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ぼくは対立構造には参加しない

 右と左があって、右なのか左なのかを選ばされる。もちろん右は左のことがきらいで、左も右のことを敵対視している。社長派か専務派かといったところから反対派か賛成派かといったような議論に終始している。ついこのあいだも芸人さんが解散しました。原因は片方にあり、もう片方はあきらめたような形になっている。これも是と非があり、コンビの片方派かもう片方派かに分けられる。意見もそれぞれあって、どっちの意見が正しんだろうってジャッジしている。

 無意識的にこういったことを繰り返している。単純に好きか嫌いか、おもしろいかおもしろくないか、美味しいか美味しくないか。そんなことを単純に繰り返している。健康についての考え方も二分されていて、反対派なのか賛成派なのかというのは一部で激しく争っている。その情勢やときどきの情報によって優勢や劣勢が決まる。本来なら勢いとか流れとかそういったもので決まるはずのないものでも、反対派が優位な時もあれば賛成派が優位なときもあるという、いびつな感じになっている。

 構造としては賛成する人と反対する人がいるから賛成派と反対派が生まれるわけであり、言い方を変えると賛成するが故、反対が生まれるともいえる。社長がいいと思う人がいるから専務がいいと思う人がいるんだろう。そしてそこには正義が添えられるため強固になる。ともあれ、まずはじめに賛成があるから反対が生まれるのだ。

 ただ反対派が生まれて明確になることで対立構造がはっきりしてくるのだけれど、そこからの離脱もたやすくなる。賛成だろうが反対だろうがディストピアにしかならない構造の中で賛成にも反対にも寄らないことは、対立構造がはっきりすればするほどわかりやすくなる。どちらからも意志を投げられそうにもなるけど離脱もしやすい。右だ左だ、社長派だ専務派だ、賛成だ反対だ、好きだきらいだ、といつまでもやっている人にはわからない話なんだろう。


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