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拝啓、アイドル様。

青天の霹靂ともいうべきか、それは、突然、雷に打たれたような感覚だった。

9月某日。
出会いは突然かつ偶然。

人生においてある程度、意識的に笑おうとすることは重要だと思う。「最近、笑顔が足りてないかもしれない」と感じた時、私が真っ先にお世話になるのが「アメトーーク」だ。他にも好きなバラエティ番組はたくさんあるのだが、芸人が自身の趣味や好きなことに関して語ることが多い番組の特徴からか、どこか愛に溢れた空気感があり、笑いと共に安心感を得られるところが疲れた心には丁度良い。私にとってアメトーークを見ることは生活の一部であり、年末の「アメトーークSP」を見るために1年間を耐え忍んでいると言っても過言ではない。いや、少し過言かもしれないが、私がそれほど絶対的な信頼を寄せているのがアメトーークなのだ。昔からガキ使よりもアメトーーク。優しい笑いにしか世界は救えないと思う。今年ももうすぐ年末アメトーークがやってくると思うと心を弾ませずにはいられない。

いけない、こんなところでアメトーーク語りをしている場合ではないのだ。本題に入らねばならない、記さなければならないことがたくさんあるのだ。

全ての始まりになってしまった9月某日のアメトーーク、一体何芸人の集まりだったのか。「可愛い男子大好き芸人」である。番組の内容は芸人がそれぞれ「推し」のかわいい年下の男の子を紹介し合うといったものである。おじさんたちが若い可愛い男の子の良さをひたすら語り、JKばりにキャキャウフフする何ともシュールな1時間。

私は以前放送された同番組の「嵐大好きおじさん」も見ていたのだが、そこで、フジモン(FUZIWARAの藤本敏史)が活動休止間近の嵐への熱い思いを爆発させる姿には胸を打たれるものがあった。同性が語る同性の魅力というものには、他では得難い尊さがあるということを知たのだ。人間が抱きうる感情の中で最も純粋で最も美しいのは「憧憬」だと思う。ある特定の存在に心奪われて、その者になりたいと焦がれる感情は間違いなく己のエゴであるが、エゴをエゴとして受け止め自己実現したいと望む気持ちは人間であるからこそ抱くものであって美しいものだと思うのだ。

そんなこんなで今回もフジモンの熱いトークを期待しつつ、私自身も二次元の推しがかわいい系の男の子に偏りがちな自覚があったので「結局かわいい男の子しか勝たんよな」と思いながら録画を再生した。

今思えばこれが全ての始まりであり、全ての終わりだった。フジモンが紹介した推しのかわいい男の子、彼が何を隠そう後に私が沼落ちすることとなる「大橋和也」くんだったのだ。

当時は本当に本当になんとなく見ていたのだが、それでも鮮明に覚えているのが彼の自己紹介だ。

「こんにちはーーー!!!(クソデカボイス)なにわ男子のリーダー!プリン食べすぎておしりプリンプリン!!!(尻を全力で振るジェスチャー)大橋和也でーーーす!!!よろしくお願いしまーーーーす!!!(底抜けに明るいとびきりスマイル)」

元気すぎて掴みが良すぎる自己紹介を浴びせられて、まず最初に、彼が本当に「ジャニーズ」のアイドルであるのかを疑った。だって、ジャニーズといえば日本の男性アイドル界を牽引する最大手事務所で、クールでスタイリッシュかつ一般人からは遠く崇高な存在、というイメージが自分の中にはあったから。最近の若いグループなんて特にそうだ、少し近寄り難い感じがしていた。

だが、彼はどうだろう、人を惹きつけて止まない笑顔、何にでも前向きな姿勢、親しみしかないではないか。「ジャニーズっぽさ」と言って良いいのかわからないが、彼からは私が常日頃感じてきた「イケメン特有の壁」を感じないのだ。

私には過去の苦い経験から若い男性に対する恐怖心がまだ少なからず残っている。だからなかなか同世代の異性の「推し」という存在を持ち得なかった。1回りくらい年上の男性声優や、この世には存在しない二次元アイドルという概念をひたすら追いかけ回す人生。二次元のアイドルも40代男性声優も絶対に自分の近くに居ない存在だから、その存在を強く感じることはほとんどなかったし、好きになることへのハードルが高くなかった。とにかく好きでいて楽だった。私みたいな人間にとっては存在が曖昧であればあるほど居心地が良いのだと思っていた。そんなこんなを10年近く繰り返してしまった人生だったから、尚更、年の近い男性を推す自分なんて想像がつかなかった。

