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結束バンド 1st album 『結束バンド』感想 / "コンポーザー 山田リョウ"へのリスペクトを込めて


⚠注意⚠
本稿にはなぜか結束バンドに関しての筆者の妄想(架空の事実の捏造、時系列の矛盾)が多分に含まれます。


結束バンドとは

結束バンドは下北沢発の4ピースロックバンド。同地のライブハウス『STSRRY』を拠点に活動中。ギター×2、ベース、ドラムのシンプルなバンドサウンドが特徴。
メインボーカルは基本的に喜多郁代だが、曲によっては他のメンバーがマイクを取ることもある。

結成の経緯


リーダーの伊地知虹夏(Dr.)が、他バンドから脱退したばかりの山田リョウ(Ba.)を誘う形で前身となるバンドが発足。当初はボーカルがおらずインストバンドだった。
初ライブ当日、ギターとして迎えた喜多郁代(Vo.)が突如失踪。困り果てた伊地知が、公園でギターを背負って佇む後藤ひとり(Gt.)を発見。半ば強制的に臨時のサポートギターとして迎え、成り行きのままに結束バンドが結成される。
その後、後藤が偶然にも同じ高校に在学中だった喜多を、失踪したギターと知らずに勧誘。伊地知、山田との和解を経て改めてボーカルとして喜多が加入。現在の結束バンドの形となった。


メンバー


喜多郁代
(Vocal/Guitar)

結束バンドのギターボーカル。
ほぼ全ての楽曲において歌唱を担っている。中音域強めの芯のあるボーカルが持ち味。
実はまったくのギター初心者であったにもかかわらず、山田の演奏する姿に憧れて「ギターが弾ける」と嘘をついてバンドに加入したものの、次第に嘘がバレることを恐れ一時失踪したといういきさつがあり、かなり破天荒な性格であることが伺える。再加入後は後藤と山田の指導もあって短期間で目覚ましい成長を遂げ、複雑なバッキングを弾きながらボーカルをこなせるほどにまでなった。



後藤ひとり
(Guitar/Lyrics)

結束バンドのリードギタリスト。
ほぼ全ての楽曲の作詞を担当している。これは後藤の歌詞に対するこだわりを尊重してとのこと。
技巧的かつ泥臭いプレイスタイルとサウンドメイクに70sハードロックの影響が伺えるが、現代的なフレーズもさらりとこなす引き出しの多い器用なプレイヤー。「ギターヒーロー」というハンドルネームで、流行曲を網羅したギター演奏動画を投稿しており、幅広いジャンルに対応できるのはそのためと思われる。
ギターの腕前は一級品だが、ソロでの演奏スタイルに慣れきってしまっていたため、バンド加入当初は「バンドでの演奏」になかなか慣れず苦労していた模様。
極度の人見知りでライブ中はほとんど客席の方を見ることはない。


山田リョウ
(Bass/Chorus/Compose/Arrange)

結束バンドのベーシスト。
メンバー内でも突出した音楽的素養を持ち合わせており、コンポーザー兼アレンジャーとして結束バンドの多彩な音楽性を担っている。本人の趣味としてはアバンギャルドな音楽を好む一方、メンバーの意向(後藤の詞の世界観など)を柔軟に取り入れ「結束バンドの音楽」を創る職人肌でもある。プロデュース面にも積極的なようで、バンドのビジュアル、コンセプトや売り出し方の提案もするらしいが、実際に採用された様子はなさそうである。
金銭面でのトラブルを度々起こしている。


伊地知虹夏
(Drums/Artwork)

結束バンドのドラマー。
バンドリーダーであり、何かと暴走気味な他メンバーをまとめる苦労人。バンドの資金管理なども担う。
パワフルなドラミングが持ち味で、仕事量の多い後藤のリードギターに負けず劣らずの手数でゴリ押しするフィルは象徴的。
絵の心得があり、ジャケットアート、メンバーの衣装、グッズのデザインも手掛ける。


