多様性と価値観、社会のなかを共生すること。比喩としてのペンローズの幾何学。その先は?

 平面を図形で埋め尽くす問題がある。正三角形とか正方形、長方形、などなど。逆に平面を勝手に直線をひいて分割することもできる。多様な存在が生きている世界がこの世界だ。ちょうど平面に勝手に領域を描いていくように無限に増えていく領域を包含している世界といったものがある。技術的にも経済的にもある世界が見出されるとそういうことが起こっていく。つい最近では電子工学がコンピュータネットワークシステムを創りだしインターネットの世界が生まれた。ここでは勝手に世界の分割が行われてしまってあとからはそれをさまざまな意味で秩序化することが極端に難しくなってしまった。分割を組みなおすことが無理に近いのならこの世界を含んでいるより広い世界を構築する可能性を考えるのが理にかなっているのかもしれない。
 
 というわけで、経済も政治も人間の集団同士の関係もこうした幾何学的な発想から解決する方法を考えるようになるしかないのかもしれない。
 いくつかの基本的な図形があるときに、三角形とか五角形、あるいは奇妙なまがったところのある図形とか、こういうものたちをうまくつなげるかして構成できる空間的な多面体であるとか曲面とかができる。より高次元的な空間のなかにそれらを取り込んでみてみることもできるだろう。こういうことを、新たな社会的空間のイメージにしていく、より高次元の空間の広がりがあるとしてかんがえれば、そういうような見方がができるようになるかもしれない。どう考えても同じ場所に共存できないようなものたちはいくらでもいるだろう。ところが、生命の世界では棲み分けのようなことをしているようである。それが生存競争の必然であるのか単なる地形的環境的な偶然に過ぎないのかは一概にはわからないのかもしれない。ただそれが幾何学的なある種のパターンになることはありそうなことである。それらが複雑な高次元化している幾何学的な構造のなかの図形たちの入れ子構造に発展していくなかでうまくやっているというのが一番無理のない考えなのだろうか。

 エッシャーの奇妙な絵画で有名なペンローズの図形がある。今でも子供向けの本や漫画絵本にはよく見つかる。実際の三次元のわたしたちのいる空間では不可能な図形を絵にしてみせることができる。数学の問題にあるようなある条件を満たすものを見つけよという問いに対しては思いもよらないものが見つかるものである。生物は自分のいる環境をつじつまの合ったものとして神経系で再構成した世界観をつくる。自分の体の構造や機能に特化した環境世界を実際の世界から切り取ったようにした世界認識をつくっている。人間の場合でも基本は同じで、特にそれが凄くて集団として強調しながらそう言ったものを創りだす。それらはいつでもぶつかり合って壊れたり支配関係になったりあらたに発展したりしていく。どうしてもぶつかり合ったり支配関係になるしかならないように見えたとしてもちょっとした細工をしてみるとあら不思議、ぶつからないでうまく抜け出したりいつまでも回って行けたりできるようになる。まぁそのようにうまくつじつまを合わせるように世界の方を切り取って脳内世界にしてしまう。まぁ想像の世界を個人的に持ってしまうのだ。お互いに相手のこうした内面世界を内面化して互いに互いを入れ子構造にして心を「協働して?」つくってしまうこともできるかもしれない。こういうのはこんがらかるからよくわからない。
 このような現実味はないようなものではあるけれど奇妙な自由さを一瞬だけ想像できることもある。できないようなことができるように思えることが重要であってそれでまた新しくやる方法を作ることにもつながるかもしれない。奇妙な図形的世界のなかを表面を虫のように這いまわっているのを想像してみる。エッシャーの絵の昆虫たち、エッシャーの蟻のように。

 まぁ蟻になるのは想像力の限界の先にありそうだから何かほかにないものだろうか。そう思っていたらテレビドラマで『VRおじさんの初恋』というのがやっていた。たしかにそれは世界の拡張であった。このお話もかなり想像力の限界のその先へ連れて行ってくれそうでその先が自分の生活の世界につながっているのが新鮮で面白かった。
 神経系は出鱈目に見えるところからでもつじつまを合わせて新しく世界を創りだしていく。神経系は電子工学とつながって独自に動き出してこういう世界だって可能にしていくのかもね。

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