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2022年6月16日 怒りについて《客観的現状把握すると、この怒りはどういうことなのか?》14日目

自分の心研究員703です。

んー

アタシって

かまってちゃんだし
姫体質だし
スポットライトが当たるの当たり前だし

だから 
かまってもらえないと
お姫様扱いされないと
スポットライトの外だと

頭にきます。

今日も頭にきました。

zoomミーティングに耳だけ参加してた時
客観的現状把握についてのワークの時間があったんだけど
目の前にある物体を客観的に見てどんな状態か言いましょう
と、言うので
チャットに書き込んで参加しようと意気込んでみたものの
ま、時間的な問題もあってスルーされた時
無茶苦茶頭にきました。

さてさて、
この怒りを客観的現状把握するならばどうなるか、と言うと
それはただスルーされたために頭にきた、というだけ。
ただそれだけ。
そこに昔、スルーされて悲しかった過去の記憶やら
たまたまnoteにスキがなかなかつかない苛立ちを
混ぜ込むと、それは主観的になり始めるわけです。

自分の心研究の観点では
この客観的現状把握をキッチリと出来るようになって
あぁ、そうなんだな、って感じられることこそが自己受容への一歩
これに尽きるらしいのだけれど、、、

言いたいこと、伝わってますでしょうか?

かまってちゃんも姫体質もスポットライト浴びたいのも
現状のアタシ、それだけ

zoomでスルーされたのも、ただスルーされただけ
ワークを進行された方の心持ちは私にはわからない
そこに、いろいろ意味付けするとかしないとかは
私の心持ち

自己否定感にまみれてたり
傲慢な気持ちに包まれていたりすると
なかなか客観的に現状把握出来ないわけです。

試しに、目の前にある物を客観的に見て、どんなふうに見えるか、試してみてください。
その時に、物にも感情がわいてきたりするかどうか、試してみてください。
物にさえ、客観的にみれないことがあるって
体験してみて欲しいくらいです。

あなたが

今の自分のままでいいのかな?
と、少しでも思われていたら
是非、ご一緒に私の自分探しの旅にお付き合い下さい。

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