雑感想:米代恭の未読短編を読む

米代恭の未読短編を読む。

「僕は犬」は、てっきり往生際の後に書かれた短編なのかと思うほど達観していて良かった。

ついでに「往生際の意味を知れ!」の話をすると、終盤に近づくに連れて、展開が一本道ではなくなってテンポが悪くなったように感じていた。で、最終巻の読了感は直後イマイチだったんだけど、じわじわとここにある「葛藤」がいいな…と思うようになった。

「あげくの果てのカノン」は、「先輩」があくまで信仰の対象と描かれていたけど、往生際の日和は主人公と過ごす時間が長くなるにつれて、ボロが出て、人間味が溢れ出してくる。これ故に、キャラクターとしての魅力は失われている感がある(その分母親の怪物感が増すことで巻き返してはいるが)。
でも、だからこそ終盤は人間と人間が描けてて、じわじわ、いいな〜〜〜となる。

カノンの後に信仰ものの再生産じゃなくて思い切り人間を描こうとする試みができるの、強いな〜〜〜と思った。
カノンで得た読者層にとっては恐らく往生際は時にあまり気分が良い読み物ではないだろうから。

そこにきて、「僕は犬」の夢子は、本来日和がそうあるべきであった、主人公の目から見て完璧に理不尽な存在として描かれている。
フィクションでしかあり得ない存在だ、と感じると同時に、子供という遠い存在であるが故、妙な説得感がある。
結論、「僕は犬」は完成度が高い。

「おとこのことおんなのこ」は、悪くはないが、カノンの後にわざわざ読む必要はないかな〜と思った。恋愛未満の感情を描くのも、少しだけSFチックな要素が混じるのも、アップデートされたものがカノンで描かれてしまっているから。あちらと比べるとこちらは展開に覇気がないし、描写力もまだまだといった感じがする。
結論、「あげくの果てのカノン」は凄い。

「三十歳」/「いろんな私が本当に私」より。
こじんまりとした掌編。さらりと描きたいものが描けているのだろうなという印象。それでいて現代人にとって卑近な感情を題材にとれているのが作家としての強さだなあ…と。
理屈を伴わない感情を当たり前に出力できる人、不思議だし羨ましいよね、わかる。素直な感情を引き出してくれる人はそれだけで貴重だと思う。たとえ惨めな感情でも。


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