見出し画像

2022年10月27日 己を知るということについて《他者に意見出来ないのは自信がないから、自信がないのは自分のことがわからないからなのか?》 episode 147

自分の心研究員703です。

そんなわけで
自分の『こうしたい』をなかなか他者に伝えられない私なわけですが

それは何故か?

やっぱり、日頃から思考せずに
のほほんと過ごしているから
自分の『こうしたい』に、自信が持てないからでしょう。

“そうだ、岡潔を深めよう”という勉強会に触れるにつけ
大先輩が数センテンスごとに
“それってなに?”って、いちいちきちんと立ち止まって思考するのを目の当たりにしたことは
数日前に書いた。

いやぁ、ビックリしたわけですよ。

私なんてわからないことだらけなんだけど
なんとなくニュアンスでスルーしてきたわけで

きっと、
偏差値が高いとか
勉強が出来るとか
学力が高いとか

私がそんな風に感じてきた人たちは
わからないことをわかるまで追求できる人たちで
テストの点がいつも高得点、ってだけじゃなくて
そういえば
その人たちはお話ししてても深みがあるというか
安心感があるというか

そういうことなんだ、きっと。

わからないをわからないままにしとかない

こんなことを
ずーっとサボってきたから

私は私のこともよく知らなかったんじゃないかな?

だから、

自分の『こうしたい』を感覚的にしか捉えてなくて
きちんとアウトプットする自信がないのかなー

って、こんな風にここ2〜3日
こんなことばかり考えてしまっている

どうやら、
自分のマイナス感情がなんなのかを探すのと
わからないをわからないままにしないことは
なんていうか、裏表な関係というか

私はどちらもないがしろにしてきたんだよなー
って、思える。

老子曰く、「知人者智、自知者明」
(人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり)
 
他人のことが分かるのは智者と言えるが、
真の自分(己)を知る者こそ明智の人である。

つまり、自分のことを知ることは
他者を理解するよりレベルが高いってことなのねー

今更、と思わずに
今からでも、真の自分を知るために

私はやっぱり
自分の心研究を続けていくつもりです。

あなたが

今の自分のままでいいのかな?
と、少しでも思われていたら 
是非、ご一緒に私の自分探しの旅にお付き合い下さい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?