海をみる自由

「大学へ行くことは、海をみる自由を得ること」とは、東日本大震災で被災したとある高校の学長の、卒業式での言葉である。人生経験も、勉強も、ましてアルバイトや友達付き合いなど、大学へ行かなくてもできるものであり、それらが大学へ行く意義だとするならば、それは大学へ進学するものの驕りである。いわく大学でしか得られないものは、海をみる自由。朝起きて(それが昼でも良いのだが)、ふと海をみたくなったら、そのまま気の赴くまま電車や車に乗って海をみに行くことができる。それが大学でしか得られない自由である、と。あの頃、多くの人が大切なものを波にさらわれたが、それでもこの言葉は若者たちに届けられた。ちょうど震災の年に高校を卒業した私としても、これが自分にも贈られた言葉である気がしてならない。

私は昔から勉強が嫌いで、車が好きだった。だから受験勉強などろくにしないで、早々に運転免許を取った。最初の愛車である白いステーションワゴンは、知り合いの車屋さんから譲ってもらった使い古しのお下がりで、もうくたくただった。それでも自分の車が誇らしかった。県外での一人暮らしの大学生活で(ありがたいことに、両親はさして勉強する気もない私を大学へ通わせてくれた)、私はまさに海をみる自由を手に入れた。それは田舎の実家の生活圏内で自転車を漕いでいた高校時代とは、まるで違う充実感だった。

日本はこんなにも四方を海に囲まれているのに、それでもやはり海をみたくなるのはなぜだろう。私もその例に漏れず、大学の四年間は海をみる自由を堪能した。一人で、あるいは友達と、あるいはどこかで知り合った女の子と。青春というのはどうも照れくさい感じのする言葉だが、私にとってそれは、自分こそがこの世界の主人公だと思える時間だったと思う。特に何か華やかなわけでも、かっこいいわけでもないが、自分の車に乗って海にきて、美しい景色を自分だけがたしかにみている。まぶしいほどの白い波、遠くおちてゆく太陽と空、あるいは夜中の、真っ暗な中でただ波の音だけがあまりにも広い世界を満たす、あの空気感。自分ただ一人だけが、たしかにこの美しさを感じている。あの時間こそ、きっと誰しもに訪れる青春だったと今にして思う。

そんな海をみる自由を、昨日、ふとまた感じてみたくなって、車を走らせた(もちろん仕事後に。もういっぱしの社会人なので)。金沢の大学を卒業後、私はそのまま石川で働くようになった。どこか違う場所で生活してみたい気もしたが、とりたてて行きたいところがあるわけでもなく、この場所に不満があるわけでもなく、そのままずるずると就職し、結婚し、家も建てて今に至る。少し車を走らせれば、まさに自分が主人公だった頃のあの海へたどり着く。なんとなくどこへも移住しなかったことで、良かったことの一つだと思う。

仕事終わりの海はもう真っ暗で、それはあの頃、夜中に急に友達を誘ってやってきた海と同じだった。違うのは、今は夜に急に誘える友達はあまりいないだろうということと、あの頃より車がずいぶんと立派になったことだ。それでも真夜中の海辺に立って、くろぐろとした中に波のかすかな白さと、それに似合わないくらいの、全身に浴びる圧倒的な波の音と、少しの肌寒さと吸い込んだ息の透明さを感じて、ああ、やはりこの人生の主人公は自分だと思えるのは、あの頃と変わらない。何年経ってもきっと変わらないだろうと思う。

能登半島の付け根に位置する海岸線。自分が立つ場所より北へは、まだしばらく気軽には行くことができない。だがこの先にも、今まさにこの瞬間から、あの頃の私と同じように新しい生活をスタートさせる若者がいるだろう。知らなかった場所、知らなかった景色を自分の経験として感じることになるであろう主人公たちが、きっとたくさんいる。生活を波にさらわれたかもしれない彼ら。でもこれからの荒波を強く生き抜く彼らでもある。私はあえて言いたい。どうか海をみる自由を謳歌してほしい。そこで感じる、美しさも、寂しさも、すべてあなたのものなのだから。

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