第二夜【鬼の子】


 私は、火を覚えている。
 空が一瞬にして光の膜で覆われ、視界の全てを業火が呑み、あらゆる生命が燼滅【じんめつ】する瞬間を知っている。
 階段に刻まれた人影。時を止めた時計。干上がった川。
 ただ私の足元にだけ、雑草が生い茂っている。
 私の手を強く握る背の高い男は、地平線の中心に、空高くどこまでも立ち昇る巨大な雲を背に歩き始める。
 全身を炎が包み込んでいる。不思議と痛みはない。あれだけのことがあったのに、あたりは一切が静寂だ。自分の足音さえ聞こえない。
 体の中で何かが蠢き、熱くなった血がものすごい速度で体を巡り、心臓が打つ速度は普段の四倍か、五倍はある。私の体は、私に変化を命じる。
 誰ともわからないむごたらしい遺体。もう苦しむだけだと、瀕死の娘の頭を、板切れで叩く父親。焦げ臭くて、香ばしくさえある匂い。
 背の高い男は、唇を噛む。そして言った。
「まただ」
 衣服か皮膚かもわからないものをずるりと垂らして歩く人。馬の止骸。腕も足も頭もない、青い血管の筋が張り付く腹部だけが、ぽっかりと浮かぶ水溜り。
 男は私の手を引いて、燃える街から連れ出した。八月六日。その男を父と呼んだ。
 私は、火を覚えている。
 そして私は鬼になった。

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