四柱推命の専門講座でおやすみです
依頼を受けた図面を観ながら考えています。
どのようにしたら最善で最適な方法が選べるのだろうか?なにか見落としていたり、気が付いていないところがあるんじゃないだろうか?
そんなことをして、資料をひっくり返して、図面にかきこんだり、メモ書きを付箋で張り付けてみたり、図面とその建物に関わる人たちの生年月日から導き出した四柱推命命式を横に並べてみたり、縦に並べてみたりする。
疑問点を書き出して「これだけじゃあ情報が足りないなぁ」なんて思ったりもする。
風水鑑定は完全オンラインじゃ難しいなぁって思いました。メールでもお電話でもzoomでも何かしらの形でお話したりしながら、こちらの疑問点や依頼者のご希望なども加味しないと何とも言えない。
机上の空論にしては範囲が広すぎて頭がパンクしそうになる。
どれくらいパンクしそうかというと、もよおしてトイレに座る。用を足してしまってからおしりをウォシュレットで洗わずにトイレットペーパーで拭いてしまうくらいパンクしそうだ。汚い話だけど。
その行動を振りかえって、図面から離れてみる。そのほうが今はいいはずだ、と。
さて今日はおやすみ。休業です。
ホームページにも載せていますが、
本日は四柱推命の専門講座です。
3か月間みっちりと四柱推命を学んで来られた受講生のみなさま。基礎講座は今日が最終講となりますが、今日も内容が盛りだくさんと思いますので、お楽しみに。
四柱推命は歴史ある学問であり、古代の中国から受け継がれてきたものです。
中国の前漢の時代にこのような言葉があるそうです。
一に命、二に運、三に風水、四に積陰功、五に読書
これは、命運はひとつの人生における現象であり、それはひとつの事実に帰結する、という意味だそうです。
古代においてこのことに早くから気付いていた人がいました。
それがかの有名な孔子です。孔子って案外知られていないかもしれませんが、めったにものごとをはっきりと言う人ではなかったそうです。
その孔子が「五十にして天命を知る」と言い、また「命を知らざれば、以て君子たること無きなり」と語ったということは論語にも書かれています。
命や運を受け入れるもよし、受け入れぬもよしだろうと思います。
しかし命や運を否定することはできない。
各人が選んで歩んできた人生の変化の軌跡を理をもって命や運の分析を行う。天機をつかみ、宿命という縛りから抜け出すことが重要だ。同じ運命だからと言って同じ人生を歩む人がいないのはそういったところにある。
そうすることで、天から賦与されたほんとうの自由を発揮することになるだろう。
そう、知って改善していくからこそ道は開ける。命や運はおそらく存在する。しかし、それを知り改善していくことで命や運からの呪縛から解放されるのだ。
本日もお読みいただき、ありがとうございます。
読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。