アメトーーク以降、「おしりプリンプリンの子」にがっちりハートを掴まれてしまったわけだが、ジャニーズが「おしりプリンプリン」なんて言って良いのだろうか…。彼は一体何者なのだ…。今思えばこの時、既に彼のことをもっと「知りたい」と思ってしまっていたのだ。「知りたい」と思ってしまった時点で粗方この勝負の決着は付いていたということを知る由もない私は、早速「なにわ男子 大橋」で検索をかけた。デビュー曲である初心LOVEのアーティスト写真とともに個人のプロフィールページを隈なく見た。正直びっくりした。こんなにも「かわいい」に全振りのグループがジャニーズに存在しているということに。かわいい、かわいすぎる。日本の男性アイドルが全身ピンクの衣装を身に纏う姿を見ること自体そうそう無い気がするのに、この衣装を来て誰ひとり違和感を生じさせていないのだ。なんつー集団なんだ、なにわ男子。正直どストライク、ビビビと来てしまった、好みすぎる…。でも、24歳…?若すぎる…。最年少のメンバーに関しては19歳…?!こんなに顔面が完成されているのに未成年…??これがジャニーズか…。彼らの年齢を目にして、やはりジャニーズなんて私には無縁の世界だと思った。

私は、御年43歳男性声優を己の人生の大半をかけて推し続けてきた女だぞ。今更こんな若い子たち好きになれるはずがない。怖いのだ、若い男の子を好きになることが。自分は好きになったらとことん好きになってしまう人間であることを自覚している。推しが人生になってしまうことに悩んでいるのだ。推しのために働き、推しのためにお金を使ってる時が1番、生を感じる。好きなものを愛しているときの自分だけが唯一、自分にとって誇れる自分なのだ。こんな若くてデビューしたての、芸能界を何も知らないような子たちのことを本気で好きになってしまったら、人生をかけて推し始めてしまったら、もし万が一、彼らに何かしらの不祥事があった時、私は絶対に傷つかずにはいられないのだ。そうなったら彼らのことで胸がいっぱいいっぱいになってしまって私生活の全てをめちゃくちゃにされてしまうのではないか。そうしたら私はきっと後悔する。こんな子たちのこと好きにならなければよかった、そう思う日がきてしまうのかもしれない。近づかない方が身のためだと思った。

私のオタク人生において43歳男性声優だけが私の光であり、ヒーローだった。なぜ若い子を好きになることをそこまで恐れるのか。それはスキャンダルに苦しめられる人々の姿をかなり近くで何度も目にしてきたからだ。推しの熱愛報道、グループ脱退騒動など…アイドルといえど人間なのだから、生きている限りそれらは仕方ないことなのだ。そう理解しつつも結局オタクは嘆き苦しむことしかできない。なんて無力なのだろう。どんなに人生かけて愛したとしても苦しみは突然やってくるのだ。

その点、二次元のアイドルは熱愛報道なんて出ないし(あったとしても相手は主人公=プレイヤーである自分なのだから苦しむことはないし)、二次元アイドルは年を取らないからいつまでも美しく綺麗なまま、理想の姿のままいてくれる。二次元アイドルはこの世に存在する「アイドル」という概念の具現化であり、アイドルによって苦しみたくないというオタクの願望の具現化なのだから、「アイドル」として何よりも完璧なのだ。

(アイドルとゴシップというタブーなテーマにあえて腕を突っ込んでオタクの心をグッチャグチャにかき混ぜ、ひたすらにオタクを苦しめた地獄のような二次元アイドルコンテンツも存在するのだが、その話はかなり長くなるのでいつか別の機会にするとしよう。私が三次元のアイドルを好きになることへの恐怖心のきっかけも全てそのコンテンツが植え付けた。)