アルバム全体の印象

00年代邦ロックを参照した疾走感とポップなメロディーが通底しているものの、かのメインストリームにはなかなか見られなかった主張強めなリードギターのアプローチが目立つ。テクニカルなリフ、ボーカルに追走するメロディーライン、何より全曲に渡ってがっつりとギターソロが組み込まれているなど、まさしく"ギターの美味しいところ"を詰めに詰めこみ大胆な肉付けを施した前陣的なギターロックアルバムと言える。

ここで筆者についての情報開示をすると、98年生まれでBUMP、RADあたりを後追いした人間なので00年代邦ロックの造詣がフワッフワです。実際のところ00年代ほとんど分かりません。

各曲感想

注意事項

趣味ギター弾きの耳コピと付け焼き刃知識の理論的分析を含みます。
コード進行とか間違ってたらごめんなさい。公式スコアの発売が待たれる。


全曲メジャーキーと仮定して、メジャーダイアトニックの進行で考えます。理由はめんどくさいからです。Key = Amの曲だとしても並行長調のKey = Cに置き換えるので Am は Ⅵm で捉えます(伝え方合ってるか不安)。

セカンダリードミナントのディグリーネームは文がごちゃごちゃしそうなので、◯7で統一します。Key = C においてE7の場合、V/Vlm ではなくⅢ7 。

筆者は本作における作曲家としての山田リョウのロック及びポップスを作り上げる手腕に大変感銘を受けているので、必然的に山田リョウのアレンジへの言及が多いです。



01. 青春コンプレックス

Key = F
ラスサビ : Key = F#
アウトロ : key = G


ハネの効いたギターリフと2ビートの疾走感溢れる立ち上がりが実に爽やか。Aメロ一回し目まではドラムとリードギターのみの編成で、喜多の抜けの良い歌声を前面にプッシュしているのが印象的だ。

話が前後するが、イントロ出だしのフレーズが良いハッタリになっている。
ギターが | F△7  - C6(or F△7/C ?)- E♭△7 |(すべてomit5)と鳴らすのに対し、ベースがC → B♭と動いている。するとコードのルート音とベースの音がsus4サウンドを強制的に作り出し、独特の浮遊感が演出されている。これはロックというよりはジャズ寄りのアプローチで、山田が一筋縄ではいかない曲者であることを暗示する。

この曲のジャズ志向は随所で感じられて、 例えば00:25あたりのコード進行。
|Gm7 - G♭△7 -  F△7|の G♭△7(♭Ⅱ△7)の部分。
Fフリジアンのモーダルインターチェンジのアンニュイさが『青春コンプレックス』というタイトルにぴったりだ。後藤のギターもコードトーンをなぞるジャジーなアプローチで彩りを添える。

楽器隊が揃う二回し目。
コード進行は | B♭△7 - A7(♭13) | Dm9 - Dm7 | 。
いわゆるJust the two of us進行(あるいは丸ノ内サディスティック進行)の一部を利用した定番の進行だが、順当に行けば Dm7 に続く Cm7 - F7(Vm7 - I7)を敢えて省略している(ちなみに一回し目も | B♭△7 - A7(♭13) - Dm9 | N.C. | Dm7 - C/E - F | N.C. |という構成で2ビートに乗るようになっている)。山田はここでコードを刻むと16ビートのフィールを無理矢理突っ込むことになり疾走感が殺されると踏んだのであろう。

ブリッジでLRに振った喜多と後藤両者のギターが、表裏を交互に刻むセッション感が素晴らしい。

1サビ、オクターブ奏法のシンプルなリック、実直な8ビートのベースライン、裏打ちのハイハット、まさに王道の青春ロックそのままのフィーリング(詞のコンセプトはアンチ青春だが)。

2Aメロ、ここから遠慮はもう要らないと言わんばかりにギターが暴れ始める。
「深く潜るのが〜」からファズを踏む後藤。偉いぞ(ジミヘンリスナー並感)。

2サビ、リードがトップノートを意識したフレーズに切り替わり、喜多のボーカルとの対比がより一層際立つアレンジ。1サビで使用したアレンジは繰り返さないという意地を感じる。

