好き嫌いがない君へ
だいぶ前のほっこりエピソード、略してほこエピを懐古する
場所は歯医者
その日は土曜日で、私は待合室でぼんやりしていた
待合室の3分の1はキッズスペースになっていて、カラフルなフロアマットが敷いてある場所におもちゃと絵本がたくさんおいてあった
そこで静かに遊ぶ男の子が一人
おそらくお母さんを待っているのだろう
一人で遊んでいるからか最初は小声気味だったが、しばらくするとこちらにも聞こえるくらいの声量で遊び始めた
私しかいない場所で、誰かに話しかけるかのように遊び始める男の子
これは一緒に遊んであげたらよいのか…と察しはじめる私
小さい子との絡みは苦手ではないが、声の掛け方が未だによくわからない
あとこういうのって全部ファーストインプレッションだし
やっぱそこがいちばん緊張するよ
私は初対面の人にいい印象を与えられたことが人生で一度もないし
子どもって素直だから顔に出るし
でも男の子をこのまま謎のイマジナリーフレンドと遊ばせ続けるわけにはいかないだろ
迂曲した庇護欲が勝った私は腹を括り、内心バクつきながら、そっと話しかけた
「…誰待ってるの?」
「ん?弟!」
「あ、お母さんじゃないんだ」
「お母さんは弟の付きそいで中に入った!」
「へ~~…」
よし、好感触。(多分)
不審者だと思われてなさそう。
それだけでもう十分だ
経験上、お子さまと挨拶を交わしたあとは流れに身を任せるのみであると心得ているので、この先は男の子のお遊びを見守ることにした
男の子はおままごとをしていたようで、手に木製のにんじんを持っていた
これから調理するようだ
「にんじん煮る」
「煮る?」
ずいぶん家庭的だ
「にんじんどうぞ」
「ありがとう。にんじん食べれる?」
「食べれる。きゅうりも食べれる」
「茄子は?ピーマンも?」
「食べれる。トマトも食べれる」
「え…偉い!」
トマトが唯一の嫌いな食べ物である私は絶句した
偉すぎる…この齢にして…
いや、何歳かわかんないけど…
とか思ってたその時、男の子に名前を聞かれた
また絶句した
こういうのは大人または年上側から聞いてあげるべきことだと思っていた故の絶句である
このご時世、男女関係なく怪しい奴は怪しいし、無意味に名前を聞く行為はもはや犯罪になりかねないのだ
そんな言い訳で頭をいっぱいにしつつ、ドキドキしながらフルネームを答えてしまった
私は名前を聞かれるとしっかりフルネームで応答する癖がある
TDSのタートルトークで当たってしまった時、公衆の面前でフルネームを披露してしまったぐらい板についている
私がフルネームで応答したからか、向こうもフルネームを教えてくれた
ついでに、通っている幼稚園と所属している組まで丁寧に教えてくれた
いい社会人になりそう。
ちょっと感動した
お互いの自己紹介後も、野菜中心のおままごとはしばらく続いた
時折受付の方に微笑まれながら、その微笑みに私だけ照れながら、待合室は和やかな雰囲気で包まれていった
あまり子どもとふれあう機会がない私だけど、この子は相当いい子なんじゃないかと思う
ほどよく人懐っこいし、なによりにんじんを焼くとかではなく煮ているのだから
にんじんは煮るのがいちばんだもんね。そうだよね。
そして、いよいよお別れの時である
診察室から私の名前を呼ぶ声が聞こえた
「じゃあね」と手を振ると、「ばいばい」と返事をくれた
どこまでもいい子だと思った
緊張したけど、不思議と満足感のある良い時間だったな。と診察台の上で早速懐古する
医者に向かって口を開けた瞬間、診察室まで弟を迎えに来たさっきの子が私の目の前を通り過ぎたようで、その時にまたしても「ばいばい!」と言ってくれた
私はしぬほど口を開けながら、必死に手を振り返した
その子のお母さん、医者、歯科助手が一斉に微笑み、また私だけ照れながら、口を開けていた
弟だけは診察室から一目散に脱出していた
もう一生、こんなぴゅあぴゅあ時間に巡り合えないだろうなと思えるほど、純度が高い思い出である
すてきな思い出をくれてありがとう
あの時の男の子へ
好き嫌いがないのが世界でいちばん偉いよ
どうかずっとお元気で、健やかであれ
🥕
おわり
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