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豊島の暦とカレンダー

節分の前日、農閑期に田んぼで作業をしている人をちらほら見かけて、田おこしをするのかなと思いました。豊島の長老に聞けば、節の移り変わりと共にこの時期は何をやると教えてくれます。農作物の段取りを考えて、今必要なことをする。その考え方が1年を通して体に染み付いていて、そんなことを哲学者の内山節は「円環する時間」と言っていたように思います。カレンダーはあっても、農作業は暦で動くのです。長老の田んぼも畑も農機具小屋もそれは見事に整然としていました。

考え方や動きの基本的なことが、長老の場合、土と共にあります。農業で食べていくと決めて30過ぎまで専業農家として働くも、これでは子どもたちを養えないと勤めに出ることにしたのです。そこから経理や宣伝、果てはツアーコンダクターまで務めました。その後、豊島事件の住民運動に関わり、2000年の公害調停成立の時は筆頭議長を支える副議長、安岐議長亡き後は筆頭議長になりました。自治会とは別の組織で、国や県と渡り合う交渉術。もちろん弁護団と共に最前列です。長老の力が遺憾無く発揮されたのは、島内の意見をまとめるとき、水面下で民意を総意に変えて言ったところにあるでしょう。

年を取っても田んぼができるようにと早くから不耕起栽培に取り組みました。はざ掛けしてお日様で乾燥させたお米は「砂じい米」と名前をつけられ、ネット通販された時もありました。見ず知らずの遠方の人にお米が売れたことが自慢なのではなく、誰が食べても美味しいお米を作り続けることが長老の生きがいなのだと今なら思えます。農機具小屋と暦。

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