私と夢創作の日記~個人的な感想2021・梅雨前の湿気を添えて~

全部『私』の話です。ただの自分語り日記。

・私と夢創作の出会い

 子供のころから「ドラえもんとのび太と冒険したい」「クレヨンしんちゃんの世界に入って遊びたい」「忍術学園に入ってくのたま(くのいちのたまご)になりたい」と思っていた『夢女になることが約束された勝利の存在』こと、私です。
 こんな私ですから、好きな漫画のタイトルを検索すれば名前変換サイトに出会うし、「いきなり名前入力を求められた……!!」とビビっても実父の本名を入力するし、突然実父とキャラの恋愛小説が始まっても「なんだこれは」と興味を持ちます。そんな私です。

 上記にあるとおり、私と夢創作の出会いは衝撃でした。
 私はNARUTOのシカマルのことが好きで、ただ彼を知りたくて『NARUTO シカマル』と検索しただけなのに、誰かが書いたシカマルの夢小説ページがヒットしてしまったのです(補足すると、当時は検索避けという考えが浸透しておらず、同人サイトがyahoo等の検索にヒットするのも珍しくなかった)
 突然名前を求められ、「なんか変なサイト踏んだかもしれない。此処に名前を打ちこんだら私の個人情報が抜き取られるかも」と慌てる私。ネットのことよく知らないキッズそのものですね。
 そして最悪なのが「自分の名前を打ちこんだら、私の個人情報が抜き取られる」という理由で『父の名前を打ちこむ』んですね。「父の個人情報は別にいいや」とでも思ったんですかね。最低。速攻で身内を売る屑の鑑。私です。

・ろくろを回す私と、装甲が紙の私の解釈

 そんな私の最近ですが、Twitterで夢創作関連のツイートが良く回って来るのを目にします。炎上案件だったりアンケートだったり様々ですけど、そういうのが回って来るたびに「私にとって夢創作とは……」とろくろを回します。
 夢創作、個人的にどんな存在なのか説明するのが難しい存在です。多分、私の中でもはっきりとしていないんだろうと思います。
 夢創作はBL、GL、HL(以下、三つそろって使う場合は3Lと呼称する)といった「『男と男、女と女、男と女』の話」みたいなざっくりとした括りが無いため、良く言えば自由度が高く、悪く言えばはっきりとした基準がない(個人的主観に基づく意見)
(余談だが、私の中では3Lはどれかといえば『属性』という括りで、夢創作は『属性』でありながら『創作の分類』の括りのイメージ)(一次創作も二次創作も夢創作も3Lを含み、また一次創作も二次創作も夢創作を含むので)(ややこしい)

 夢創作の主人公・ヒロインーー所謂『夢主』の性別は男でも女でも良いし、なんなら人間じゃなく動物・無機物でも良い。
 書き手は夢主を書く時『自分だ』と思って書いても良い。『この話を読んむだろう"あなた"だ』と思って書いても良いし、『自分の創作キャラだ』と思って書いても良いし、『何処かの誰かだ』と思って書いても良い。
 作品のテーマとして恋愛を扱っても、扱っていなくても良い。友情でも良い。憎しみでも良い。嫉妬でも良い。なんならキャラと関わらなくても良い。

 私にとってはそんな存在、『夢創作』。自由度が……自由度が高い……。
 そのため、今まで私は『夢創作』を『原作に登場しない(もしくは明確な描写が無い)存在が出てくる』『またその存在の名前を自分で決められる』くらいのざっくりとした感じで認識していた。

 しかし、先日twitterで回ってきたアンケートを見て色々考えるようになった。曰く『名前変換ができるゲーム(主人公=プレイヤー=あなた)での主人公とキャラが関わる二時創作をする場合、あなたにとって夢創作かどうか』という内容である(書き手に向けたアンケート)

 いや、考えた事もなかった。考えた事も無かったので、さっそく上記の『原作に登場しない(もしくは明確な描写が無い)存在が出てくる』『またその存在の名前を自分で決められる』の説得力がThe END。無様……。
 『名前変換ができるゲーム』……ようはFGOとかツイステとかとうらぶとか艦これとかアイマスのことだと思うんですけど、その主人公(マスター、監督生、審神者、提督、プロデューサー)とキャラの関わる二次創作……夢創作かどうか……。FGOのマスターは個人的にはキャラという認識だけど……。

・私が書く『私の夢創作』の基準は一体なんなのか

 私は常々自分の二次創作の仕方を『お人形遊び(人形劇)』だと思ってるんですが。
 と、いうのも、私の二次創作に対するイメージが

 【他所様(の劇団)が所有する人形やセット(原作)を『人形を作る私』と『セットを作る私』が模倣して、その模倣人形と模倣セットを使って、『脚本家の私』と『演出家の私』で人形劇をしている】

 なんですね。
 模倣された人形は文字通り『模倣』なので、元の『他所様(の劇団)が所有する人形』に比べるとちょっと顔やかたちが違うんです。目が大きかったり、鼻が高かったり、筋肉質になってたり、細くなってたり(これがひとからすると解釈違いに繋がったりする)
 模倣されたセットも、私の都合に沿うようにちょっと調整してあったり(極端な言い方すると、大阪と東京が隣になってるとか)
 で、自分好みに模倣した人形とセットで劇をやるんです。『今日はAくんとBくんがご飯を食べに行く話』とか『BくんがAくんを置いていく話』とか。「あの劇団のあのキャラがもしこんなことをしたら」というIFの劇。これが『私』の二次創作のイメージ。
 
