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四柱推命でポテンシャルがわかる

 誰にでも無限の可能性というものがあって、努力だけではダメで、運とかも必要で、それだけじゃなく環境とか人との出会いとかそういったものも含めて、運というのだったら運になってしまうんだけど、基本的に人間には誰にでも無限の可能性があって、何にでもなれるし、どこへでも行ける。

 そういうふうに思っていたのはいつまでだろう?

 ぼくはまだいい歳になっても割とそう思っていて、夢みたいなことを言っていると言われがちなのですが、いったいいつから人間には無限の可能性がある、ということを本気で思うことができなくなるんでしょうか?


 子どもたちを観ていて思うんです。

 この子たちの将来を見届けたい。この子たちの未来は明るいものになってほしい。この子たちは大きくなったらどういう大人になるんだろう?この子たちが活躍している世界はどんな世界なんだろう?


 大人になると無限の可能性がある。世界は無限に拡がっているとどうして思えないのだろうか?そして思えない大人が無限の可能性を拡げる子どもたちの障壁にならないためにはどうしたらいいだろう?


 生年月日から命(めい)を読み解いていく方法のひとつに四柱推命があります。四柱推命は生年月日から命式というものを作成します。生年月日に生まれた時刻を加えて、年の柱、月の柱、日の柱、時の柱で四柱推命です。

 四柱推命に書かれた推命命式の中には、書かれた人物の能力が書いてあります。その人自身が認識できている能力もあれば、本人は気が付いていないけれども周りの人間が気付いている能力もあります。そうかと思えば、ある時期にだけ発動する能力もあります。その能力がどういった性質のものなのか?その発動時期はいつなのか?といったことも書いてあります。

 たとえば、もともと運動とか身体を使うことに長けているという能力もあれば、じっとものごとを考える能力がある人もいます。数字に強い人もいれば数字はからきしという人もいます。しかし、数字に弱い人でもある時期には数字に対する隠された能力が発揮されます。その時期を逃さずに数字の才能を伸ばすことができると数字を克服することができます。


 そういったことも推命命式に書いてある。細かく細かく観て行けば書いてある。これは命式に書いてある人、目の前にいる依頼者を細かく観て行くことだ。自分自身の推命命式を観ていても思うことでもあります。ぼくには隠された能力がまだある。でも、自分でも深掘りしていくこと、自分自身に問いかけることをしなかったら、読める内容でも観えてこないものです。

 そう考えると、人間には無限の可能性というものはないのかもしれません。隠された能力、知らなかった才能が発揮され、これまでとは違った景色が見えるかもしれない。しかし、隠れた才能はその時期を逃すと、また埋没してしまうものですし、誰にも気づかれることなく機会を逃すことになります。

 ぼくたちはそうやって、自分の可能性というものを狭めて行ってしまっているのでしょう。自分の隠された能力が花開くときがあります。そしてそのときを過ぎると誰にも気づかれることなく埋没してしまします。もう一度その機会があるのかないのかは個人差があります。ただ、知らない人はまた機会を逃すでしょう。そんなことがあったことすら知る由もないままに。


 ぼくたちの隠された能力はときとともに花開く機会を待っています。もちろん大きな花を咲かせようと思ったら、事前に土を耕すとか栄養をあげるとか、さまざまな準備が必要です。その準備を努力とするならば、その努力は大輪の花を咲かせることでしょう。

 人間の努力や準備は必要なのかもしれませんが、「とき」が大輪の花を連れてくるのだったら、ぼくたち人間はどこまで行っても「とき」の支配から逃れることはできません。アンチエイジング、なんていうのも「とき」に抗っているだけなのかもしれません。

 「とき」というのは何なんだろう?ぼくは天と地が「とき」の正体だと思います。太陽が、地球が、月が、というのが「とき」です。四季などの季節も「とき」ですもんね。そう考えると人間が天と地に準じて生きるのは当然のこと。ラピュタも大地を離れて存在できませんでした。

 四柱推命では天干と地支を五行理論を用いて読み解いていきます。

 「天と地の間に人がいるから人間だ」といった人がいましたが言い得て妙だなと思います。天と地が司っている人間。人は万能ではありませんが、そのほかの人にもなることはできないのです。


 天と地に活かされていて、その他の誰でもないのだ、と四柱推命命式を観て感じることです。子どもたちの未来も書いてあるけど、ぼくたち大人の未来も書いています。

 


 四柱推命鑑定、四柱推命講座も行っています。詳しくはホームページにございます。よろしくお願いします。

 

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