいません(・・・よね?あまりテレビを見ないので自信はない)。

そのため、現在、性的搾取の加害者になる人は、

・時代遅れの価値観を持つ人
・創作と現実の区別がつかない人(犯罪者予備軍)

ということになると思います。

前者に関しては、被害を受けた女性がはっきりと拒絶、抵抗の意思を示すこと。また男女問わず、周囲の人間が被害者を守ること。これに尽きると思います。被害者を孤立させないこと、価値観を社会全体で是正していくことが大事なのかなと思います。

後者に関しては、発達に課題を抱えていたり、家庭環境が複雑であったり、社会的孤立・貧困などを抱えて精神が病んでしまった人など、社会には一定数こういった人たちが存在します。通り魔・変質者・痴漢タイプの人たちです。さらに、ここに前者の要素「時代遅れの価値観」が合わさると、犯罪へのハードルはぐっと低くなるのではないでしょうか。上司に叱られたから。家庭で居場所がないから。給料が低いから。そういった要素を理由に犯罪に手を出してしまう人の割合は、決して少なくないように思えます。

これに関してはもう自衛するしかありません。悲しい話ですが、こういった男性が将来減ることはあっても、いなくなることはないでしょう。人間という生物の不完全さであり、性差の埋められない部分だと思います。女性にとって生きづらい社会ですが、社会全体が取り組み、女性の権利を守れるシステムができるといいなと思います。

まとめ

まとまらなくてすいません。本日は以上です。

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