性癖ファイトクラブについて

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 今日も日本大学芸術学部文芸学科では、あれが行われている。あれ……。何だっけ。そう。《性癖ファイトクラブ》が。

 文芸学科はすごい。何がすごいって、小説を書いていても馬鹿にされないどころか褒められるのだ。一見当たり前に思えるかもしれないけど、ニッチの創作クラスタならいざしれず、一般的な大学の一般的な学部ともなれば、ややもすると創作は馬鹿にされがちだ。馬鹿にされないにしても冷遇される場合が多い。だから一般学部には、ネットやコミティアなどのコミュニティへの参加が必要不可欠になってくると思うのだけど、日芸はそもそも大学全体が偏差値を捨てて芸術に全振りしたヤベェ学部なので、創作していればしているほど評価されるし同年代の間でも立場を築ける。
 一般的な大学の一般的な学部と言ったけどぶっちゃけ僕は日芸にしか通ったことがないから、他大学のことをよく知らないまま話しています。すみません。でも創作する人間の絶対数から考えると、上の認識は近くとも遠からずだと思う。
 創作を大学で学べるというのがウリなのだから、当然といえば当然だ。
 じゃあ、さも専門的な講義があり、あらゆる文芸技法を広く学べるのかと言われると、実は全然そんなことはない。「江古田文学賞」という8月末が締め切りの大学主催の文芸賞があるのだけど、その選考者を見ても大学の指針は一目瞭然――純文学一択である。
 純文学を学ぶことはめちゃめちゃ重要だし、僕は大学二年の時に純文学の先生に師事したことで多くを学んだと思っているけれど、にしたってあまりに視野が狭いと言わざるをえない。現にエンタメを教える唯一の場所である青木ゼミに毎年30人近い希望者(他のゼミは5〜15)が集まるのを見ても、どう考えても需要と供給がマッチしていない。
 それでもラノベや漫画などのエンタメに振り切ることがきない学生は純文学のゼミに所属することになるが、果たしてその何割が創作ゼミとして機能しているだろう。
 2割ぐらいだと思う。
 大学はやたら純文学を押し付けてきて、学生は自分の意見を持たないままやっつけ仕事のようなゼミに所属し、卒業制作の期日二ヶ月前までまともに長編を書いたことがない人が7割を超える――その裏で書く人は書いていて、勝手に学んで勝手にデビューしていくような学科。でもこれって学生の問題? 大学側の、需要に対する供給の不協和が原因しているんじゃないの?
 大学側はそれで授業料が取れるから困らないし、それほど書かない七割の中にはクリエイティブな職につく人もいるから、一概には言えないところ。あくまで私見。私の狭い視野の中での認識。

 で、ここからは制度ではなく風土の問題なのだけど、文芸学科は上記のように創作の話をしても諸手を挙げて受け入れられる空気感なので、「自分の好きなシチュエーション」「キャラクターの絡み」など、いわゆる「性癖」を語る土壌が最初から用意されているし、なんなら講師もそういう話をふってくる。(ここでは文体を語ること=文体の持つキャラクター性も広義の性癖に含めます)「性癖」を持つことはある種の政治的立場の主張であり、それを持たざることは芸術に関心のない無教養な人間であるかのような不文律がある。

 これがかなりきつかった。というのも僕は入学当初「性癖」ってやつを持っていないと思っていたし、それを言語化しようと努力するのも嫌だった。そもそも人間関係とかキャラクターとかそういうミクロな話に興味がなかった。(後々これはマズイと気づき、今も克服しようと頑張ってる最中です)とにかく性癖を語ることがすごく正しいことで、多くの人にとってウエルカムな状態なのだ。
 だから全然長編は描かないけど、恐ろしいほどワンシーンを描くのが上手い人がいる。というか、そんなやつばっかりだ。そして性癖を書き込めば書き込むほど評価されるし、逆に評価側も「自分はこのシチュが好きだ!」と声高らかに叫べば叫ぶほど場を盛り上げられるので声量が大きくなる。その結果、話が面白いかどうかに関係なく、他人の性癖を褒め合うことが目的の、地獄の合評もどき《性癖ファイトクラブ》が出現する。

 性癖ファイトクラブは楽しいし誰も傷付けないからコミュニケーションには最適です。しかしこれは正常な合評をPCに溜まったハッシュファイルのように阻害する。また性癖を極めることが社会的(文学賞的に)に認められることの全てだと勘違いする。……そういう人友達とかにいない?
 この性癖を持つことは時代性の根幹で、現代文学に欠かすことできない超重要キーワードであることは事実。だからそれが弱い僕はこれから市場ではすごい苦戦を強いらると思う。ただ大学は専門学校ではないので学問の偏向は良いことではないし、偏向に気付くチャンスすら与えられないのがマジでやばい。性癖ファイトクラブの沼にひとたび落ちてしまうと、その作品の何が好きなのか、ということを饒舌に語り続けるだけの評論家気取りの人になってしまう。
 意見というのは、言えないのと同じくらい、なんの抵抗もなく言えてしまう場合も恐ろしい。

 じゃあ物語を作るのに性癖以外に何が必要かっていうと、僕はシナリオだと思う。なんかもっと別の表現を使う人もいるだろうけど、ミクロ(キャラクター、シチュエーション、文体)とマクロ(シナリオ、テーマ、テンポ感)という二側面が、創作には少なくともあると思う。性癖はもちろんミクロに属する領域で、作品の細部を際立たせるために重要な繊細な筆遣いだけど、同時にどんな絵を描くかというビックビジョンを持っていないと絵は描けない。あらゆる創作はこの両輪走行だし、どちらに傾倒することにもリスクがあるはずだ。

 でも創作界隈がミクロな話で盛り上がりがちなのは、そもそも「大人数での合評には長編を持ち出しづらい」という構造的な制約に寄るところが大きい。5万字の小説を読み込むのにも1日単位で相当な労力を食うし、ためになる感想をひねりだそうとすればそれは、明らかに大学の宿題よりヘビーなタスクになる。多くの大学生はそんな時間リソースを友達のためには割けない。だから性癖ファイトクラブを開いて、少ないコストで「創作的な意見をかわした」気に浸る……のだと僕は見ている。
 ちなみにミクロよりマクロを好む人間や、ミクロの規定が苦手な設定厨などにとって、ハヤカワSFコンテストはオアシスだと思うので騙されたと思って送ってみてください。

 とまあ、性癖ファイトクラブの中毒性と危険性について書いてみたけど、やっぱりエモいシチュエーションが描けることは長所ではあっても短所には絶対にならないので、それを磨くのは素晴らしいことだと思うし僕にもそのコツを教えて。ただシナリオを考えることを疎かにすると、大学4年になっても「長編書けない〜」とか言い出して卒業すら怪しくなるので、これから文芸学科でやっていくって人は、ミクロとマクロの両輪を考えた方がいいと思う。シナリオ能力を鍛える方法は、新人賞小説の尺と似ている2時間映画を観まくることだと思うけど、普通にプロの放送作家がやってるシナリオ研究とかいう授業もあるのでそちらを受講するのもとてもおすすめです。
 ちなみに僕の性癖は「紙コップから繋がる宇宙」です。

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