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IDC2024で人外ゲーム作家として「もっと癖(ヘキ)なゲームを作りませんか?」というお題で登壇してきた話

こんにちは。人外キャラクターに魅了されて、自分好みの人外キャラクターと出会える・話せる・愛でられるゲームばかりを作っている「72studio(ななにいすたじお)」と申します。

※ はじめてお目にかかる方のために、以下に私の作品を紹介させていただきます。

現在つくっている作品その1「DRINKRIME(ドリンクライム)
「ジン」という酒瓶の形をした悪魔と一緒に、悪人たちを追い詰めて自白させていく。
現在作っている作品その2「BatteryNote(バッテリーノート)
3体のロボットのキャラクターたちと会話したり、高電圧を流したりして楽しめる。

昨日、Indie Developers Conference 2024 という「オリジナルのゲーム作品を個人~少人数チームで制作している開発者のためのカンファレンス」にて登壇してきました。私が登壇したセッションは「パネルディスカッション:もっと癖(ヘキ)なゲームを作りませんか?」というものなのですが、このときのことを忘れないように、noteを書いておこうと思います。


前置き:このパネルディスカッションに登壇するきっかけ

そもそも、私はまだ駆け出しのゲーム製作者です。まだ商業ゲームをリリースしていません。

そんな私が、なぜ、このIDC2024というすごいイベントで登壇することになってしまったのでしょうか?

じつは、事の発端は、私の何気ないX(旧Twitter)でのポストでした。

このツイートをした後、私のダイレクトメッセージの受信箱に、とある人物から唐突に以下のようなメッセージが届きました。

謎の人物から唐突に届いた、一通のメッセージ

とある人物とは、何を隠そう…IDC主催のお一人「一條 貴彰」さんです。
一條さんとは、以前から何度かゲーム開発者向けのイベントで面識があったのと、Xでも相互フォローの状態でした。また彼は、私が「人外キャラばっかり出てくるゲームの製作者」であることは認知していたと思います。

この時点では、私は「なんでいきなり、そんな話に…?」と狼狽するばかりでした。(彼の思惑は、のちにご本人からいただいた説明で明らかになりますが、この記事ではそのことについてはふれません。悪しからず。)
ですが、私にとってIDCは憧れの場。去年のIDC2023では、駆け出しの個人開発者として、憧れの開発者たちのセッションを目を輝かせながら聞いたり、おそるおそる憧れのパブリッシャーさんにゲームを見せにいったりと、あくまでゲストとして参加していた場です。そんな場で登壇者になれるチャンスがきた。そんなチャンス、二度と来ないかもしれない。
…そう思った私は、この話を二つ返事で引き受けたのです。

こうして、なぜか私のツイートがきっかけとなり、今回の「パネルディスカッション:もっと癖(ヘキ)なゲームを作りませんか?」というセッションが誕生し、私はそのパネルディスカッションに登壇することになったのでした。

本題:「もっと癖(ヘキ)なゲームを作りませんか?」で私が話したこと

IDC2024は実に楽しいイベントで、去年のIDC2023のように素敵な出会いや出来事がたくさんありました。ただ、そうした思い出についてはまた別の機会に語ることにします。
今回は、この「パネルディスカッション:もっと癖(ヘキ)なゲームを作りませんか?」というセッションにおいて、どんな話が行われたのか、そしてそのなかで私がなにを話したのかという点に絞って、端折りつつも書きつづっていこうと思います。

パネルディスカッションのテーマについて

「もっと癖(ヘキ)なゲームを作りませんか?」というテーマですが、これは要するに、「癖(ヘキ)」といわれるコダワリを持つことが、ゲーム制作にどんな影響をもたらすのか?といったことを共有するために設定されたものです。

「癖(ヘキ)」のことを、当セッションの司会進行でもある一條さんは「ゲームのシステム、世界観、ビジュアル、サウンドなどのコダワリ。他の人からどう言われようが入れてしまう、こだわってしまうもの。ゆずれないもの。」と説明しています。

