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#127 本当の自分って

前回、「どこでもドア入荷しました」で架空の未来でどこでもドアが販売される記事を書きました。

そこで、販売されたどこでもドアは移動地点Aから移動地点Bまで二つのドアを通じて数秒で世界中にいけるというものでした。

移動地点Aにあるどこでもドアは、移動する個体の分子構造を正確にスキャンすることとドアに入る個体を消去することが役割になります。

移動地点Bにあるどこでもドアでは、送られてきた分子構造を再構築化し、まったく同じ個体を複製し移動地点Bの扉から出します。

このようにすれば、将来、現実的にどこでもドアが販売されるかもしれません。

しかし、問題があります。

移動地点Aにあるどこでもドアは、扉の中に入ってきた個体をスキャン後に消去しなければなりません。

そうしなければ、ドッペルゲンガーのようにこの世に同じ人間が2人いることになっていまいます。そうなれば、同じ個体とはいえ、自分が生存し自分以外を消去するという選択を下すでしょう。

また、消去するということは、今いる個体は死ぬことになります。当然、移動地点Bで生き返るので心配いりませんが、はたしてそうなるでしょうか。

銅鑼氏詰め寄る記者は銅鑼氏によってリオデジャネイロに飛ばされました。そこで記者ははじめてどこでもドアを使用するのですが、リオデジャネイロに到着後、これまであった浅い記憶がなくなっているように描きました。

一般的に記憶は脳の大脳皮質に蓄えられると考えられています。一時的な短期記憶は海馬の中に送られそこで整理され、必要な情報を大脳皮質に送り長期記憶されます。

これは、あくまでも一般的な脳科学の見解です。

しかし、世間には臓器移植によってこれまでなかった記憶が宿った例もあります。記憶というものが必ずしも脳の一部にのみ蓄積されるのではなく、多くの場合、脳の大脳皮質に蓄えられると考えるべきなのかもしれません。

また、わたしたちの身体を構成している細胞は一定期間で入れ替わるといわれています。数カ月も経てば体の細胞の多くはそれまでの細胞ではなく新たな細胞によって構成されているのです。

一部、入れ替わらない細胞もあるそうですが、多くは入れ替わるようです。

ならば、分子構造がまったく同じの個体をつくり出せば、間違いなく私やあなたは、複製できることになります。

しかし、どうでしょうか?

分子構造が全く同じでも、分子自体は新しい別の分子を使うことになります。

電子機器はどこかの部品が壊れたら、新しい部品に取り換えることで正常な状態に戻すことが可能です。機械は部品によって構成され動いているからです。

これと同じ理屈で臓器移植がおこなわれますが、血を入れ替える時でさえ血液型などの条件が合わなくては死んでしまいます。

心臓移植や腎臓移植なども非常にデリケートな諸問題をクリアしない術後うまくいきません。

では、分子レベルでパーツを組み合わせたからといって、同じ個体が作りだせるでしょうか?

現実的には似て非なるものになるような気がしてなりません。

わたしたちは、ひとつの精子とひとつの卵子から始まっています。このミクロの生き物が結合し受精卵となって細胞分裂を繰り返し今に至っています。

このミクロな生き物にも自我があり生命が誕生したのならば、ひとつひとつのそれらすべてが同じであり同じでない細胞の集合体になります。

ならば、スキャンして分子構造をまったく同じにしても、同じものを作り出すことは不可能でしょう。

但し、周りの人からすれば、違いなどわからないかもしれません。

わたしたちは、自分以外の相手を本当の意味で理解することなど不可能だからです。ならば、外見と自身の記憶にある複製された個体の性格が同じであれば問題ないのかもしれません。

問題は、失われる自我(わたし)を受け入れられるかどうかなのでしょう。

本当の自分ってなんなのでしょうね。

おわり



最後まで読んでいただきありがとうございます。

ゆんぼさん画像を使用させていただきました。

毎週金曜日に1話ずつ記事を書き続けていきますので、よろしくお願いします。
no.127.2022.07.15

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