私の人生の推しである43歳男性声優に関しては、推し始めて10年近くなるのだが、私が知る限りノースキャンダル。声優だからゴシップなどとも縁遠いと思っていたが、昨今、某鬼退治漫画の大ヒットの影響で第3次声優ブームとも言われるほど声優が注目を浴びるようになり、TVなどへの露出が増えただけでなく、マスコミやゴシップ誌などが声優の周りを嗅ぎ回るようになった。その被害にあった声優も少なくない。もはや本来裏方であるはずの声優までもがゴシップの餌食になってしまうことへの悔しさが拭えないが、このような動きがあっても私の推しは悪い噂は一切出てこない、これは彼の人柄の良さ故であろう。本当に自慢の推しである。だから、私はこの先の人生もこの人だけを信じて推して生きていけば幸せでいられるのだと思っている。今更わざわざ不安定な物にの心を委ねる必要なんて微塵もないのだ。心のオアシスは既に手中にあるのだから。

それでもやはりTVに映る度、彼らのことが気になってしまう自分がいた。こうなったら、「なにわ男子」が私の推しになるに値するアイドルであるのか、徹底的に審査選別をしてやろうじゃないか。その途中で落胆できれば好きになることはないし、なんとかして苦しまずに済む道を見つけ出そうと思った私は最初に気になるメンバーのスキャンダルについて調べた。相手の具体的な顔や名前が出てくる子もいるし、どこまでが憶測かわからないような話も色々飛び出した。ジャニーズJr.なんてどうせモテるんだし、そんなもんだろう、絶対に好きにならない方が良いと思って距離を取ろうとした。

とどのつまり、私は「推し」のことを安心して好きでい続けたいのだ。推していて不安にならないことがオタクにとって1番の幸せなのかもしれない。私の思い描くオタクとしての幸せから1番遠くにあるのがジャニーズだと直感的に感じるのだから、彼らのことを好きになることが怖くて、絶対に好きになりたくないのだ。絶対に実在するアイドルに激重感情なんて抱きたく無いのだ。抱きたくなかったのだ。

アメトーーク直後くらいは単に、大橋和也くんに対して「とても印象が良くて好感度が持てるジャニーズの子」くらいの印象だった。だから、たまたま見ていたTV番組に大橋くんが出ているとワクワクしながら見たし、元気が良くて気持ちいいなと思っていた。なにわ男子が音楽番組に出てる姿も見た、「初心LOVEいい曲じゃん、最後の転調微妙すぎるけど。」って思ってた。(後に分かったことだが、このとき私が見たのは落ちサビカットの短縮バージョンだった。この落ちサビがあるからこそ効いてくる転調だという事をこのときの私はまだ知らなかったので沼落ちぜずに済んでいた。というかこの時に一旦期待値が落ち着いてしまったが故に、後に見るパフォーマンスが恐ろしく良く映ってしまったのかもしれない。)

こんな感じで、散々予防線を張りまくったので正直、なにわ男子の大橋和也くんが私の「推し」にまで昇格するとは思っていなかった。
如何にして彼が私の「推し」になってしまったのか。
多分この先一生忘れることがない日付になるであろう。11月12日。そう。まさしく、「なにわ男子」のデビュー日である。私にとってはこの日もいつもと変わらない、家でオンライン授業を受けるだけのなんでもない日常、の、はずだった。
日課であるTwitterを徘徊していると、「なにわ男子デビューおめでとう」や「なにわ男子インスタグラム開設」などの文字が。トレンドがなにわ色に染まっていたわけだ。なるほど、気になる彼らのデビュー日は今日なのか、めでたいな。くらいの完全に他人事のテンションだった。「そういえば以前披露していた初心LOVE、耳に残るいい曲だったな、YouTubeでMVが公開されているらしいし、見にいってみよう。」
なかなか自分の好きなジャンル以外のことに腰が重いこの私が、なんだかその時は気が向いたのだ。MVを見た。あれ、なんか、思っていたより良い、かわいい。なるほど、なかなか繁盛しないガソリンスタンドにお客さん=視聴者が来るところからMVが始まるのか。メンバーみんな笑顔が多くて見ていて楽しい。ダンスシーンだけでなく、アクトのシーンもドタバタ!わいわい!といった感じで楽しそうな彼らの姿を見ていると釣られて笑顔になるし気持ちが明るくなった。そういえばこの前の関ジャムでなにわ男子の誰かが「初めてのリップシーン撮影で緊張しました」とか言っていたな、ここのシーンのことかな、そんなことを考えながら彼らのことを見つめていた。

