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2022年9月6日 心がカチコチなことについて《心が動かない自分はやっぱり心が回復していないということなのか?》96日目


自分の心研究員703です。

7月に知人が亡くなったことは以前noteに書いた。
その知人と懇意にしていた私のひとまわり年上の友人はそれはそれは落ち込み、今も、連絡を取るとその知人の話になる。
けど、私は心が動かない。

今日、バブル時代にお仕事をご一緒したことがあり
大変お世話になった方が逮捕されたという連絡を
その友人からもらった。
そのニュースに驚いた別の年下の友人からもショックである、とメッセージをもらった。
だけど、私は心が動かない。
さもありなん
私がネットニュースで読んだ時の私の感想。

実家では父の調子が上がらず
母が介護疲れしている。
遠方より妹が母を休ませるために3泊で
実家フォローに入った。
介護の仕事をしてるからなー
兄も最近、実家にきてリモートワークしたり
家族LINEで兄や妹が父の心配をしている時に
私はどうでもいい話しで、父の心配などほぼしておらず。
近所に住んでいるのに手伝いとかしたことない。
通院介助とかはしてたけど、家事のフォローはしたことない。
なんでかなー?

実家の件は、母が子どもの時に私がやりたかったお手伝いを一緒にしてくれなかったからだろうと
すぐにわかったけど

バブル時代に仕事を一緒にしたり
接待という名のただのプライベートの延長線で
きらびやかな世界をのぞかせてもらったり
それなりに楽しい時間を共有していたお世話になった方の逮捕について
心が揺れないのはなんでだろう?

知人の死についてもそう。

知り合っていなかったら経験できなかっただろういろんなことを知人と年上の友人のお陰で
本当にあれやこれや経験させてもらえた。
大変お世話になったのに。

つまり私は、今まで他者に全く心を開いてこなかったのかもしれない。

あんなに楽しく面白く同じ時間を過ごしたというのに?

だけど、なんとなく思う。

私は人とどんな風に接していいのか全くわかってなかったのかもしれない。
ただ、自分本位に自分が楽しければなんでもいいじゃん♪
みたいな感じで、人対人でちゃんと付き合ってきたことがないんだ。

私は人が怖いんだ。
どうやって付き合えばいいのかわからなかったんだ。
いいとか、悪いとか
やりたいとかやりたくないとか
自分の心にアクセスしたこともなければ
思考したこともない。
ただ、ひたすら
酔っ払って生きてきただけなのかもなー。

「快」の書き替えをしなくちゃなー。
私が今まで楽しいと思っていたことは
「快」ではなく、自己否定からの逃避だから。

私が今まで「快」と思っていたことは
実は酔っ払っていただけ。

本当の「快」がわかる様になるには
もっともっと自分の心研究をしなくちゃなー

人に心を開くってどんなかなー
これから、
ここから、
まずは、やっぱり自分なんだわ。
自分の否認をひとつ残らず解いた時
きっとみたこともない世界がみえるのでしょうね。

喜怒哀楽

ちゃんと感じて生きて行きたい。

あなたが

今の自分のままでいいのかな?
と、少しでも思われていたら
是非、ご一緒に私の自分探しの旅にお付き合い下さい。

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