ホン・サンス監督の『イントロダクション』は、観客を混乱に導く断片の連続

タイトルに「イントロダクション」とある通り、何も描かない。「さわり」の部分のみ。3つのエピソード構成で、物語にもならない<断片>が描かれるだけで、わかりにくい。登場人物もいろいろと出てくるが、「誰の話なの?」と観客は終始混乱させられる。無造作に投げ出される物語の断片を観客が勝手に補って想像するしかない。2021年・第71回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門で、この脚本が銀熊賞(最優秀脚本賞)を受賞したそうだが、ホン・サンスのしたたかな策略が心憎い。混乱させるあざとさを面白いと感じられるかが、この映画の評価の分かれ目だろう。私はこういう訳の分からぬヘンテコな映画が好きである。時代も空間もはっきりしないモノクロ映像。

<エピソード1>は、韓国ソウルのある病院が舞台。その漢方系の医師の祈りの姿から始まる。その医師である父と折り合いの悪い息子ヨンホ(シン・ソクホ)と恋人のジュウォン(パク・ミソ)が映し出され、父にこれから会うようだ。医師である父の物語ではなく、この若いカップルが映画全体の主役であることがだんだんと分かってくる。しかし、父に「話がある」と呼び出された息子との親子の葛藤が描かれるわけではない。父の祈りや苦悩は描かれるが、息子との約束の時間に突然、知り合いである有名な役者の患者が現れ、息子はずっと待たされる。待合室で眠っていたりする。そして息子は、病院の看護師の女性と幼い頃の昔話をしながら、慕っていた過去を思い出し、二人は抱擁する。この看護師の女性と父の関係もハッキリと描かれないので、よく分からないまま<エピソード1>は終わる。街に雪が降ってくるので、ヨンホの夢のような場面でもある。

<エピソード2>の舞台はドイツ。服のデザインの勉強をしたいとドイツに留学のためやって来たヨンホの恋人ジュウォンと彼女の母親(ソ・ヨンファ)、さらに母親の友人である画家(キム・ミニ)の部屋から始まる。ジュウォンがドイツで暮らすことになる部屋だ。ドイツが舞台なのに、ちっともドイツらしい風景は描かれない。部屋の中や公園が出てくるだけで、ドイツ人も登場しないので、「本当にドイツで撮ったのか?」と疑いたくなるような映像。ドイツの街の雑感などは全くない。ジュウォンは、母親の友人キム・ミニに勉強する覚悟を厳しく問われたりする。<エピソード2>はそんなドイツでのジュウォンの物語かと思いきや、彼女の物語は始まらない。ジュオンを追いかけて韓国からやって来たヨンホが来ていると言う。二人はドイツで再会する。<エピソード1>からどれくらい時間が経過したかは不明。二人はドイツの街角で、「離れたくない」と抱き合う。医師である父に頼んでお金を工面してもらい、「自分もドイツで一緒に暮らす」と言い出すヨンホ。なかなかあまっちょろい青年である。

<エピソード3>は、海辺が舞台。ホン・サンスは度々海辺を舞台に使う。人が消えたり出会ったり、幻想的な場所として彼の映画で「海辺」は特権的だ。<エピソード2>からの時間経過は不明だが、ヨンホとジュウォンはすでに別れたようで、ヨンホは俳優をやっている。海辺の店で母親に呼び出されて、ヨンホは友人と一緒に車でやってくる。その店で母親に紹介されたのは、<エピソード1>に出てきた有名な大御所俳優だ。ヨンホはフィクションである映画の「うそ」のキスシーンを演じるにあたり、付き合っていた彼女に対し不誠実で罪深いような気がして、キスが出来ない。「俳優は自分には向いていない」と相談するのだが、その大物俳優は突然烈火のごとく怒り出す。酒も飲んでいてかなり酔っており、「フィクションで女性を抱くことにどこに罪があるのか?」と大声で怒りまくる。いたたまれなくなったヨンホは店の外に出ると、なぜか別れた恋人ジュウォンがいて、「あなたと別れた後、目の病気になった」と打ち明けられる。そんな病気の彼女を自分が支えると伝えるのだが、これは夢のシーンのようだ。彼女の人生の支えになりたいという彼の願望か。車で眠っていたヨンホは、友達とふざけ合いながら、冷たい海に入る。冷たい波に身体を濡らし、「タオルで拭けよ」と友達に抱きかかえられる。この映画3度目の抱擁シーンだ。そして海辺を歩いていると、ホテルの部屋からこっちを見ている母親の姿が見える。息子は母親に手を振ることもなく、無視して海辺を歩いて行く。この窓から外を見る母親の姿が幻のように描かれる。この映画全体がいったい夢なのか現実なのか、よく分からなくなってくる。

3つのエピソードとも<親子>が必ず描かれている。ヨンホと話が出来ない父、過剰に干渉してくる母。あるいはジュウォンの母も出てくる。またドイツの画家の友人は、海辺の店でヨンホを厳しく叱責する有名俳優と同じような存在だ。世代間格差のある大人の厳しい意見。しかし、その親子の葛藤や世代間の価値観の違いが中心的に描かれるわけでもない。あくまでも「イントロダクション」だ。関係の断片だけが示される。自分の人生のあり方が定まらない中途半端な青年ヨンホは、彼女ジュゥオンとの関係も曖昧であり、ドイツと韓国を行き来しながら、夢と後悔を抱え、これからの人生をやっと歩き出したところだ。

ヨンホが終始タバコを吸っているのが気になる。ほとんどのシーンでタバコを吸っていて、うんざりするほど過剰な身振りである。タバコを吸わないではいられないのか、と思ってしまう不自然さ。当然意図的な演出だろうが、タバコで「場」を紛らわしている未成熟な者ということなのだろうか。ラストは海で身体を濡らし、何かが吹っ切れたようにも見える。あの冷たい海の波は、『あなたの顔の前に』のラストの「雨」に対応しているのだろうか。わだかまりを洗い流すかのような冷たい水。

また、「眠り」が何度も描かれる。<エピソード1>の医師や、ヨンホの<エピソード1と3>でも描かれている。「眠り」から連想されるのは「夢」だが、現実に起きたことなのか、夢なのかが曖昧である。芝居における現実とフィクションの身振りの混同と罪のエピソードが出てくるが、ホン・サンスの映画そのものがその境界を描いているような気がする。酒やタバコ。居酒屋や路地や公園、そして海辺。反復される身振り。いずれにせよ断片をどうつなぎ合わせばいいのか、観客を惑わせる映画である。

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