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環境を学ぶ島へという希望を語る場面で終わる

豊島の産廃視察をアテンドするたびに、住民手づくりの「こころの資料館」に立ちます。入り口から左手に、壁一面に掲示された名簿があり、豊島の人はその部屋に入るごとに目礼をされていました。公害調停申請人として名を連ねた戸主549名のお名前が書かれています。請時の1993年から、豊島問題はすでに27年以上が経過した今、名簿の半数以上に喪章が掲げられてい流のです。

豊島の長老はかつて視察の時「豊島を学びの島へ」「環境問題が学べる島へ」という、ある種の方向性を示す言葉で説明を締めくくっていました。実際、「島の学校」という夏合宿を10年開催し、マスコミや大学教授を講師に、一般参加者と共に島の人も豊島事件を捉え直ししていました。

豊島の有害産業廃棄物不法投棄事件を、公害調停で完全撤去へと舵を切らせた豊島の人々に、足元の家庭排出のゴミをどうするまで「理想を求める」のは第三者の強要かもしれません。なぜ、上勝町のゼロ・ウエスト運動が島で起きなかったのか。
いつも考えることです。

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