塗り替えられた賞賛の名称
豊島(てしま/瀬戸内海)に福祉施設が3つありました。特別養護老人ホームナオミ荘、社会福祉施設みくに園、移転した乳児園豊島神愛館(2015年)。現在は2園です。
豊島の長老は、産廃視察の際、豊島の概要を紹介しながら三園にも触れ、「大きな福祉施設が三つあるということで、豊島は福祉の島という人もおります」と話していました。トリエンナーレの瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)ガイドブックでは、豊島を福祉の島と紹介しています。メディアが繰り返し引用しているうちに、さもそれが当然のように称されるようになりました。
離島に福祉施設が3つ、その成り立ちと島の人の暮らしはどう繋がっているのでしょう。
現在開催中の写真展「豊島30年」を見てきました。豊島事件と豊島の日常を3つの年代で定点撮影したものが展示されています。在廊している太田さんに、話を聞くことができました。「豊島の人はゴミの島と言っていたなあ」というのです。ゴミの島という言い方は、マスコミが狙ってつけた「ゴミが降る島」から派生したと思われます。自嘲気味なのか投げやりなのか、自らの島を「ゴミの島」と言っていたのは産廃ばかりではありません。
●大島へ通って、窓から海に面した写真が撮れた。彼らは四角窓からの眺めを見て逝くのか。
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