映像制作会社の思い出 AD時代、2本の歯を失った

AD時代に2本、歯を失った。そう書くと映像プロダクション経験者なら『ロケデータか、完パケのテープでもなくしてディレクターに殴られたの!?』と思うでしょう。いやいや違うのです、これはまた大事件ではなくて、ささいな私の判断ミス。

AD時代、某局の番組を担当していた。勤務時間は午前10時から夜12時くらいまで。もちろん番組を納品するまでは土日もない。ロケがなくても、鶏小屋のように狭いオフィスに同僚たちと肩を並べてテッペンまで働いていた。それが日常だった。ブラック企業なんて言葉が出始めた時代だったけれど、まわりの制作陣はそれが当たり前だったので、これがTV制作のルールだと自分に言い聞かせて働いた。毎日、毎日、課題は山積みだった。あと、担当番組の総合演出(チーフディレクター)がめちゃくちゃキレる人で、その人が帰るまで帰れないという恐怖があった。

番組の企画考案(ネットで調べたり、専用の図書館施設に行ったりする)ネタだし、企画会議、台本づくり、撮影場所探し、撮影場所のブッキング、出演者オーディション、出演依頼とスケジュール連絡、小道具の準備、カメラマン、照明、音声さんの手配、収録日のスケジュール管理、スケジュール進行、撮影日当日のロケ車手配、などなど。毎日課題は山積みだった。

そんな中、歯が痛くて仕事にならず、忙しすぎて歯医者に行く時間がない。きっといつか治るはず。23歳の私は、虫歯の先をよめるほど賢くなかったのでEVEとか市販の痛み止めを飲んで耐えていた。そうして数日が経ち、お分かりだと思うが歯が抜けた。帰宅して、お茶を飲んだら1本。驚いて口に指をいれたら、もう1本も抜けた。

子供の時から一緒だった歯だ。大切な歯。けっこう、あっけない。こうやって大切なものを失うのは嫌だと、そこで気づいた(遅すぎるゆとり世代)

ある日、チーフディレクターから『TV制作を続けていくには人生を棒に振る覚悟でなきゃいけない!』と言われた。確かにTV制作をする、会社は常に追われている状態で自分の時間なんてなかった(ほぼ半年くらいは休みがない)

歯を失ってからしばらくして、担当番組を納品した後、プロデューサー(管理してくれる上司)に異動を願い出た。もっと、ゆとりがある部署に。

でも映像は辞めたくはなかった。