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それだけを見守っていてほしい

木が火の燃料となり、木があると火は大きく燃え上がる。火が燃え尽きた先には灰がある。これは自然のルールであり、灰の中から木が芽吹くことはない。火が燃えた先に可憐な花が咲くことはない。木があることで火が燃えて、火が燃え尽きると灰になる。これは自然のルールです。

木と火と灰(土)の関係だけをご紹介しましたが、五行の世界には、このように普遍的なルールが存在します。

五行の世界というと難解なようにも感じますが、火に木をくべると火が強くなり、燃え上がり、灰(土)が増えてくるということは火が弱くなっていっているということです。

これは人の運にも当てはまります。
運がいいとか悪いとかというのは、仮に火を私とした場合、木が来たのか、土が来たのかによって吉凶が変わる。

運がいい時は上昇気流の中にいて、運が悪い時には暗中模索しているような状態です。運が悪いときから、運がいい時に変わる。7月が終わり8月を迎えるように、2024年が2025年へと移ろうとしているように、運には波があり、浮き沈みがあります。
運がいい人はいいけど、運が悪い人は苦しい。
運がいい人は浮かび上がってくるのです。

しかし、浮き上がっていくときにも、それなりに苦しいものだ。
過ぎ去ってしまって、俯瞰して、振り返ってみてみたら、とてもいい時期を過ごしたと思うかもしれないが、浮上していくときはそれなりに苦しいものだ。見守る方も苦しいものかもしれない。
ただ、その人らしくその人なりにその人を生きているのか、それだけを見守っていてほしい。

ここでは、その人らしくというのが問題である。
その人がその人らしくないというのは、体力の低下や寝不足というのもあるだろうが、その人らしくないということは、どのみち道を誤っているのだ。

私らしく、自分らしくありたいというのが大げさだと思う人も「今の会社が自分に合っているのだろうか?」ということは考えるに違いない。隣の芝生が青いという年齢ではなくなったとしても、考える。考えようが考えまいが、明日はやってきますし、今日だって過ぎていく。それでもやっぱり考えないよりは考えた方がいいのだ。

数十年前は平均的な人が社会から好まれた。今の社会では少々いびつでも誰かと違った才能が好まれる。平均的な人はそれはそれで素晴らしい。いびつな才能を持つ人もそれはそれで素晴らしい。困るのが、平均的な人がいびつな才能を欲しがり、いびつな人が平均的であろうとすることだ。平均的でもいびつでもどちらでもいい。その人らしく生きているのが、それが快であり、それが喜びなのだ。

四柱推命鑑定、指導を通じて感じたことです。
その人らしさというものを、みんな誰もが探しているのだ。

読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。