72studioの「癖(ヘキ)」

私の「癖(ヘキ)」は「(自分好みの)人外キャラと出会いたい / 話したい / 愛でたい」というものだと思っています。私が人外キャラクターばっかり出てくるゲームを作っているのは、この自分のこだわりというか、願望を叶えるためなのだと思います。

…今回のパネルディスカッションではこのように説明したと思いますが、実際のところはもう少し複雑な欲求・願望が絡み合っているような気がしています。ただ、いまのところ明確に言語化できるのはこの辺までだろうということで、上記のような説明をしました。

前提:どんな開発スタイル?

ゲーム制作を商業的にやっている人なのか、趣味でやっている人なのかで、今回のセッションで話す内容のニュアンスが変わってきてしまいます。そのため、まず最初に登壇者たちが、それぞれどんな開発スタイルなのかを確認しました。

私は、商業的ゲームのリリースを体験していない、本業が別にある副業ゲーム製作者です。平日は就寝前に1〜2時間程度、土日はプライベートな予定がなければ全てを開発の時間に充てて、ゲーム制作をしています。
ただ将来的には、この割合を本業と逆転させるくらいには、成功できたらいいな…と思って活動をしています。とはいえ現時点では、高い売り上げ目標設定や、厳しい納期設定をしてストイックに取り組んでいるわけでもなく、あくまで「趣味」としてゲーム制作をしている人間です。

癖のルーツ

私の癖は「(自分好みの)人外キャラと出会いたい / 話したい / 愛でたい」というものですが、この欲求がいつでてきたものかという起源(ルーツ)を考えてみると、時は私の幼少期に遡ります。

子供の頃の私が好きなテレビ番組に、自我をもちしゃべる機関車たちと、その機関車をたばねる車掌や、乗客などの人間たちが共存する世界観の、英国の幼児向けテレビ番組がありました。その番組の、とある話に「生意気な機関車のキャラクターが、軽率な運転で沼地にはまって出られなくなり、助けをもとめるが、機関士からはあきれられ、子供達にもバカにされる。最後にはしゅんとなって車庫に帰り、反省する。」というものがありました。

まだ物心もついていない2〜3才だった私ですが、このとき心の奥底がゾワゾワし、妙に興奮したことを覚えています。

大人になった今、あらためて「あのとき、自分が何に興奮していたのか」をがんばって言語化してみたところ、「現実では自我はもつはずのない人ならざる存在が、人間とおなじ社会で共生しながら、人間のような感情をもち、ときに失敗したり、学んだりするという、ロマンティックでファンタスティックな世界観」に興奮を覚えていたのではないか、ということになりました。
つまり、これが私のなかで最もプリミティブ(原始的)な「癖(ヘキ)」…つまり癖のルーツなのだと思っています。
(ちなみに、IDCではここまで詳しく話していません。笑)

「癖(ヘキ)」によって、他のゲーム作品と差別化を行う意図があったか?もしくは、自然にそうなっていたのか?

さきほども言った通り、私の癖は、自分のなかの、きわめて原始的な欲求にもとづいたものです。ではこれを、どうしてゲーム制作に取り入れようと思ったのか?

この答えは簡単で、癖を軸に開発しないと、自分のモチベーションが続かなかったからです。

思えば、たくさんのゲーム制作プロジェクトをエターナらせて(頓挫させて)きました。とくに中〜長編のゲームについては、全く完成させたことがありませんでした。
しかし、今は2作も並行して、しかも開発開始から2年ほど経過した今でも、まったく気持ちが萎えることなく、制作を続けられています。何故でしょうか。

