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本当の「謙虚さ」とは

自分が他者からどう見られているか。周囲からの評価は兆しだ。そこに自己認知とのギャップがあったとしても。

今までの自分は、謙遜したり否定したりして受け取り拒否していた。なぜなら評価されると期待され、その期待を必要以上に引き受けようとして苦しくなってしまう。さらに、その期待に応えられない自分と向き合うことが怖いから。逃げたくなる。

私の信念では「評価される」と「期待される」がべったりくっついている。だけど本来は

「評価」と「期待」は別のもの。

「評価」は、過去に対する判断。
「期待」は、評価に基づく未来への希望。

「評価」は、自分が起こした事柄の波紋を受け取った他者(世界)の反応。

「あなたは、そう見えたんだね」
「あなたは、そう感じたんだね」
「あなたは、そう受け取ったんだね」

と手に取る。そして、次の機会にいかす。そうやって、世界からの声に応答し続ける。生きるとは、その繰り返しでしかない。のかもしれない。

「謙虚さ」とは


「評価」は、過去の行動の結果に対してなされるものであり、存在に対してなされるものではないはず。本来は。

悪い評価が自分自身を、自分の存在を否定するものではないのだけど、ここを切り離せず苦しくなってしまう。だから、自分を過小評価することでダメージを小さくしていた。万が一、他者の期待に応えられなかったときの逃げ道を作っていた。それに気づかず、いつの間にか「謙虚」であることは美徳であるからと、どこか開き直ってすらいた。

本物の「謙虚さ」とは、自分を過小評価して自信なさげに振る舞うことではなく、自分自身の現在地を正しく見極める力のことなのではないだろうか。周囲への感謝とともに。

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