なにがスキかわからない

ぼくには何か欠けたものがある。わたしにはこれが欠けている。

ぼくには足りないものがある。わたしにはこれが足りないのだ。


こういったことって普段から山ほどあって、それこそどの方向から観ても自分よりも社会的に優れているであろう人はいて、しかもメディアというものは基本的にそういった人にフォーカスする。だから何かしらの媒体で観ていると、それだけで「すごいよな~」っていう人に出会う。著名人と言われる人はほとんどがそうで、世間に注目されるというのは悪いことをするにしても著名人が罪を犯した場合と一般人が罪を犯した場合とでは対応がかなり違う。法律的には同等でも取り上げられ方はまったく違う。

いいときだけでなくよくない時も大きく取り上げられてしまうのは、ちょっと不憫だなぁと思うこともあるけど、よく知りもしない一般人の小さな罪を知らされることも苦痛だと思う。

もちろんいちいち自分と比べる必要もなく、メディアに出ている部分もその人のほんの一部分でしかないのだから、それだけ観ていてもしょうがないのはわかる。

どちらにしても十分に足りている部分というものはないのかもしれない。こういう言い方をすると自分の満たされているところを見つめましょうとか、すでに満たされている自分に気づきましょうとか、いう人がいますが、そういう人は自分だけで十分に見つめてもらったらいいと思うのでやっといてください。


さて、ぼくが今日こういった話をしようと思ったのは、四柱推命のことです。四柱推命鑑定は生年月日から判定していきます。生年月日と生まれた時間、それを四柱推命命式、八字、六十甲子に変換して観て行きます。

生まれた時間がわからないという人もおられますが、母子手帳なんかに書いてありますよ。お母さんやお父さんに連絡してお聞きになられるといいです。あなたがお生まれになられた時のエピソードを話してくれるかもしれませんよ。

ちなみに、ぼくは生まれるその日に一度母は検診に産婦人科に行ったんですって。で「まだいいでしょう」っていうことで帰りました。家に着いたのかな?ちょっと忘れましたけど、即座に引き返して「また診てください」って。そしたら「これはいけませんね」ってなって生まれたそうです。予定日よりは遅かったそうで「おなかの中が相当居心地がよかったんやろ」とは母の言葉。

こういった話が聴けるきっかけになるのもいいですね。


四柱推命の四つの柱。年の柱、月の柱、日の柱、時の柱。これで四柱推命といいます。ですので、時刻がわからなければ正確には三柱推命、というのかどうかはわかりませんが、時刻もあったほうが望ましい。

これらの四柱にある八字を五行に転換していきます。


五行というと木、火、土、金、水です。八字をそれぞれ五行に転換していきます。

たとえば今日。2020年9月25日午前10時01分に生まれたとしましょう。

その人を八字で表しますと

時 日 月 年
癸 辛 乙 庚
巳 未 酉 子

となります。

これを五行にしますと

時 日 月 年
水 金 木 金
火 土 金 水

となります。

今日のこのタイミングでお生まれになられた人がいると仮定して、この人の八字を観て行きますと五行が全部存在します。木、火、土、金、水。配分で言うと金と水がやや多い目ですね。でもそろってはいます。

五行がそろっている人は比較的大きな波少ない、人生における山や谷が小さい人です。偏りがある人の場合はそれだけ波が大きく波乱万丈な人生になりやすいです。

そういった意味では「いいな」と思いますが、いまの世の中ではどうでしょう。五行そろっている人はなかなか突出しにくいという特徴があります。

個性的ではないという意味ではないのですが、五行に偏りがある人に比べたら特徴性が出にくい。

「自分の好きなことをやったらいい」「誰にもないような自分の得意なことを伸ばそう」って言ってもわからない。五行がそろっている人はそういうふうになりやすいのです。

じゃあ、欠けているほうがいいのか?

欠けているほうがいいのか?そろっているほうがいいのか?どっちがいいとかは思わないですけど、欠けているにしてもそろっているにしても、それ相応の価値観で生きればいい。

ただ、現状は「好きなことをして生きて行こう」という風潮がありますので、五行が偏っているほうが多少トレンドになりやすい世の中かもしれません。これ以上、世の中が不安定になってくると、五行がそろっているほうが応用が利くかもしれません。

命を知ることは運の流れや能力を知ることです。


「ありのままでいいのよ~」その、ありのままがわからないから悩んでいるんじゃないか。



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