答えは、自分は「癖」に従った内容であれば、自分の根源的欲求を満たすために、エネルギーが無限に湧いてきて動けるからだと気付きました。

自分が生み出した、自分の好みにフィットしまくっている人外キャラクターたちと会ったり、ふれあったり、愛でたりするためだったら…いくらでも頑張ろうと思えてしまうのです。
これを自分は「癖(ヘキ)駆動開発」と勝手に名付けることにしました。

話を戻して、最初の「「癖(ヘキ)」によって、他のゲーム作品と差別化を行う意図があったか?もしくは、自然にそうなっていたのか?」という問いに答えると、答えは「自然にそうなっていた」というよりも「そうせざるをえなかった(差別化をする意図はなかった)」というものになるのかなと思っています。

なぜ、ゲームで「創作」をするのか

今回の登壇者たちは、表現をするための手段を他にも持っています。絵を描いたり、文字を書いたり…あるいは曲を書いたり。そうした手段をさしおいて、なぜ「ゲーム」を作ろうと思ったのか。なぜ「ゲーム」で創作をするのか、という問いです。

これも私の答えはシンプルで、「(自分好みの)人外キャラと出会いたい / 話したい / 愛でたい」という「癖(ヘキ)」のために一番適した手段だからです。

私が影響をうけたゲーム作品に「MINDHACK」というものがあります。本作では、プレイヤーは他人の精神をプログラムで破壊できる天才ハッカーとして、個性的で悪人たちをハックして、ハッピーな人格に書き換えることができます(公式ホームページより引用)。

えっ?「個性的な悪人たち」って、こんなにかわいい…

このゲームでは、プレイヤー主観の視点で、ハッキング対象となるキャラクターたちの表情をしっかり見ながら、対話したり、愛で(ハッキングし)たりできます。

…私がMINDHACKを初めて知ったのは、当時ひそかに推していたYoutubeゲーム配信者のプレイ動画だったと記憶しています(もちろん後日、ゲームはしっかり買ってプレイしました)。そのときは同居人と食卓を囲みながらその動画を見ていたため、リアクションはとれなかったのですが、心の中では「そうか!ゲームなら、こういうことができるんだ!こういうことを、やっちゃえるんだ!やっちゃっていいんだ!なるほど!!天才だ!!」と大きく膝を打ったのを覚えています。

そして私は、同時にこう決意しました。「ゲームなら、自分好みの人外キャラと、インタラクティブなコミュニケーションができる世界を作ることができる!自分の夢(ヘキ)が叶えられる!ならば、作るしかない!自分の理想郷となるゲームを!」と。

これが、「なぜ、ゲームで「創作」をするのか」という問いに対する、私の答えです。

癖を強く押し出すことのプラス面・マイナス面

「癖(ヘキ)」を押し出したゲームを作ることによって、恩恵を受けたか、損をしたか、という話です。

私は、対外的な話としては、以下のような面があるという話をしました。いずれも一般的な話っぽいので、簡略的に書きます。

  • プラス面:「**の人だ」というレッテルを貼ってもらえることがある

    • 例えば72studioの場合、ゲーム展示イベントに顔を出したりしたときに「ああ、あの人外キャラゲーの人ですか!知ってますよ!お噂はかねがね…」とか言ってもらえることが少しずつ多くなってきました。
      人に覚えてもらいやすくなる、認知度向上という意味で、私はこれをプラスに捉えています。

  • マイナス面:ターゲット層(市場)が狭い

    • ニッチな癖を抱えるゲームの場合、当然ですがプレイ人口が少なくなります。たとえば私の癖の場合は、人外キャラクターがゲームのビジュアルに多く登場している(人間が、ほとんどいない)ことで、人外キャラクターに興味がない人はそもそも手にとってくれないかもしれません。
      個人的には、まず自分がプレイしたいものを作りたい…好きな人にだけ届けばいい…と思っているので、そこはあまり気にしていませんが、商業的に大きく成功したい場合は、妥協するという選択肢もあるかと思います。たとえば私のゲームの場合、一般ウケしそうなかわいい人間の美少女・美男子をすこし登場させてみる、とかでしょうか。
      うーん、絶対イヤ。お断りします。いや、でもガワは人間だけど、じつは人外が化けた姿で、もとの人外形態に戻ることもあるヤツだったらギリギリ許容かなあ…?あとは人外バディものという前提で、人間のキャラクターを出すならセーフ…だけど、できれば自我のある人間キャラを自分の作中で動かしたくないんだよなあ…プレイヤーというポジションならいいけど、NPCキャラとして人間をうごかしたり、そいつの人生を考えることに対して正直モチベーションがあがらないんだよな〜…

