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目に見えない世界のことを考えている

 目に見えない世界のことを考えている。目に見えない世界というと霊的なことを思い浮かべるかもしれないが、この世に目に見えないものなんて山ほどある。重量というものはそのサイズ感や色味や性質を総合的に判断して何となく「重いだろうな」とか「軽いだろうな」ということを判断する。そもそも総合的に判断している材料自体に絶対的なものはないのだから、判断自体が再現性もなく、理屈も目に見えるものではない。その証拠に「重い」と思っていて「軽かった」ものを持った時なんかにぎっくり腰は起きるそうだ。脳が勝手に推測したことが間違っていると痛い目に合うようだ。

 この痛みというのも目に見えるものではない。傷がパックリとついていて、ドクドクと流血していて、本人が泣き叫んでいても痛みというもの自体は見えない。「痛いんだろうな」ということは容易に想像つくものの痛み自体を見たり、手に取ったりはできない。

 誰かを好きになったり、恋したり、愛したりすることはあってもそれは目に見えるものではない。目に見えて恋とか愛が存在したら男女は長い間一緒にいることはできないのかもしれない。「好きらしい」「恋に落ちたようだ」「もうときめかない」恋愛ドラマのシーンだが、演者の技術でそれらしく伝わっては来るものの見えはしない。これが見えたら俳優は仕事がなくなる。

 目に見えない存在があると便利なこともあれば不便なこともある。しかし、ぼくたちが生きている世界にはどちらも存在し、どちらがどうとか言うものでもなさそうだ。どちらが虚であるのか実であるのか。虚が虚のまま存在しないように実が実のまま存在しないように、虚実のあいだを行ったり来たりする。その移り変わりが感性というものなのではないだろうか?


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