このMVの何が1番私に響いたかというと、曲が終って最後、お客さんがガソリンスタンドを去るところで「また来てなー!」と大きくてを振りわいわい叫ぶ彼らの姿だった。きっと飾らないありのままの姿なのだろう。等身大の彼らを見た気がしたのだ。無垢で純粋でひた向きにお客さんに感謝を伝える。こんな風に見送られたら、このガソリンスタンドにたどり着いたお客さんは、さぞ「来て良かった」と思ったことだろう。またこのガソリンスタンドに来たくなったに違いない。この時既にもう一度彼らに会いたいと思う自分がいたのかもしれない。「もう一度」彼らに会いたくなってしまった視聴者はきっとこのMVをまた最初から再生してしまうのだ。

今だから分かることだが、私はこの時、MVの最後のシーンをライブのアンコール後のアイドルの挨拶に重ねていたのだろう。オタクはチョロいから、大好きな人にとびきりの笑顔で「また来てなー!」と言われたらそれはもう次のライブのことしか考えられなくなってしまう…。彼らのことを何も知らない人間に、無意識的に彼らのライブの風景を想像させてしまう、なんと巧妙な仕組みなのだろう、と思った。しかも、その表現が直接的ではないところがまた味がある。

最初、「キラキラ初恋楽曲のMVの舞台が何故ガソリンスタンドなのだろう?」と思ったが、ガソリンスタンドはそれ自体が場所を変えることができない、動かない、これは「アイドルの側からはファンに近づくことができない」ことを暗示しているのではないか。ガソリンスタンドにはお客さんが車に乗って来てくれなければ彼らは仕事ができない。アイドルもファンがアイドルのことを知って、アイドルに会いに行きたい!近づきたい!と思わない限り彼らの仕事は成り立たないのだ。そういった点がガソリンスタンドとアイドルと重なるのであり、一見アイドルとは無縁に見えるような場所にメッセージ性を持たせて描かれているように感じえないのである!

「お客さん全然こおへんなぁ」と言うセリフはまさしくデビュー前のなかなか気づいてもらえなかった彼らの気持ちに重なるのではないか。ガソリンスタンドは動けない、だからお客さんが来てくれないことには何も始まらない。それ故に1人のお客さんがきただけで彼らは大喜びし、精一杯の歓迎をするのだ。MVの最中にはエンジンから煙が出るアクシデントのシーンもあった。お客さんを喜ばせることは一筋縄ではいかないのだ。きっとあんな風に彼ら自身にもたくさんのピンチが降り注ぎ、その度に乗り越えてきたのだろう。たった1人のお客さんでも誠心誠意もてなす姿は、この先どんなにたくさんのファンを抱えることになっても初心に返ったとき、ファン1人1人を満足させるということの大事さを忘れないでほしいという願いが込められているようにも感じる。考えれば考えるほどなんと巧妙なMVなのだろうと感心させられる。厄介なオタクに空白の多いコンテンツを渡してしまうとその空白を埋めようとあれやこれやと思考を広げてしまって勝手な想像が止まらないのだ。キャッチーなダンスと楽曲に、ストーリー性とメッセージ性のあるMVが付いたら売れないわけがない。

長ったらしくMVの考察なんてものを書いてしまったが、まだデビュー日の話の途中であった。MVを見てなかなかいいじゃん、インスタもフォローするくらいは許されるよね、と思い静かにフォローした。まだ確信を得たわけではなかった。この胸の高鳴りが確信に変わたのはその後のミュージックステーションでのパフォーマンスを見た時だった。

