『猫を棄てる』感想文
4月の最後の土曜日、僕は自転車に乗って近所の商店街へ買い物に行った。
かつての城下町にあるその商店街は2020年の騒動よりも前から多くの店がシャッターを降ろしたままだ。昼前だというのに人はまばらだった。
けれども商店街の南にある肉屋の店頭にいつも並べてあるコロッケは売り切れていた。昼食のおかずを買いに行くという名目で僕は家を出てきていた。
閑散とした商店街の中を自転車で走り、その北側の端にある本屋に立ち寄った。村上春樹さんの『猫を棄てる』を買うためだ。
新刊コーナーには、4冊ほどの新しい本が積まれていた。
周りに積まれていた本よりも少し低くなっていたから、僕の前にすでに何人かが買っていったのだろう。迷うことなく一番上の本を手に取って購入した。
僕と入れ違いに店に入ってきた白髪混じりの細身の女性が「村上春樹の新刊が出たの?」と店員さんに訊いていた。当日の新聞広告には、海辺で段ボール箱の中に入って本を読む村上少年のイラストが大きく載っていた。
小さな町の本屋で数分間のうちに同じ本が2冊売れようとしていた。この本が、いま瞬間、さまざまな場所で誰かの手にとられていく光景を僕は想像した。
『猫を棄てる』の数多くの読者の一人である僕は36歳で小学校の教師をしている。京都の伏見で生まれ(村上さんと同じだ)、結婚して10年ほど前から海辺のまちで暮らしている。小学生の娘が二人いる。
大学4回生の頃から村上さんの本を熱心に読むようになった。最近になって村上さんが自分と同年齢だった頃に書いた文章を中心に読み返している。簡単な感想も書くようにしている。
新聞広告に『猫を棄てる』の感想文を募集している記事が載っていた。村上さんに読んでもらえるかはわからないけれど僕も書いてみようと思った。
『猫を棄てる』を初めて読んだのは雑誌だ。娘たちと一緒に図書館に行き、古い一人掛けのソファーに座って読んだ。
そのとき印象に残ったのは文章よりも写真だ。バットを持つ村上少年とキャッチャーをする父親の写真。
写真の掲載を了承したんだと僕は驚いた。了承したどころではなく、もしかすると村上さんがこの写真を探し出してきたのかもしれない。アルバムの写真を眺める村上さんの姿を想像する。
『猫を棄てる』を買った日の午後、自宅でもう一度読んだ。だいたいの内容は覚えていた。そして5月の祝日の午後、感想文を書くために再度本を開いて7箇所に付箋を貼った。
世界で猛威を振るう新型ウィルスのニュースが連日流れ、日本政府からは緊急事態宣言が発令されている。けれども空は朝から晴れ渡り、爽やかな初夏の風が通り抜ける心地よい1日だった。
感想文を書いていると問いが芽生える。僕はいったい何を受け継いでいるのだろうかと。広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の一滴として。
僕の父親は現在66歳だ。36年前から僕の父となった。
税務署を定年退職して、週に4日マンションの管理人の仕事をしている。小さな畑で野菜をつくり、近くの山へ歩きに行き、図書館で借りた本を読んで暮らしている。
父方の祖父は僕が10歳の時に80歳で亡くなった。子どもは6人いて父は6番目の子どもだった。
北陸の訛りがある上にぼそぼそと話す人だったから、話しかけてもほとんと聞き取ることができなかった。帰省したとき「なごうなっとっけの。」と祖父が言った。「ゆっくりしていきなさい。」という意味(合っているか確証はないけれど)だと祖母が教えてくれた。僕が記憶している唯一の祖父の言葉だ。
祖父はあまり身体が丈夫ではなく徴兵されなかったらしい。子どもの頃の僕は祖父が戦争に行かずに済んでよかったと思った。もしも祖父の身体が丈夫だったら父や僕は存在していなかったかもしれないからだ。
けれども祖父にとって、そのことは大きな心の傷となったのかもしれない。大人の男性として徴兵されずに小さな村の中で生きていくことは、決して居心地のいいものではなかっただろう。とても気難しい性格だったのはその影響かもしれない。
祖父の家には若い海兵の絵が飾ってあった。祖父の弟だそうだ。乗っていた戦艦が爆撃されて命を落としたと聞いた。
僕にも弟がいた。
2歳年下の弟は、28歳になる直前に心臓発作を起こしてこの世を去った。2週間前に僕の2人目の娘が生まれたばかりだった。その娘は現在7歳だ(ちなみに姉は2歳年上だ)。娘が少しずつ大きくなっていくことは、弟との空白の時間が大きくなっていくということでもある。
弟が小学校の低学年だった頃に聞いた話がある。弟の友達のおじいさんが中国人を殺害した話だ。戦時中、おじいさんは中国へ出兵していた。
どういう理由でかおじいさんは持っていた刀で中国人の胸を刺した。その中国人はおじいさんをずっと見つめ続けていたそうだ。力を込めて刺した刀を思い切りねじると、顔色が一気に変わり絶命したという。おじいさんは、その時の中国人の眼差しから死ぬまで逃れることはできないだろう。
おじいさんはなぜ、この話を弟たちにしたのだろう。まだ小さかった弟はどんなことを思ったのだろう。
僕が住むまちには義理の祖父がいた。妻の父方の祖父だ。
結婚して間もない頃、義祖父の家を訪れたときに二人きりで会話する機会があった。寡黙な人だったが、その日義祖父は戦時中に満洲へ行ったことを話した。
義祖父は9年前に肺炎が悪化して帰らぬ人となった。入院している義祖父をお見舞いに行くと、もう声が出せなくなっていた。けれど、僕とはっきりと目が合った。その目は僕に何かを伝えようとしていた。
ここに書いたことは、単なる個人の思い出話かもしれない。感想文とは呼べないかもしれない。「村上さんの文章を読んで、あなたは何を思ったの?」僕はこのように指摘されるかもしれない。教師という仕事につき、時に子どもたちに文章の指導する立場でありながらだ。
けれども、これが僕の感想だ。『猫を棄てる』を読んで感想文を書いているうちに記憶が思い起こされてきた。そして僕にとっては記憶を文章にしておくことが大事だったのだ。
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