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熊本地震から5年。病院で被災した記憶。

2016年
4月14日熊本地震前震
4月16日熊本地震本震
5年が経ちました。

地震を経験した人はそれぞれに、あの日を振り返ったのではないかと思います。私も自分の記録として残すためにも、振り返ります。

私は、2016年の1月に脊髄損傷をしたのでリハビリのために入院していた病院で熊本地震を経験しました。私の入院していた病院は、震度7を観測した益城町や西原村に近いところに位置していたので、前震も本震も大きな揺れを感じました。

当時、私は車いすからベッドやトイレの乗り移りが、やっと一人でできるようになった頃でした。初めての外出許可をもらい、4月16日に予定されていた熊本県選手権の観戦を心待ちにしているときに熊本地震が起こりました。

前震には驚いたものの、阿蘇の実家にいる両親ともすぐに連絡がとれ、少しホッとする気持ちと、何か落ち着かない気持ちで次の日を過ごしました。

2日後、まさかの本震。
病室のベッド上で眠っていたので、はじめ何が起こったのか分かりませんでしたが、続く揺れにどうすることもできず、ただベッド上で過ごしました。

すぐに両親に連絡をしましたが、電話もメッセージも全くつながりません。

心配でたまらない夜を過ごした朝方
「山が崩れ、阿蘇大橋が滑落した」「多くの山が斜面崩壊している」という情報が入ってきました。

私の実家は、阿蘇大橋から国道57号線を2kmほど進んだところです。阿蘇大橋に向かって崩れた山と同じように、裏に山があります。

私が通っていた小学校がある“黒川地区”が大きな被害を受けていることも報道されました。東海大学阿蘇キャンパスの付近です。

テレビの画面越しには、阿蘇大橋上空の映像が流れていて、薄暗い中でもあちこち山の斜面が崩壊しているのがわかりました。毎回あと少しのところで、実家のある地区は見切れ、様子が全く分かりません。

時が経つのがとても長く感じ、「両親や地区の人の命、ペットの命、どうにか助かっていて欲しい。けど、ダメかもしれない。」
私の中の悪いイメージは膨らむばかりで、震えが止まりませんでした。余震への恐怖以上に、家族の無事が確認できないことへの恐怖が大きく、どうすることもできませんでした。

ようやくお昼頃に、母が繋がる電話を借りて病院へ連絡してくれ、看護師さんを通して「みんな無事で、避難をしている」と知ることができたときは本当に安心しました。次の日からは、直接連絡も取り合えるようになりました。文字にして振り返ると1日の出来事ですが3~4日に感じるほど長く感じました。

無事が確認できたのはありがたかったのですが、自主避難をしている家族、続く余震、心配で心配で堪りませんでした。

私は病院という居場所がありました。
院内の食事は量が減ったりお水が足りなくなったりしながらも、毎食食べることができていましたし、リハビリも継続していただけていました。
病院に勤務する方々も被災しながら、私たちを守ってくださっていました。

そんな環境にありがたいと思いながら、病院の外では、避難している人、食べ物がない中で心細く過ごしている人や、瓦礫の片付けに休む間もない人、たくさんいると考えると、何もできない自分が無力で悔しくてたまりませんでした。

1月に自分が怪我したときは、あんなに前を向いて過ごせたのに、地震のあとは先が怖くて不安で涙が止まりませんでした。ただ、その時私にできるのは「リハビリを頑張って、家族に会えた時に喜んでもらうこと」だけでした。

その後、入院生活は通常に戻りリハビリも進みました。7月の退院後は阿蘇の実家に帰ることができましたが、賑やかだった国道は通行止めで静かだったし、同じ地区の人も家屋が全壊や半壊で数世帯いなくなり、変わってしまった阿蘇の風景に心を痛めながら過ごしました。

「揺れ」と「大切な人を失うかもしれない」ことにとても臆病になりました。

そしてこの5年で、少しずつ少しずつ復興は進みました。

中でも私は【長陽大橋ルート】【JR豊肥本線】【国道57号線】そして【新阿蘇大橋】開通のニュースには心から喜びを感じました。
どれも小さい頃から親しんできたものばかりです。

地震前と変わらないもの。元には戻れないけど形を変えたもの。新しくできたもの。どんな形でも、一見小さな出来事も、多くの人が希望を与えられたと感じたのではないでしょうか。

故郷を大きく変えた熊本地震は、怖く苦しかったものとしてずっと記憶に残ります。できれば、経験したくなかったかな。
ですが、経験してしまったからには、それを通して経験した恐怖や感謝や希望を、ずっと忘れずに心に残していきたいと思います。

病室で何もできず心が折れそうな時に、私の力になったのは、県内外の知人からの安否確認や心配の連絡でした。特に東日本大震災を経験した方々とのやりとりには励まされました。

いつか、私も誰かの力になれるよう、あたりまえだけどあたりまえではない日々に感謝して生きていきたいです。まずは、新阿蘇大橋を走る聖火リレーを楽しんで走り切ることで「ありがとう」を伝えられたらうれしいです。

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