その日はたまたまITZYが日本デビューすると言うことで、ITZYを見るためにMステを見ていた。昨年の虹プロブームでKーpopを人並み程度に嗜むようになったため、ITZYの楽曲も韓国語で聴いてなかなか良いなと思っていたのだ。なにわ男子がMステに出ることも知っていたが、この時のお目当てはあくまでITZYだった。ITYZのパフォーマンスが終わってチャンネルを変えずにそのまま夕食を食べていた時に、彼らのパフォーマンスははじまった。東京タワーの見える夜景の中、ピンクのキラキラ衣装に包まれた彼らが、少し緊張の表情を浮かべながら、大先輩関ジャニのパスを受け取って初心LOVEを歌い始める。デビュー後初のMステという舞台をそっと見守った。何も知らない私にも彼らの緊張感が伝わってきたのだが、なんだか1人だけ他のメンバーに比べて異様にリラックスして楽しそうに踊っている子がいる。彼だった。大橋和也くん。なんか、いちいち動きが大きくて、楽しそうで、カメラに抜かれる度、待ってましたと言わんばかりにめちゃくちゃアピールをする。1人だけ余裕が違う。なんだこの子。多分この瞬間世界で1番楽しく歌って踊っていたのは彼なのではないか、そう思わせるようなパフォーマンス。曲の途中から自然と彼にしか目が行かなくなってしまった。端っこで踊っていても彼を追いかけてる自分がいる。
そして、来る落ちサビ。大橋和也くんは落ちサビの前半パートを任されていた。
「ずっと離れたくなくて でもやっぱ言えなくて ハッとなって ギュっとなって 」
この歌詞に合わせて「ハッとなって」で彼が広げた左手に、他のメンバーの1人が「ギュっとなって」のタイミングで手を重ね合わせ恋人繋ぎをする。それを見て10年来の推しのライブで投げキッスが放たれた時と全く同じ反応をしている自分がいることに気がついた。心のペンライトを思いっきり振りかざして彼のことを応援している自分がいたのだ。まさしく青天の霹靂。突然、幸せが天から降ってくると言うのはこう言うことだったのか。でもこの感情は経験則から知っている。大好きな人に向ける興奮で間違いないのだ。

パフォーマンスが終わってから直ぐ浮かんだ感情は、「お願いだからこのパフォーマンスを今すぐもう一度見させてほしい!!!!!!!」だった。なぜこの日のMステを録画していなかったのか、悔しすぎて自分を呪いそうになった。それほどの大きな衝撃を受けてしまったのだ。もう、それ以降この衝動は止まることを知らなかった。10年以上1人の男を追いかけ回しているのでなかなかに強めなオタクである自覚はあったし何より積み重ねた経験が私を突き動かして止まらなかった。Twitter、Instagram、YouTubeさまざまな情報媒体を駆使し、己の知的欲求のままに「大橋和也」を貪った。まだまだジャニーズを推しにしたくない気持ちはあったが、知れば知るほど好きになってしまっていたのだ。後戻りできなすぎる。知りたいと思ってしまった時が本当に運の尽きだったのだろう。

取り返しのつかない感情を1人で処理できなくなってしまった私はジャニオタの友人にすぐさま報告した、悲鳴にも近いようなラインだったはずだ。助けてほしい、突然雷に打たれたようなこの感情をどうしたらいいのかわからない、そう泣き付いた先で返されたのはJr.時代のYouTubeのURL。与えられた物、素直に全部、隈なく見た。この友人、私を救う手段としてさらに沼を掘り進めさせると言う方向に舵を切ったのだ。このナイスアシストが効いたのか、翌日にCDを購入し、一週間後には「なにわのにわ」と言われるよくわからない催しに1人で足を運び、数週間後にはきっちりファンクラブに入るまで立派なオタクに育った。

気付けばデビュー翌日の「なにわ男子のオールナイトニッポンプレミアム」のYouTube生配信も見てしまっていたわけだが、そこでも私の知らないジャニーズを知ることになる。
その日は、店長の組んだ無茶なシフトのせいでヘトヘトのまま1時間以上残業することになって、ついてないな、と疲れて帰路に着いた。そんな時、前日登録したばかりのなにわ男子のYouTubeチャンネルから通知が来た。疲れた心は無意識に癒しを求めて気付けば生配信を開いていた。


私は声優のオタクという性質上、ラジオというコンテンツがめちゃくちゃに好きだった。疲れた帰り道に聴くラジオが1番心に沁みることを知っていた。ジャニーズだと顔がいいからラジオすらフル尺で動画配信させるのかぁと自界隈との違いも感じつつ見ていたのだが、ラジオを収録する彼らの姿は「これは見せないのが勿体ない!」と思ってしまうほど、それはそれは楽しそうだったのだ。CMの放送中もずっとカメラが切れることはなく放送されていたのだが、その時間もずっとメンバー同士、楽しそうなのだ。本当に彼らは仲が良いのだと感じ取った。それまでの彼らの歩みを知らないから、誰と誰がどのような関係にあるのか、とか、デビューに至った経緯とか、今この瞬間何がエモいのか、とか、わからないことだらけだった。それでも確かに「楽しい」と思ったのだ。

