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アートを塗り替える離島のこれから

2022年に瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)を開催すると、実行委員会から2021年7月に公式発表がありました。観光客が動き始めた離島では、防護服を脱ぎ着する救急搬送の訓練をしたり、「いまはまだ来ないで」と呼びかけたり、島内の発症者0を強く維持したい時期でした。高齢者率が高く、在住の医師がいない離島では「瀬戸芸で感染が島に広がったなったら…」と不安の声が高まりました。

豊島(てしま/瀬戸内海)は、2010年の瀬戸芸以前から観光業が成り立っていました。昭和30〜40年は海水浴です。砂浜に海の家が並んだと、豊島の長老から聞きました。かくいう長老も「民宿 砂川」の看板を掲げ、夏場は契約会社の保養所としてお客様をもてなしたのです。
トリエンナーレの瀬戸芸が始まって、2019年は107日間の会期中14万人が豊島を訪れました。移住者による宿泊業や飲食業の開店が目立ったのは2016年以降です。豊島を舞台にしたクラウドファンディングも盛り上がりました。2019年にも開店が相次ぎ、港に船がつくたびレンタサイクルの看板を掲げた客引きが連なるようになりました。

島の経済は、一見観光頼みのように見えます。コロナ禍の2020年、商いを閉じる、あるいは島を離れるという厳しいケースも見聞きしました。2021年4月上旬、島内を走るシャトルバスは乗客がいなくても時間調整のためバス停に止まっていました。学生の姿はちらほら見かけましたが、観光客で賑わっていた時期から比べると、閑散としています。それでも、鮮やかな空と穏やかな瀬戸内海、くっきりとした山並みの色が、あるがままの豊島を感じさせてくれました。

アート観光を抜きにして、離島のこれからをぼんやりと考えています。日本の縮図という例えも当てはまり、観光という一種浮かれた非日常よりも豊島にはローカルが色濃く感じられます。旅先で「暮らし」を感じるのもなんだかなあ。豊島を「旅先」と仮定しないなら、人はどういう理由で訪れるでしょう。人がこない○○が成立する離島。「豊島を学びの島に、環境を学ぶ」というかつてのスローガンが、今になって効いてきます。


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