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スプートニク事件から詰め込み教育が始まり、今ここ

スプートニク事件を機に、日本で詰め込み教育が始まったとEテレ「ズームバック×オチアイ」で語っていました。1957年、ソ連がアメリカに先駆けて人類初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げました(生まれていません、わたし)。この衝撃が、戦後の教育に大きな影響を与えたと言っています。#4「教育の半歩先」の回です。学歴社会、受験戦争、落ちこぼれが社会運動になるまで、詰め込み教育は続きました。番組では触れていませんが、その弊害が安保闘争と学生運動ではないかと仮説を立てました。

1980年代の校内暴力、荒れる中学生の社会現象がぽっと出たわけではないでしょう。布石があるのです。羽仁進監督の映画「不良少年」は1971年作です。世代は違えどもトレンドに共通項を見出すなら、抑圧を感じる健全なエネルギーが溢れていると言えるのではないでしょうか。

羽仁進監督のドキュメンタリー「教室の子供たち」は1955年制作です。Eテレ「ズームバック×オチアイ」で紹介していたのは自社のアーカイブ。1959年、NHKのドキュメンタリー「山の分校の記録」です。栃木県栗山村土呂部に、1年間最先端のテレビを貸し出し子ども達の変化を追った記録。テレビを受像機と言っています。「彼らが一度も見たこともない世界が眩しく飛び込んできた」

インターネットの登場以降、テクノロジーの進化が急加速。教育の現場が世の中の変化に追いつきづらい時代。日本のデジタルメディアの教育利用は世界の先進国に比べて20年遅れとも。ようやく昨年、全生徒にタブレットを配布する国のギガスクール構想がスタートしたばかり。
教育とは、新しいメディアと向き合うこと
常に社会は常にあたらしいメディアと触れ続けている。
子供はそれを学ぶ、一番みずみずしい人々。
彼らが得てきたもの発見してきたものと教員は常に対峙しなければならない。 (編集長オチアイさんの言葉)

日本の教育は「詰め込み」から「ゆとり」へ、今は「生きる力」らしいです。番組の中盤で「豊かさ」を編集長オチアイさんが語ります。わたしは個人的に豊島を「豊かな島」と形容する紋切り型の記事にうんざりしています。そこに、新たな視点を与えられたような気がします。

心の豊かさ
技能の豊かさ
知的好奇心の豊かさ
「豊かさ」の教育こそ人生においてもっとも重要(編集長オチアイさんの言葉)

豊島を豊かな島と称する時、筆者の前提がきちんと語られていないことが多々ありました。「豊かな島」と称する記事の全ては、一つの引用の繰り返しです。引用元は、豊島事件を世に問いかける豊島住民が編んだ資料集「豊かさを問う」です。

この番組を機に、豊かさと戦後教育のフローを追いかけてみようと思います。

ズームバック×オチアイ

■タイトル画像について
ミライエ(高松市こども未来館)のエントランスに展示されていた作品です。ダンボールをつき合わせて立たせています。PHOTO by nami yamashita

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