感傷と実理のバランス

こんばんは。夏目紗綾です。

最近は仕事をしていない時間に会計学の本やSEOの本を読んで勉強しています。自分の知らないことを知る時間って楽しいですよね。この前まであまり興味がなかった分野でも、自分が必要だと感じたら少しずつでも飲み下せてしまう、都合のいい自分の脳みそは少し気に入っています。

連日ライターの仕事に会計学、投資の本に、ブログの文章の書き方対策、記事の内容のリサーチ……。意外とやることが多かったりするのですが、やることが多いと一日があっという間に過ぎてしまいますね。

近頃は小説に触れる時間が少なくてそわそわした気分でごはんを食べています。

いろんな知識を勉強するのは楽しく、必要なことで、世界が広がっていくのは楽しいです。けれど、実用書とにらめっこし続けて何度も夜を越すと、なんでしょう、突然頭の中で訴えてくるものがあるのです。このまま離れていていいのか、このまま実用の世界に沈んだままでいいのか?

この訴えは実は今が初めてではなく、大学に入学したての頃にも聴こえてきた声です。

大学に入学したての頃、私は初めてのプログラミング言語に夢中で、友達を作るのにいっぱいいっぱいで、数学を飲み下すのに必死で、三ヶ月くらい小説を読まずに生活していました。

急に用事がなくなって家で起きた朝、どうも落ち着かなくてそわそわするのです。このままじゃダメなんじゃないのか、このままじゃ離れていくんじゃないのか?

私はこの声が心配しているものを知っています。

感傷の言葉を、情緒の言葉を、表現方法を、忘れていないか?離れすぎていないか?と確認してくる声です。

この声が聴こえてくる時私に足りないものは、風に揺れる枝のしなる音や、夕暮れ前に急に降ってくる小雨の音に耳をすませる時間です。

そういうときは、とにかく全部休んで、ただカーテンのそばに寄って小説を読みます。なんとなく乾いてきた気持ちになると、これが足りないのです。小説を読んだり、短歌を読んだり、窓の向こうから聴こえる子供の喧嘩する声や赤ん坊の泣き声に耳をすませます。この時間が、私を作っているのだと思います。

そういえばこうしてバランスを取っていたのだった、と思い出す土曜日でした。今日はクライアントさんが急用とのことで連絡を取ることが出来ず、お休みになったので、ちょうどいいと思って身のうちの声に従って過ごしてみました。

バランスが取れていないことをわかる声がいるというのは貴重です。

最近なんか走り続けてるな、と思ったあなたは是非、立ち止まってみてくださいね。丸一日使うと、なんだか心にすうっと通っていくものがあるような気がするものです。なにかを取り戻したような、どこかが潤っていくような。

多分人生に必要ななにかなんじゃないかな、とサラダ記念日をめくりながら考え、筆をとりました。

私のこの記事が、誰かの声の代わりになりますように。

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