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落ちこむこともひつようなこと

 「まだまだだなぁ~」って落ち込むレベルで感じたときに「伸びしろがある」というふうに捉えることができる人がどれくらいいるのだろう。ネガティブに捉えるよりもポジティブに捉えたほうがいいと言われているのは知っているし、同じ出来事もポジティブに捉えたほうがその後の対応や変化に違いが出る。落ち込んだ経験をさらに大きな飛躍へと転換できた方が意味があったと思うし、そうでないと落ち込んだこと自体が無意味なことになるような気がする。ただ、現実的には普通に落ち込むし、くよくよする。落ち込むレベルのことが起きたのだから現れる表現としては落ち込むことが正しいのだろう。

 どうして落ち込むようなレベルのことが起きたのか考えてみても、足りない自分というのが前提にありつつ、無意識的に何とかしようと思っていた自分とどうしたらいいのかわからない自分が共存し、不調和にいる。

 少しずつ状況を反芻していくうちに明確になりつつあることが徐々に形づくられていく。この作業が辛くて苦しいのだが、ある意味で希望にも満ちているように思う。その中で現実的なものを選択し、行動に移していく。現状を把握し、分析し、仮説を立て、行動し、結果を考察する。言われると簡単なのだけど一旦落ち込むという作業がどうしても暗い影を落とす。

 落ち込むという作業を経ずに単にポジティブに捉えることは反対に目を閉じることにはならないだろうか。ネガティブに落ち込むということは当然のように与えられたプロセスなんだと受け止め、早めにそこから離れるように心がける。そういう経験が結果的にたくさんの持ち物を運んでくるような気がする。


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