カール・テオドア・ドライヤー監督の傑作『怒りの日』愛と欲望と死と魔女狩り

1943年のデンマーク映画。と欲望と死と魔女狩り。過酷な運命に引き裂かれた人生の悲劇を鮮烈に描いた恐ろしい映画だ。

魔女狩りの時代の中世のノルウェーを舞台に老牧師アブサロン(トルキル・ローゼ)の再婚相手の若き妻アンネ(リスベト・モービン)が若い息子マーティンと不倫の恋に走り、老牧師を呪い殺したとして魔女の疑いをかけらる物語。過酷な尋問を受け、火刑に処刑されるジャンヌ・ダルクの姿を描いた『裁かるるジャンヌ』(1928年)にも通じる社会から排除・抹殺される女性の悲劇を描いた。そこには、自らの宗教的信念を貫いた女性の強い意志があり、この映画ではまさに自らのの信念を貫いた女性の悲劇とファムファタール的な強さと怖さがある。一方で男性的な抑圧社会、宗教や国家の恐ろしさを描いている。この映画は1943年にナチスに支配されていたデンマークで撮影されており、魔女狩りはナチスの「ユダヤ人狩り」の暗喩ではないかともいわれている。

「死者の蘇り」という非現実的な事実を家族と信仰をテーマにして描いた『奇跡』(1955年)では、リアリティを度返しして人智を超えた「あり得ない奇跡」を描いた。この映画でもアンネの老牧師の死を願うの呪いの直後に、老牧師は突然倒れて死んでしまう。まさに呪い殺された魔女的な力が彼女にあったかのように描かれる。「奇跡の復活」や「邪悪な呪いによる死」が本当にあったかどうかはどうでもいい。映画的フィクションの力を使って、人間の意志の力、邪悪な思い、と業欲、闇の深さを描くのがカール・テオドア・ドライヤーだ。遺作となった『ゲアトルーズ』(1964年)は、これまでの宗教色を取り払い、女性のと欲望を描いた意味で、この『怒りの日』と最も近いかもしれない。

息子との禁断のに身を委ねるアンネの直情的な思いは、老牧師の死者を弔う場面とカットバックしながら描かれる。父親を裏切っていることに苦悩する息子マーティンと正反対に、「いま、この瞬間」の愛の悦びに幸福の絶頂を感じるアンネ。小川のボートの上でアンネが感じる美しき愛の恍惚。部屋の中の暗さと対照的に小川や野原での二人のデート場面の自然光の美しさが見事だ。そして、嵐の夜に帰宅した老牧師に赤裸々に息子への思いを口にし、老牧師の死を思う強い眼差し。闇と光の照明が彼女の強い目の光、信念を強調する。まさに魔女的とも思えるほどの愛への思いである。

アンネを魔女だと告発する義母の怖さは最初から一貫しているのだが、映画はあくまでもアンネを悲劇のヒロインとして描いているわけではない。普通の女性を魔女として火あぶりにする抑圧の時代の怖さは描いているが、愛の沼にはまり込む人間の怖さも描いている。カール・テオドア・ドライヤーは、様々な映画的手法を駆使しながら、人間そのものの欲望と闇、怖さを一貫して描いているのかもしれない。ドライヤーの作品は、どれもその強度と深度に驚かされるし、深い想念が感じられる傑作ばかりである。

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