ドキュメンタリー『つつんで、ひらいて』装幀者・菊池信義氏の哲学「紙の本は身体だ」

1万5千冊の本をデザインした装幀者・菊地信義のドキュメンタリー。菊池信義氏は2022年3月に亡くなった。数々の美しい本をデザインした菊池信義氏の貴重な人間ドキュメンタリーになっている。広瀬奈々子は、是枝裕和監督率いる制作者集団・分福のメンバー。是枝裕和・西川美和などの監督補をしながら現場経験を積み、2015年から3年かけてカメラを自ら持って菊池氏を撮影し、本作を完成させた。2019年、劇映画『夜明け』で映画監督デビューを果たした。

電子書籍で本を読む時代となり、書籍は文字情報だけになってきている。確かに電子書籍は本棚の場所も取らないし、文字も自在に拡大できるし、持ち運びも本のように重くないし、いつでもどこでも情報を得るという意味では便利だ。しかし、本の装幀の色や形、文字のデザインなどにとことんこだわる菊池信義氏の丁寧な仕事ぶりを見ていると、本そのものの肌触りや感触、読者と作家との間にある間合い、モノとしての存在感、本への愛着など様々な思いがこの本の装幀に込められていることが分かる。

古井由吉の『雨の裾』の装幀の出来上がった新刊本を手にしながら菊池氏が愛着を込めて、カバーを外して本の表紙を撫でまわす。表紙は肌であり、「紙の本は小説の身体なんだ」と言う。菊池氏は大学1年のとき、モーリス・ブランショの『文学空間』という本に出会い、その装幀に魅了されたそうだ。墨で荒々しく塗られた筆の模様に浮かび上がる金色の文字、そして金の縁取。菊池を惹きつけたその装幀のチカラ。以来、中上健次や古井由吉、俵万智、金原ひとみ、澁澤龍彦など多くの作家たちの装幀を手がけた。

書店の本棚に並べられている数ある本のなかで、装幀の美しさやデザインが気になって本を手に取ったことが誰にもあるだろう。装幀とは、作家と読者をつなぐものである。菊池氏は「デザインとは設計でなく、誰かのために“こしらえる”ものだと思うんです」と語る。誰かのためにつくる。他者(作家や読者)がいて本の装幀がある。自発的な表現がまずあるのではなく、他者との関係において自己がある。他者との関係において表現する「装幀」があるというわけだ。言葉もまたモノである。作家が紡ぐ言葉もまた、作家の思い(意味)を超えて言葉がそこにあり、読者は言葉の意味の背後にある何かをそこから感じ受け取る。それぞれのやり方で。その関係性があって自分があることを菊池信義は熟知していた。

1mm、1%、1g単位でタイトル文字の修正を繰り返し、フォント、大きさを選び、紙の色や質感にこだわった。それは菊池氏が日常から愛着を持っている陶器の美しさや骨董品、コーヒーの豆の香りや蓄音機のレコードの音、仕事場の窓の植物や猫、路地や蕎麦屋や長年通い慣れた喫茶店の空間などとも繋がる。愛おしくリラックスできるモノたちや空間と時間。肌触りや質感というものを大切にする職人のモノに込められた魂のようなものがそこにはある。それは電子的な情報を超えた何かなのだ。

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