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豊島だけじゃなかった、離島が押しつけられていること

豊島(てしま/瀬戸内海)の有害産業廃棄物不法投棄事件を、当事者から聞き取りしていると、いくつか問いが生まれます。
豊島はなぜ住民運動が成立したのか。

先週犬島(いぬじま /岡山市)を訪ねて、島民は26人と聞きました。集落を歩けば、空き家が「家プロジェクト」にすり替わり、人の気配を感じない静寂さが時を止めたかのようでした。犬島の歴史をネットで検索しただけでは、正誤が曖昧です。犬島の精錬所跡地が近代化産業遺産に認定されていることで、ある面の価値は高まり、ある面の事実は塗り替えられ、ある面の語りは一切封じられていることでしょう。文献をあたって、犬島の住民自治を調べる必要が出てきました。犬島が時代に翻弄されたいくつもの記述は、島外資本による面ばかりで、なにを引き換えに島は外資を受け入れたのでしょうか。

豊島だけじゃなかったのです、犬島も過度に繰り返し何かを強いられてきたと仮説が容易に立てられます。水俣も、大島も、国策という名の下に人権が踏みにじられています。水俣は公害そのものに加え、社会に晒され多くの研究対象となりました。豊島事件を追いかけていると、共同体主義(コミュニタリアニズム)に行き当たります。

公害調停成立後の廃棄物対策豊島住民会議(略称:住民会議)で議長を務めた砂川三男(すながわみつお)さんは、若い頃、豊島を立て直す会に入っていたと言います。10人で結成した会です。メンバーの名前も会の名称も聞いていますが、ここに記すのは控えます。

豊島と隣の直島を比較した四国新聞社の連載も、必要な目を持っています。

↓豊島の産業廃棄物処理跡地

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犬島参考資料
↓近代化産業遺産群 33 - 経済産業省


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