自称声優のオタクは今まで本当にたくさんのラジオを聴いてきた。しかし、それ故にラジオに対する評価はかなり厳しくなっていたと思う。これは自慢なのだが、推しのラジオは声優界でもなかなかのモンスター番組でシンプルに面白い。そんなラジオを毎週聴いているのでつい比べてしまって、「普通のラジオ」がつまらなく感じてしまうのだ。ジャニーズのラジオなんて特にそうだろう、顔で売っているようなもんだから喋りなんていまいちでもなんとかなる世界だろうし、構成作家も大事なアイドル様にぶっ飛んだ企画をやらせたりしないだろうと思っていた。しかし、意外なことに思ったよりも聴いていられる、と言うか想像以上にボケとツッコミのテンポがよくて面白い。ラジオ喋りでここまで惹きつけられるグループ…すごい…これは信用できる…そう感じた。本来ならアイドルは「きゃーー!」と言う黄色い声援だけ得られれば良いのであり、「カッコイイー!」「かわいいー!」でトークが完結して良いはずなのだ。しかし、なにわ男子は誰1人として「アイドル」に甘んじないのだ。全員が前に前に出て笑いを取りに行こうとする。アイドルなのに笑いに貪欲すぎる。

グループにバラエティ担当という立場ができるのは自然な流れであるし、なにわ男子も藤原丈一郎くんを筆頭に笑いを回している印象はあるのだが、バラエティ担当ではない子も全員が前のめりなのだ。バラエティが大好物な自分にとってこれは高ポイントすぎた。どんなに滑ってもめげないハート。そのボケが面白いかは別としてその姿勢はめちゃくちゃ評価したい。良いぞいいぞ、頑張れ。
これが「関西」を背負うジャニーズの宿命なのか。一時期、関ジャニのバラエティを見てあまりの面白さに魅力を感じ、関ジャニクロニクルも関ジャムもリアタイしてた時がある。お笑いができるアイドル、私にとっては理想すぎる。でもどこかコメディ感ばかりが前面に押し出されて「おもしろアイドル」のようなカテゴリになってしまっている気がした。バラエティの彼らは好きだけれど、アイドルとしての彼らのことは全然知らないという状況に陥っていたのだ。その時の私自身を振り返ると、彼らを「アイドル」として見ていなかったのではないかと思う。頭で思い描くキラキラした「アイドル」とは少し違うように感じてしまっていたし、彼らに対して期待したのは安定した笑いであって、「アイドル」を求めようとはならなかった。やはり、正統派なアイドルとは扱いの違いを感じえなかったし、関西やコメディ要素に引っ張られて、楽曲やパフォーマンスもコメディに寄りがちという印象があったのだ。

しかし、なにわ男子は「王道キラキラ路線」のアイドル道を歩もうとしている。これが俗に言われる関西出身ジャニーズとしての独自路線らしい。彼らを好きになり、ジャニーズという界隈に入ってからまだまだ日が浅い私には詳しいことはわからないが、彼らを知るファーストインプレッションがパフォーマンスであったならば、まさしく「王道アイドル」といったカテゴリに入るだろう。知りたいと思ったきっかけの先に、他に変え難い関西特有の笑いがある。一度で二度美味しい。それが「なにわ」なのだ。

彼らが培ってきた「笑い」はグループの強みの一つであることは間違いない。やっぱり人間は笑ってなんぼ、それがキラキラアイドルから与えてもらえるとなってしまったらもう逃げ道なんてないのだ!今考えると私となにわ男子の出会いがアメトーークであったことは偶然なようで必然だったのかもしれない。落とし穴に落ちるかもしれないと恐る恐る歩いているのと、補整された道だと信じて疑わずに歩いていたら落とし穴に落ちるのとでは後者の方が圧倒的に取り返しがつかないだろう。私は完全に後者だったけれど、おそらくこれも一つの運命なのだ。
素直に言おう、私は完全に彼らの虜で、彼らなしの毎日が想像できない!
そして!彼らに出会ってから毎日がかなり楽しい!!!日々が音を持って、キラキラ輝き始めたのだ。しばらくはアメトーークだけに頼らずとも彼らにたくさん笑顔にさせてもらえそうだ。
好きになってしまったのだからしょうがない。これは惚れた弱み、この先どんなことが起こるかは誰にも想像できない。そんな不確かな未来を思って不安になるよりも、今ここに確かにある「楽しい」気持ちを大事にしたい。これが人生で最初で最後のジャニーズの推しグループとの出会いであって欲しいと祈りながら、静かに情熱的に彼らへの愛を育もう。

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