同じ方向性の癖をもつゲーム製作者を増やしたい?

この問いは難しかったのですが、「増えて欲しい。その方が同じ「癖(ヘキ)」に目覚める人が増えて、市場が広がっていく可能性があるから。」という外向きな回答と、その一方で「自分よりも魅力的な癖ゲームが増えないで欲しい。なんかくやしいから。」という内向きな回答をしたとおもいます。

登壇のときは名言しなかったのですが、この回答に関連するエピソードとして、以下のような出来事がありました。

私は、ゲーム展示イベント「東京ゲームダンジョン」において「人外ゲーム島」というものを主催し、人外キャラクターが活躍するゲームの展示者の方々とイベント会場のなかに「島」をつくるような活動をしていました。
狙いはもちろん、おなじ方向性の「癖」をもつゲーム製作者や、プレイヤーに注目してもらって、認知度をあげることです。

その人外ゲーム島に参加してくれた製作者のひとりである「ばやちゃお」さんに拙作「BatteryNote」をプレイしていただき、ありがたいことに「いい趣味をしている」的なニュアンスで褒めていただいたのですが、そのときに私は「最近、ばやちゃおさん「癖」抑え気味じゃありませんか?もっと「癖」を全開にしたゲームを作ってみませんか?…お待ちしていますよ」というような明らかにナマイキな意見を申し上げてしまいました。

その結果、何が起こったかというと、「でびるコネクショん」という、とんでもないクオリティを誇る「癖(ヘキ)」ゲームが誕生してしまったのです。
(より詳しい経緯にご興味がある方は、以下のばやちゃおさんのブログをご覧ください)

このゲームが、それはもうよくできていまして…。もともと、ばやちゃおさんや、それをとりまくチームメンバーがとても凄腕のプロフェッショナル揃いということもあり、当然といえば当然の結果ではあるのですが、
先日行われたゲームダンジョン6で「でびるコネクショん」のサークルにできていた、長蛇のお客さんの列を横目に眺めながら、ひそかに「ああ…自分は、なんて人を目覚めさせてしまったんだろう…」という恐ろしさと「まあ、ばやちゃおさんなら当然だよな…だってめっちゃキャラデザインも絵も上手いし、っていうかプロだし、でびるんマジでかわいいし…実際自分もファンだしなあ…ハハ………。……いやでもなんかくやしい!!キィーーーー!!ぼくも長蛇の列がほしいぃぃ!!」という悔しさを同時に感じていました。

…話を戻しますが、自分と似たような「癖(ヘキ)」を持つゲームが増えることで何が起こるかというと、市場が広がる可能性があります。インディゲーム製作者が主戦場にしているゲーム流通プラットフォームの一つである「Steam」には、まだまだ日本の消費者が少ないらしいです。もし、とても魅力的な「癖(ヘキ)」ゲームがSNSや動画サイトなどで流行した場合、いままでSteamを知らなかった人たちが類似する癖ゲームを探しにSteamに流入してくるかもしれません。

一方で、ライバルが増えることで、自分のゲームが選ばれなくなる可能性も少なからず増えると思っています。個人でもゲームが気軽に作れる現代、作られるゲームの数は増える一方ですが、お客さんのもつお金や時間が増えるわけではありません。

