ミッドサマー:最高品質な最悪のアトラクション

※鑑賞直後(3月頃)にまとめた感想を加筆したものです。かなり説明を省いているので既に鑑賞済みの人向けの内容になっています。

Youtubeより

改めて予告を観ると、なんて不穏なことか。

アメリカで公開したときから噂には聞いていて、日本で公開したら絶対見に行こうと思っていた映画だ。
そして成り行きで3回も見ている。公開初日に観て、DC版を観て、友達を連れて通常版をもう一回観た。(最初は一回で済ませる予定だったんだよ)


全体を通しての感想はタイトルの通りだ。
愉快なシーンはひとつもないのに、観終わった後の感想は「ああ、楽しかったな」だった。
映像と音響のおかげでとても世界に没入することが出来て、それが鑑賞中に気持ち悪くなる原因でもある。

気持ち悪いのか楽しいのかどっちなんだよと思うけど、どっちもだよ。

※以下ネタバレを含んだ所感。






一番好きなシーン
・アッテストゥパンの崖の上で石版に血を塗りつけるところ
理由:単純に絵面が好き。

・痛みを感じなくなる薬を飲んだはずの生贄の村人が身体に火がついた途端苦しみだすところ。
理由:ホルガ村の欺瞞の真骨頂を感じられてとても良かった。

一番怖かったシーン
・さっきまでクリスチャンの腰をサポートしていたおばさんが、賢者タイムのクリスチャンに微笑みかけるところ。
理由:いろいろと最悪すぎる。フルチンで逃げ出すシーンは心細さが尋常じゃない。



さて、外部から夏至祭に招かれた5人のうち、ダニー以外の4人はもれなく生贄になる。それはホルガ村的には当然のことで、村人には「騙している」という感覚も希薄そうだった。

中盤、クリスチャンの友人マークはセストラルツリーに立ちションをして、ジョシュは聖典を盗撮する。
それは村の禁忌だったし、メタ的に見るとあからさまな死亡フラグだ。

サイモンとコニーはアッテストゥパンを受け入れられずに村から帰ろうとした。その結果、コニーは溺死でサイモンは血の鷲にされて鶏小屋行きだ。
個人的にはサイモンが一番つらそうな末路だと思う。どうせならサクッと殺されたい。

一見、彼らが殺された理由は村のタブーを破ったことや風習に対する不理解と反発に対する報いに見える。
しかし終盤のシーンを観ると、彼らは最初から生贄のためにホルガ村に招かれていたようなので、単に生贄を殺すきっかけにすぎなかったんだろう。


ダニーの恋人であるクリスチャンの不誠実さはなんというかとてもリアルなクズだった。
彼は恋人に対しても友人に対しても不誠実で身勝手なふるまいをしていた。もし一般社会の中なら「友人・恋人・社会的信頼etc…を失う」という形で彼に報いが返ってきたんだろう。
彼は不愉快だが間違っても命を奪われるような罪を犯したわけではない。

実のところ、クリスチャンはマークやジョシュのように村のタブーを破るような振る舞いをしていない。
おまけに、彼がダニーを最も悲しませたマヤとの性行為も半強制的にさせられていた。このあたりは本当にホルガ村のマッチポンプ感が強い。

しかしここはホルガ村だった。おまけにダニーはホルガ村のメイクイーンになったので、不誠実の報いは死だった。ドンマイ。

あと、例のセックスしないと出られない部屋が聖典の置いてある部屋と同じなのも最悪だった。マジでクリスチャンを種としか見ていないんだろうな。

こんな風にホルガ村は欺瞞でいっぱいだ。外部の人間は当然騙されていたが、村人だって騙されている。

ホルガ村ではすべての感情を村人全体で共有している。アッテストゥパンで死ねなかった老人の痛みを共有し、一般社会ではプライベートの極みのようなセックスの情動も共有する。
終盤、メイクイーンになったダニーはこれまで抱えてきた悲しみを村の女性と分かち合う。

それでもどうやったって分かち合えないものもある。
終盤の生贄の儀式では村人が「痛み(恐怖)を感じなくなる」と言われて与えられたイチイの薬が効かずに、身体に火がついて苦しむ。
テントの外では村人が痛みや苦しみに同調するように嘆いている。でも、それが生贄に届いているようには見えなかった。
すべての情動を共有するホルガ村のシステムでも死の苦しみは分かち合えない。
逆に考えれば「死」はホルガ村で許された唯一のプライベートな行いかもしれない。彼らが望むか望まないかはともかくとしてだ。


最終的にダニーはメイクイーンになって、悲しみを共有することで名実ともにホルガ村に取り込まれるのだけど、彼女がもとからホルガ村に合う性格だったのかと言われればそうでもない。

DC版では結構明確にホルガ村の異様さに反発しているシーンがあった。
アッテストゥパン後、クリスチャンに対して「論文はジョシュに任せて私達は帰ろう」と訴えるが、すでに論文を書く気だったクリスチャンにそれを突っぱねられてしまう。
どちらかというとクリスチャンの方がホルガ村に魅了されていたのだ。

そんなダニーがホルガ村に残ったのは、傷ついた彼女と初めて一緒に泣いてくれたのがたまたまホルガ村の人々だったから。突き詰めればそれだけなのだと思う。

きっとダニーはクリスチャンから離れられなかった理由と同じ理由でホルガ村から離れられない。
この先、ダニーの理性がホルガ村の残虐性や欺瞞に違和感を覚えても「あのとき一緒に泣いてくれたから」「クリスチャンとの不毛な関係を終わらせてくれたから」離れられない。


アリ・アスター監督はこの映画を「失恋をテーマにしたおとぎ話」と語った。
ダニーの視点では、これはひと夏の不思議な体験を通した終わりと再生のお話だ。色々なことが終わってから新しく始まった。それは痛みも悲しみも伴うものだったけど、これから彼女は今までよりも笑っていられるかもね。





まあ、ダニーに”これから”があるのかどうか、わからないのだけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?