#113 好きと目標
こんにちは、ハビランです。
先日、noteを始めてから2年が経ち、時の流れを感じているのですが、わたしは自身の成長のために得た知識を人に還元できればとnoteに記事をあげ続けています。
人のインプットは失われやすくアウトプットによって記憶の定着をより強固にできるわけですが、インプットよりもアウトプットの方が大変なのは言うまでもありません。
アウトプットの作業によりインプットの曖昧な部分が露出され、自分が理解できていない(インプットしたはずの知識)ことを再認識させられるのです。
さて、書くことが好きでnoteを続けているのですが、漠然とやる気が出なくなることもあります。
好きなことでもやる気がなくなってしまうのはなぜだろうと、自分に問いかけ熟考してみました。
そこで一つの答えが見つかりました。
それは、わたしが好きでnoteを継続しているだけで、明確な目標をもって行っていないということです。
好きという行動と目標に向かっての行動は大きく違う。
好きという理由で行われる行動は、自分の好む方向に歩いている行為なのですが、それはベクトルが一方向に向かって伸びているだけで、それによって自身がどこか未開の地に向かってはいるものの、何処かにたどり着くというのではないようです。
これに対して、目標をもって行動することは、明確な目的地があるので、困難なチャレンジでもいつか辿り着くことができるかもしれません。
また、その方法(ルート)もいくつもあると思います。
そして目的地には高低差あることもしばしばで、辿り着いたものの見上げた所に目的地があるなんてこともあるでしょう。
例えば、料理が好きで料理を毎日作っていれば、料理の技術は日々向上すると思います。
好きこそものの上手なれと言いますが、料理という未開の土地へ向かって歩いている状態ですね。
しかし、それだけではプロの料理人になることはできません。
プロの料理人というのは目標ですね。
それにはまず調理師免許を取得して、食品衛生責任者の資格を得て、開業することで不特定多数のお客様を相手に料理を振舞い、その収益によって生計をたてるようになって初めてプロの料理人と呼ばれます。(雇われの料理人もおりますが)
また、ミシュラン三ツ星シェフが目標であれば、自分の料理が高評価されることはもちろんのこと、ミシュランガイドに高い評価を受けるようになって、ようやく目標が達成されます。
このように、好きという理由では、その分野において向上はあるものの、わかりやすい成果または成功は起こりにくいと思います。
では、何かの目標を持てば良いと思われますが、これといって強い欲求が起きないため、目標が定まりません。
明確な目標があればより良いnoteが書けるのだろうかと思考実験してみましたが、それも上手くはいきませんでした。
例えば、noteでフォロワーさんを1000人にする目標をたてるとします。
そうすると、その目標のためにnoteの読者のニーズを探るようになります。次にニーズにあった記事を書くように努力し、キラーワードを多用し、気になる中身になるように題名を考え、画像も目立つように工夫するようになります。
無名の人が多くのフォロワーを獲得するには目立たなくてはなりません。
目立つように振舞うようになり、自己から乖離していき虚像を生み出し演出するようになります。
その努力のによって1000人のフォロワーを達成できたとします。
そして、どうなるかといえば、「わたしではなくなった」楽しくもないnoteを書き続けるという苦行が待ってる。(思考実験)
「いや~~~~~~(>_<)」
となりました。
なので、これからも自身の面白いと思うものを書いていこうと思います。
ですが、先に述べた通り、好きだけでは結果を出すのは難しいのは事実です。新年度が始まり、新しいことを始める人が多いと思いますが、何かの結果を得たいなら目標を持つことは重要です。
わたしのように趣味で何かをやっている人は問題ありませんが、いずれ仕事にしたい何かがあるのならば目標をもって進めることで、自身の望む結果に日進月歩で近づくはずです。
もし、そのような人がいたら頑張って下さい。
最近は自伝本を多く読んでいるので記事にする部分が少なく困っております。
脳科学や心理学・哲学も読んでいますが専門的すぎてこれは教科書なのではと思って記事にしづらいというのもあります。
書くネタが少ないので、次回は自伝から何か書ければと考えています。
それでは、ありがとうございました。
おわり
最後まで読んでいただきありがとうございます。
なるくにさん画像を使用させていただきました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?