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どんな運にいるかだけのこと

運がいいときと運がよくないときでできごとの捉え方が変わるし、運によって感情も変わる。ただ単に運がよくない時期にいるだけの人。その人の周りでなんとかしたいって思っている人。これ以上、苦しむ必要はないんじゃないかと思うんです。


運がいい人と運がよくない人がいて、そういった運という一般的には不確定な要素、自分自身でコントロールできないという意味において不確定な要素を信用できないとか、忌み嫌う人もいます。そうかと思えば、開運などという言葉にコロッとしてしまう人もいます。

どっちがいいとかどっちがよくないとかはありません。

運にも浮き沈みや波がありますから、それを見極めておく必要はありますし、運がよくないときと運がいいとき、それぞれに過ごし方というものもあります。

いまはポジティブシンキングが優勢でネガティブな言葉ばかりを話している人は煙たがられます。ですからネガティブな思考を仮にしていたとしても、発する言葉はポジティブなものでないといけない、そういった風潮にあるように思います。

ネガティブなこと、マイナス、弱気なことを発するときは実名ではなく匿名や仮名で行う。実生活、実社会では何となくポジティブなことを発していてもインターネットの世界では別人格としてネガティブな発信をする。アイコンももちろん本人とはわからないものを使用している。



運がいい人と運がよくない人がいると言いました。そして運にも浮き沈みや波があると言いました。

運の大きな流れは個人個人で周期が決まっています。10年間というサイクルは決まっているんですが、それが10歳、20歳・・・というタイミングで変わるか、14歳、24歳・・・というタイミングで変わるかは、それぞれ個人で異なります。

ですから、その周期によって運がいいとか運がよくないとか変わる。10年という周期ですから何かのできごとや経験がその人を変えたように思えるかもしれませんが、ただ単に運がよくなったとか運が悪くなったというだけだったりもします。


運がいい人は運がいいわけですから、いろいろな決断をしても基本的にまちがうことはありません。それなりにうまく行くでしょうし、困難があったとしても乗り越えていくことができるか、早々に方向転換し、それまでの経験を糧にすることができるでしょう。

しかし、運がよくない人は運がよくないわけですから、どのような決断をしてもうまく行きません。うまく行くというのがどういうことなのでしょうか?そういった発想になりがちです。平たく言うと周りがうまく行っていると思っていても、うまく行っているとは思えないのです。思うことができません。

ここにあるのは実際にうまく行っているとか言っていないという現実ではありません。その人の捉え方が異なるだけです。


「ないものではなくあるものをみよう」というのも最近の風潮です。耳障りのいい言葉です。運がいい人にとっては簡単なことで、当然のことかもしれませんし、この言葉がトリガーとなって身の回りにあるしあわせを勘定するきっかけになるかもしれませんが、運がよくない人にとっては意味ない作業になります。

それは運がよくない時期にいる人は基本的にネガティブな発想で、ものごとをプラスに捉えることができないからです。

しあわせを感じることが難しいのです。

ここにご夫婦がいたとしましょう。結婚20数年。子どもさんも大きくなって、子育てという期間もあとわずか。これまでご夫婦の間にはそれなりの波風がありました。離婚することも考えたことがあったそうですが、話し合いを積み重ねられ、何とか20数年の結婚生活をやってこられました。経済的にギリギリだったこともあったようですし、子どもさんの教育問題で家庭が大きく揺れたこともあったそうです。

これまでの20数年を振り返り、奥さまは「あと少しで子育ても終わるけど、何とか主人とやって来れました。いろんな時期がありましたが、主人と一緒にがんばって来れてよかったです」と。片やご主人さま「子育てはもうすぐ終わりますが、学費の問題がまだ少しも解決できていなくて、そのことが心配です。妻には感謝していますが、もうあと少し何とか今の仕事で、今の給料でやっていけるか不安です」と。

このご主人さまは観てみるとずっと運がよくない人でした。ですから常に心配や不安ばかり。それはそれでいいことなんですよ。ネガティブはよくないことではない。ネガティブも必要なことです。ネガティブになり、慎重になり、思案を繰り返し、ようやく決断することはとても大切です。

しかし、奥さまが感じておられるようなしあわせをご主人さまが感じることは今のところないでしょう。いくら奥さまがご主人さまを甲斐甲斐しく支えてもご主人さまはしあわせを感じることに疎くできています。そういう時期にいるだけなのですが。


誰かをしあわせにしよう、しあわせになりたい。それも運次第ということもあります。運がいい人が感じるしあわせと運がよくない人が感じるしあわせはそもそも形からして違うのです。同じものを観ていても同じものを観ていないのです。感情さえも異なるのです。


一番よくないのがしあわせやものごとの捉え方の形を強要することです。ネガティブもいい。しあわせを上手に感じれなくてもいい。ただ単に今はそういう時期だからかもしれません。その運を乗り切る方法はあります。

10年間ってほんとうに長いですからね。10年で済んだらいいですけど。先のご主人さまなんてもう50数年間ずっと運がよくありませんでした。この方は70過ぎてからようやくいい運が巡ってくる人でしたから、いい運を向かえるまで、健康や経済的な面に対して堅実に、明るい晩年を迎えていただきたいと思います。長生きしないと損な人ですね。

嫉妬したり、妬んだりしやすいのも運がよくない人の特徴です。それはたまたまその時期だからです。あなた自身がそういう人間だからというわけじゃない。もうそういったことでしあわせだとか不幸とか、意地が悪い人間だなんて思わなくていいと思います。

自分を知るということがいくらかでも苦しんでおられる誰かの支えになることを願っています。


本日もお読みいただき、ありがとうございます。


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