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警戒感は監視度、離島の公衆衛生

「緊急事態宣言の対象地から来た人と会った」というのは、どれほどの破壊力がある言葉なのでしょうか。先週、久しぶりに訪ねた豊島で目の当たりにしました。警戒感があるからこそ、豊島(てしま/瀬戸内海)の公衆衛生が守られているのであり、行政区ではなくこの島から感染報告が出ていない理由でもあります。

「噂されているのだろうな」という憶測はあるものの、面と向かって(電話ですが)「大阪からきた人と会った〇〇さんには会えない」と、〇〇さんに宣言する場面。電話越しでも、○○さんの硬直ぶりが透けて見えるようでした。2次被害はこうやってひたひたと侵食していくようです。

豊島事件が全国ニュースになって、豊島の人は風評被害にあいました。遠足に行った中学生は「ゴミの上を歩いているんだろう」と心ない言葉を書けられ、郷里の豊島から送られてきた果物をご近所におすそ分けすれば翌日のゴミ集積所に出されていたと、産廃視察の際に長老が語り続けてきました。有害産業廃棄物不法投棄事件は、各種の有害物質について含有量とその危険性が報道され、そこから生活に直結した短絡的な展開になるのも明確です。

公害は3度殺されると、石井亨さんが著書「もう『ゴミの島』と呼ばせない」に書いています。加害企業に殺され、法や政治に殺され、世論に殺される。公害事件に終わりはないのです。その構造は、水俣も福島も同じです。そして2020年からのウイルス。

人口800人に満たない離島は、昨年「島へこないで」と呼びかけてニュースになりました。よそから持ち込まれるものに対して、行き着く先は「よそ者」という括りが発動されます。排他的というか優生というか、区切ることでアイデンティティを保ってきたのでしょう。裏表、または正誤の境界線は島に生まれて島で育っているかどうか。何代までさかのぼれば不問となり、何代続けばとけあえるのでしょう。島という区切られた生活圏のありようは特殊なケースではないように思います。


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