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永遠のチャレンジャー

「真央ちゃんがやってるスケートは失敗したらダメなスポーツだけど、バスケはいくら失敗しても大丈夫だぞ!」

中学生の頃、こんなことを言われたことがある。
バスケの試合中だった。
ミニバスで監督をしていた、ひとつ上の先輩の父兄さんだったと思う。

採点競技は残酷だ。
あくまで他人が評価するものだから。
点数の付けようがない「美しさ」を競うものだから。

「失敗しても大丈夫」なスポーツしかやったことがなかったからこそ、わたしはフィギュアスケートというスポーツを見るのが好きだった。
多分美しいもの、綺麗なものが昔から好きだったんだと思う。

きらきらと輝く衣装をまとった選手が、ダイナミックなジャンプを跳んだり華麗なステップを踏んだりする姿に釘付けだった。
キスアンドクライで涙や笑顔を見せる姿は、まるでドラマのワンシーンのようだった。

ひとつのミスが命取りになる、そんな緊張感の中を戦うトップスケーターの中で、ひときわ大好きな選手がいる。
今でこそ名前を知らない人はいないであろう、ソチオリンピック、平昌オリンピック金メダリストの羽生結弦選手だ。

きちんと認識したのはソチオリンピックの2年前だったと思う。
それまであまり興味のなかった男子フィギュアで、不思議と目を引く存在だった。

フィギュアスケートは夜7時とか8時くらいのご飯時に放送されることが多い。
お箸とご飯茶を持ったまま、1ミリも動かずに羽生選手の演技に見入ってしまったことを今でも覚えている。
同世代で、しかも同じ東北出身で、こんな綺麗な演技をする人がいるんだなと思った。

演技を見れば見るほど、インタビューを通して人柄を知れば知るほど、ほんとに「スケーター」なんだなと感じて、気づけば毎年グランプリシリーズの開幕が楽しみになっていた。

2014年、さいたまスーパーアリーナに羽生選手を見に行った時のことは今でも忘れない。
大好きな「パリの散歩道」を生で見ることが出来たのは、一生忘れられない思い出だ。

歳を重ねる毎に跳べるジャンプの数は増え、素人目に見てもスケーティングに磨きがかかっていった。
それにともなってメダルの数が増え、世間からの注目度もうなぎ登り。
そんなプレッシャーにも負けず、最高得点を何度更新しようと、常に挑戦し続ける姿はアスリートそのものだった。

そんな羽生選手が、三度目のオリンピックに出場した。
「三度目の金メダルへ」「4Aへの挑戦」。
数々のサイトでこの文字を見た。
どれほど期待されているかを、容易に知ることが出来た。

ショートプログラムでは不運に見舞われて、高い得点を出すことが出来なかった。
(4Sが0点で95点越えは化け物級なんだけども)
「三冠がかかっているこのタイミングで!?」と思ったけど、当の本人は淡々としているように見えた。
自分がFSで良い演技が出来ることを知っているかのようだった。
嵐の前の静けさ的な感じだった。

1位を独走しているよりも、窮地に立たされた時の方が良い顔をするし、そこから逆転したことも数えきれないほどある。
直前の6分間練習で他の選手と衝突して、頭に包帯を巻いたまま滑りきったこともある。
逆境を乗り越えてきた経験を全部自信にしているかのようだった。

8位で迎えたフリースケーティング。
銀メダル、銅メダルくらいまでは、4Aを諦めて演技構成を変えれば十分狙える実力なはずだ。
跳ばない選択をしたって誰も責めるはずがない。
着実にメダルを狙いに行くのだって立派な戦法だ。
4Aを無しにしても十二分にすばらしいプログラムになることは、誰もがわかっていた。

でも、プログラムが始まって最初に跳んだのは4Aだった。
これを失敗すればメダルから一気に遠ざかることも、本人は分かっていたと思う。

「一か八か、金メダルを取るために4Aに挑んだ」と考えることもできるけど、わたしにはそうは見えなかった。
上手く言葉では表せないけど、メダルを取るためのものでもなく、誰よりも一番最初に成功させたかったわけでもなく、「天と地と」というプログラムを完成させるためには4Aに挑戦することが必要不可欠だと思ったから跳んだ、という印象を持った。

結果、回転不足かつ転倒という判定。
もちろん点数も伸びるはずがなく、雀の涙ほどだった。

ダウングレードではなく回転不足。
この結果を見た時に、涙が出た。
悲しい涙や悔しい涙ではない。

回転不足は「成功は出来なかったけど、挑戦はしましたね」という証拠。
挑んだからこそ得られた結果。
決してがっかりすることではなく、大拍手を送れるくらいの偉業に感動した。

成功できなかったという結果ではなく、挑戦をしたいと思ったことがとても格好良い。
どこまで行っても高みを目指し続ける、どこまで行っても挑戦者である「羽生結弦」を見ることが出来た。

誰よりもスケートが大好きで、大好きだからこそ上手くなりたいし1位になりたいし、勝ったら嬉しいし負けたら悔しい。
そんな青年の、めいっぱいの演技を見ることが出来た。

ミスのない完璧な演技ではなかったけど、繊細な動作からは滑っている一瞬一瞬を大事にしているのが伝わってきた。
美しくて儚くて、感動して涙が出た。
ジャンプやステップはダイナミックなのに、演技が終わったら全て消えてしまいそうな儚さがあった。

「これが羽生結弦です」と言わんばかりの、素敵なプログラムをありがとう。
仮に報われない努力だったとしても、挑戦し続ける勇姿は誰よりも素敵で格好良い。
何個ミスがあろうと、順位が何番目だろうと、「やり切った」と言っている姿を見れて安心した。
いまは胸がいっぱいです。

前に人がいなくても、フィギュアスケートという可能性に挑み続ける羽生選手のスケートが大好きです。
永遠のチャレンジャー、羽生結弦が大好きです。

「今日は自分で自分を褒められない」と言っていたけど、どうかたくさん褒めてあげて。
どうか、今夜は温かい夢を見てほしいな。
おつかれさま。そして心から、ありがとう。

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