 で、これが夢創作だと「この劇にこんなキャラがいたら(私が)面白いな」になるんです。

 他所様の劇(原作)は勿論面白い。けど、『Aくんがもし宇宙人と出会ったら』とか『Bくんがもし女の子とダンスを踊ったら』みたいなIFを、『脚本家の私』が書きはじめ、『演出家の私』がアイディアを出し、『セットを作る私』が舞台を組み立て始めるんです。
 そしたら、今までは模倣人形を作っていた『人形を作る私』も「シナリオに沿うような人形を作るか~~」になり、宇宙人の人形や女の子の人形を作り始めるんです。そしてだんだん『この宇宙人(の人形)出番増やしたいな』『この女の子(の人形)もっと設定を付加しても良いな』になっていく。たまに顔があるような無いような黒子のような人形も出来てくる。
 そういった模倣人形ではない『人形』を使い分けるのが、『私の夢創作』なんだろうなあってのが、今の私の認識です。

 なので、FGOのマスター(ぐだ)は公式から容姿も性格も出されているので、仮にぐだとキャラクターの人形劇をしても、この劇に出てくる人形は全て『模倣人形』なので、ただの二次創作になるんだと思います。
 逆にツイステの監督生、とうらぶの審神者、艦これの提督、アイマスのプロデューサーは、「こういう役職でこういう設定だよ」という指示書(?)は有りますが、姿かたちは『人形を作る私』に一任されているものだと思っているので、『模倣人形』でない人形を作ることが出来ます(指示書(?)は『脚本家の私』が使っている)
 多分、私が作る人形が『模倣人形』か否かが、私の中での夢創作かどうかの基準なのかもしれない(はっきりとは言わないんですね)(はっきりとしてないからね)

・私のろくろは止まらない

 こう書いて分かったけど、私の夢創作は読み手に『主人公・ヒロインはあなただよ』っては言えてないんですね。「主人公・ヒロインは私」と思って夢創作を読むタイプの人に意識が向いていない。
 それどころか、私は私の上映したい劇を一方的に開演しているだけで、観客(読み手)のことをほぼ考えてないんですね。舞台に観客を参加させる意識が無い。「俺の考えた劇を見ろ!」って感じ。独りよがり~~!!
 誂えた人形も自分の好みで作ったり、もしくはストーリーに合せて作られたりしていて、観客(読み手)に向いた人形が無い。一応、人形に名前を付ける行為(名前変換)が可能ってだけで。

 というのも、私の二次創作に対する読み手へのスタンスが「私の性癖が刺さる人に刺さればいい」なので、オブラートを剥がして言えば「私に合う読み手だけ来い」なんですね。夢創作にもそれが滲み出ている。
 私の使う『夢創作』というラベルも、「夢創作かどうかはわからないが、この創作物に合う名前がわからない」から『夢創作』と付けているだけかもしれない。もうなにもわからない。

 夢創作ってきちんとした定義が無い。
 本当に人による。人によるので、こういう「私の作っているこれは果たして夢創作なのか?」と言う疑問が生じる。自分の思う『夢創作』の輪郭がつかめていないから。すぐ他者に影響されるから。俺は弱い。

・Is my this 夢創作?

 でも、私は私に『夢創作』を『夢創作』だと信じたい。とりあえず「私はこれを夢創作だと思って提供しています」という札は掲げて生きていきたい。
 読み手にも「私の夢創作に出てくる主人公・ヒロインを『これは私だ』と思っても良いし、『作者の創作キャラだ』と思っても良いし、『何処かの誰かだ』と思って良い」と伝えていきたい。
 ただ『主人公・ヒロインは作者(私)ではない』というつもりなのは主張していきたい。私は自作の劇に上がるつもりはないので。自作の劇では舞台に上がらず裏方でいたい、複雑な私心(わたしごころ)。

 あと、読み手としての私は「これは夢創作です」と出されたものに関しては「夢創作なんだな」と受け取ります(流石に夢主っぽい存在が出ない創作物に関しては「夢創作とは?」ってなりますけど)
 また、他者の夢創作を読むときの私は、『私』として読むこともあるし、『私じゃないもう一人の私』として読むこともあるし、『作者の用意したガワを被ってる私』として読むこともあるし、『私じゃない誰か(作者の創作キャラとかモブとか"誰か"とか)』として読むこともあります。

・結論:自分を信じて好きにやる(他者を否定しない範囲で)

 『これこそが夢創作の有り方!基準!指標!』みたいなのって、今のところないと思うんですよね(超個人的感想)
 だから私は自分の信じる『夢創作』をして行きたい。ジブンダイジニ。
 なんでまあ、私の夢創作を第三者が「ワタクシの基準にそぐわないから」という理由で「オナニー」って言ってくる奴には怒っていきたいな(そもそも一次二次に関わらず創作という行為自体がオナニーなのでは?)(そもそもオナニーって別に悪い事ではなくない?)(しかし他者に向けて使う言葉ではないよね)(それはそう)
 もし私が「私の基準(という名の好み)に当て嵌まらないので、これは夢創作ではありません!」とか言い出したら誰かヘッドショットを決めてくれよな。救う手だてはない、もう手遅れだ。

 夢創作、幅が広すぎて大体のモノを『それ夢だよ』と言える懐の深さがある。
 「推しキャラのおばあちゃんになりたい」?それは夢です!!(しかし本人が『夢』というラベルを拒否するならそれは『夢』ではない)(本人の自認が大切)

 散々捏ね繰り回しましたが、今のところの結論は「自分を信じて好きにやる」です。私は人間なので、もしかしたらこの考えが時間とともに変わっていく可能性はありますが、今のところの結論はこれです。人間は変わる生き物。

 今後もこうやって捏ね繰り回す我々でいような(此処で言う『我々』は私の中に複数存在する『私達』をさす)(決して私以外の誰かを含めた『我々』ではない)

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