ハヤカワSF受賞の経緯など

この度は第9回ハヤカワSFコンテストで大賞をいただいた、オスタハーゲンの鍵改め人間六度です。

オスタハーゲンの鍵というのはBBCドラマDoctor Whoに出てくる、地球をぶっ壊すために必要な六つの鍵です。そんなもん誰が作ったか? 人類です。

それは置いておいて、僕、小説賞の受賞とか初めてなので、思い出せる限り経緯を書いておこうと思います。

まず受賞作「スター・シェイカー」は2020年、当時大学3年生(25)だった僕が、4月くらいから考え始めて翌年1月中旬に初稿を上げました。公募作品に9ヶ月かけるというのはコスパとしては最悪だと思います。

全体文字数は22万に届くくらいで、4章構成のそれぞれが5万弱で構成されています。記録を遡ったところ、まともに書き始めたのは5月下旬、1章完成が8/15、2章が10/13、3章が11/17、4章が1/15、とあります。

ネタは思いついていたけど、肝心のテレポータリゼーション社会が描けなくて、1章にえげつない時間をかけてます。そこだけ描き直し量も半端ないので、実際に打ち込んだ文字数は全体で30万字ぐらいだと思います。

22万字というのは製本すると500ページぐらいになるので、最高にいいヤツな友達と、僕の父親以外で、最後まで読んでくれたものはいません。フィードバックがあんまりなかったことと、ハヤカワSFコンテストの締め切りが3月末だったということもあり、誤字脱字以外は、ほぼ修正なしに送付しています。 

実はゼミの先生にも見てもらったのですが、門前払いを食らってしまい、失意の底にありました。それは出しても意味ないんじゃないか、というようなことを言われた記憶があります。どういう経緯でかは略しますが、とにかく自信喪失状態でした。(メンタルリカバリーが大変だった)しかし父親がハヤカワには適していると言ってくれたことと、買わない宝くじは当たらない的な考えもあったので、一応出すには出しました。

なぜハヤカワSFに応募したかというと、そりゃもちろん三体とか夏への扉とか最強に面白い翻訳SFを出している大御所だから……と言いたいのですが言えません。事実は、ハヤカワSFの規定量が原稿用紙100〜800(4万〜32万字)という非常に寛容な制限だったことが大きです。(でもハヤカワSFは好きです)(ほんとです)

ここまでが応募過程で、それ以後を話します。

まず、実は4章末のエピローグを書いているあたりから、別の小説も書いていました。スター・シェイカーにはあんまり期待していなかった(というか全てに対して自己肯定感がゼロだった)ので、スター・シェイカーほどの文字数ではなく、もっとコスパ良く公募に挑まねば、と思ったのです。1月中旬〜3月末までで、13万字ぐらいのバトル小説(仮に作品A)を書き上げ、電撃小説大賞に別作品(仮に作品B)と一緒に応募していました。つまり3月末の時点で、3作品を打ち上げたことになります。

3作品も打ち上げておけばどれかが大気圏を突破するだろう、という考えももちろんありますし、全部が落ちるにしても結果発表日が異なるので、これが落ちてもこれが残ってる……みたいな具合に、ダメージが分散できるかなというセコい思いがありました。

こうして4月を迎えます。僕はコロナのこともあって、大学休学を選びました。許してくれた両親がひたすらありがたいです。4月はまるまるプロット期間のために用い、打ち上げた3作を見守りながら別の小説を描き始めます。公募に送った作品はこの世から消滅したと考えるのが一番です。むしろ出した直後に冷凍冬眠とかに入って、結果が分かった時に起こしてもらいたいです。

6/27、ハヤカワSFの一次発表で、スター・シェイカーの残留を知ります。っていうか提出したことを忘れていたので、ゼミの先生に教えてもらう形で知りました。先生もひどく驚かれたことを覚えています。あとそのペンネームはないだろって言われました。とにかく自尊心が枯渇していたので、結果をツイートして同級生や後輩に褒めてもらいました。嬉しかったです。

7/9、電撃小説大賞の一次発表で、作品Aの落選、作品Bの通過を知ります。先生は作品Bを高く買ってくださっていたので、あんまり驚いてませんでした。これも直ちにツイートし、自尊心に変えて摂取しました。

7/19、早川書房の編集部から18時ごろ電話がかかってきて、僕は池袋のパン屋に行っていたのでそれに出られませんでした。留守電を聴いたところ、また折り返します、とだけ。でもなんか訳ありじゃないですか。割と人生のターニングなんとやらだと思ったので留守電は今もとってあります。翌朝、起きた直後に折り返しましたところ、二次通過おめでとう、と。ネットでの公表が7/25なので、6日前にかかってきたことになります。その6日間は一応、誰にも話してはいけないわけですよ。まあ話しますよね。れいのすごくイイやつな友達と、ゼミの先生と、家族と……。先生は、二次に通った(ハヤカワSFコンにおいてそれは、最終選考に残ったことと同義)だけでも棚ぼただって言われましたから、この時点で自分はすでに何かを得られたのだ、と言い聞かせるのですが、別に得られてないよな、ってなります。それにしても何で電話かけてくるんでしょうね。

それまでは全く平静な心でいたのですが、さすにが欲が出ます。もしかしたら? という邪悪な考え。同列の5人の中には僕のようなただの文系大学生の他に、理工系のエリートや前回のファイナリストとかがいるわけですよ。考えないようにしても、考えてしまうという悪い循環が起きました。生活でも、眠れなくなったり、突然動悸が起こったりするようになりました。考えないように努力したのですが、なかなかできませんでした。やっぱりコールドスリープするべき。

8/10、電撃小説大賞の2・3次選考が行われ、作品Bの3次残留を知りました。その情報を早速自尊心に変えていく。爆速自尊心回収業者。電撃小説大賞の方が大学では人気がありますからねえ。

8/23日、ワクチン接種のために名古屋へ帰省する新幹線の道中、再び早川書房から電話がかかってきて、財布とスマホだけ持ってデッキへ移動し、通話をオンにしました。4時21分でした。前と同じ名前の編集部の方がタイトルを読み上げて、大賞を伝えました。

いろんな創作上で、いいことがあった時飛び上がる、とか声をあげる、みたいなのを目にするけど、自分はどれだけいいことがあっても、そんなことはしないだろうと思っていました。

しました。

4分ほどの会話の中で、トイレと喫煙室に訪れた男性二名にそれぞれ奇妙な目で見られました。あんなに露骨に奇妙な目で見られたのも人生で初めてです。よほど奇妙だったのですね。通話しているあいだ中、通行の邪魔にならない声と範囲で、八の字歩きをしていたのを覚えています。よほど奇妙だったのですね。

実家ではみんな大喜びです。そして僕はワクチン接種を受けます。

くだんの電話から数えて二日後に、担当編集の方から電話がかかってきて、ざっくりこの話をどうまとめ直すのか、について少し話し合いました。あと名前を人間六度にすることとか。副反応と戦いながら、その日の6時頃結果がネット掲載され、晴れて他言を許された状態になり、今に至ります。

書いててこれが誰の何の役に立つのだろう、と思わなくもないですが、「応募から受賞までのひと続きの記録」として参考?にしてもらえれば光栄です。

しかし、スター・シェイカーのあらすじを「ハイパーインフレ瞬間移動 SF」でまとめた編集の方にはパワー感じるな……。






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