…という、癖ゲームにかぎらない、ごく一般的な話をしましたが、
登壇終わった後ということでぶっちゃけると、個人的には、後者のリスクの面はそんなに気にする必要はないんじゃないかと思っています。

それに、おなじ「癖(ヘキ)」に共鳴してくれた製作者は、言い換えれば同じ想いを共有できる友にもなり得ますし、「人外ゲーム島」みたいに共闘体制をつくることもできるかもしれません。あるいはお互いに「あいつには負けてられない!頑張らなくては!」という競争心が駆り立てられて、いい刺激をしあえるライバルような関係性になれるかもしれません。

結論としては、同じ方向性の癖をもつゲーム製作者は増えて欲しいし、もし趣味があいそうなら、ぜひとも友達になってほしいなと思ってます。

さいごに

個人的に「癖(ヘキ)」という言葉は、なんだか最近のインディーゲーム界隈でトレンドになりつつあるような気がしているのですが、私は、「癖(ヘキ)」が全くないゲームというのは存在せず、その濃度がどれくらい高いか低いかの違いがあるだけなんじゃないかな、と思っています。

ゲームのコンセプトやキャッチコピーで打ち出されるレベルで、あきらかに露出した「癖(ヘキ)」もあれば、さりげなく盛り込まれたり、あえて隠して仕込まれるような「癖(ヘキ)」もあると思います。

個人的には、そうした「癖(ヘキ)」の強弱をどうするかということよりも大事なことがあると思っていて、それは「自分がほんとうに大切にしたい癖(ヘキ)を、しっかりと自覚し、見失わないこと」です。

「あなたのなかのプリミティブ(原始的)な欲求は、その「癖(ヘキ)」によって満たされますか?」

「誰かに言われたから、みんながそう言ってくるから、それを自分の「癖(ヘキ)」だと勘違いしてませんか?」

…要するに、自分のゲームに対して、他人から「これは君の「癖(ヘキ)」だね!」と言われたときに、本当にそうなのかどうか、判断できるかどうか大事なのではないか、ということです。なぜなら、他の人が、自分や自分のゲームに貼ってきた「癖(ヘキ)」のレッテルを鵜呑みにして、それを土台にして活動してしまうと、気付かないうちに、自分が本当にやりたかったこととズレていってしまって、ゲームを作ること自体がつまらなくなってくる…なんてことが起こるかもしれないからです。

とはいえ、他人から言われた「癖(ヘキ)」を自分のものにすること自体は全く悪くないとおもいますし、他人からいわれることで気づく自分の「癖(ヘキ)」もあると思います。

ただ、自分の根っこにある「癖(ヘキ)」がなんなのか、なんだったのかをしっかりと自覚しておくことで、等身大以上の自分を演じることになったり、自分にウソをつくことになったりして、ゲームを作ること自体が辛くならないようにして欲しいのです。

…かなりエラそうに言ってしまったのですが、実はこれは、今の自分にちゃんと覚えておいて欲しいことだったりします。

昔、自分が好きではじめたと思っていた活動が、周りが求める声に応えようとしたために、等身大以上の自分を演じてしまい、どんどん苦しい気持ちになっていった経験があったので、それを繰り返さないようにしたいと思って書きました。

今回、私が自分のことを分析して書いた「癖(ヘキ)」やそのルーツについても、現時点ではしっくりきていますが、今後「あれ、やっぱり違うかも?」となる可能性もある気がしています。そうなった時は、「いま自分がほんとうに大切にしたいこと・好きなことってなんだろう」ということをちゃんと振り返るようにしたいと思いました。


話がなんかズレてしまった上に、長くなってしまいましたね…!

もし今後、自分が商業作家として自立できるようなことになったら、またあらためて今回のことを思い出しつつ、振り返りができたらいいなと思います。

最後に、今回このような形で己を見つめ直す機会をくださった一條さんに、深くお礼申し上げます。本当にありがとうございました!



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