間奏、間髪入れず叩き込まれるギターソロ。
後藤のギタープレイからはスウィープやトレモロピッキングを織り交ぜる速弾き志向が垣間見える。この辺りに山田のアレンジがどの程度まで絡んでいるかは不明だが、後藤の手癖を考慮していることは後の楽曲からも伺える(筆者はメタル方面に明るくないのでそちらからの影響元を想像しにくいが、ハードロック方面からの影響は確実に見受けられ、ドキュメンタリー『BOCCHI THE ROCK!』では後藤の Van Halen 的なインプロヴィゼーションを耳にすることができる)。

ラスサビ前に半音上転調(Key= F → F#)。助走を設けた展開ではなく、スパッとそれまでの調性をぶった斬る転調だ。5度圏を見渡せば半音上の調はまるっきり異なる位置関係で、故に明確な起伏をつけやすい。反面、どうしても唐突にあるいは安直に展開した印象は否めない。しかしそこは抜けの目ない山田である。
この曲はラスサビからアウトロにかけてもう半音転調し最終的にkey = Gとなる。
Key = F から Key = G の転調のみに着目すると、調号♯二つ分の比較的自然な上昇感を伴う転調だ。つまりこのラスサビとアウトロの半音2回分の転調は、異分子の Key=F# が一時の混乱をもたらしたのち Key = G に至る解放感を演出することで、思春期の初期衝動を創造性へと昇華させよ、というこの楽曲のテーマを見事に体現したアレンジと言えるのだ。もちろんこんなものはこじつけなので、「2回転調した!テンション上がる!」と捉えることもできるが、山田のことだからこれくらいのことは考えている。そういうことにしてくれ。



02. ひとりぼっち東京

Key = C

打って変わって、開放弦の響きを活かしたアルペジオが美しい出だし。| Am7 - Fadd9 | C - Gsus4 |のポップパンク進行(VIm7スタート)を軸にした展開。ペンタトニックスケールが素直に乗ってくれる進行なので、メロディーがすっと耳に入ってきてくれる。歌詞の「東京(とーきょー)」の節回しを印象付けるためのアレンジだろう。
喜多のボーカルも無理のないレンジで伸び伸びと展開するので、アップテンポな曲調に反してバラードのような落ち着きが感じられる。

近年でいうと、このポップパンク進行とペンタトニックのメロディーを多用するのは、10代リスナーに絶大な人気を誇る n-buna 或いは Orangestar(この2組は特に使用頻度が高いイメージ)といった、VOCALOID発のロック系楽曲を発信しているミュージシャンという印象があるが、ここに山田の幅広いリスナー層を取り込もうというマーケティング意識を嗅ぎ取るのはやや早計だろうか?

Bメロのタッピングフレーズに BUMP OF CHICKEN の『才能人応援歌』のBメロを感じてテンションが上がった。結束バンドのギターはあちこちから「あの頃」の邦ロックストリームのテイストを感じるのだが、この曲はとりわけ名盤『orbital period』の曲群を参照しているのではないだろうか。例えば00:18あたりからの16分のオクターブのリックなどは『カルマ』のイントロのオマージュを強く感じる。



03. Distortion!!


A-B:Key = A
サビ:Key = F#

個人的に強く推したいポップナンバー。
こういうアトラクション的な展開を見せてくれて、なおかつキャッチーなフレーズで引っ張ってくれる曲を作れるのが山田の凄いところだ。
注目は伊地知のドラム。曲の全タームで多彩で意表をついたプレイングが多く、リズムパターンも目まぐるしく変わるが、決してノリにくいものではなく自然と身体を揺らしたくなる。

ラスサビの押韻を畳み掛けるセクションで I - II - III - IV と上昇する順次進行が IV - III - II - I と下降する進行へ切り替わり、収束していく調性の中で喜多が「ボリュームを振り切るよ」とファルセット気味にしっとりと歌い上げる。身体を揺らし、音に乗る多幸感が終わってしまう時の切なさがこの曲にはある。



04. ひみつ基地

Key = E

『Distorion!!』の明るさ3倍増し、サビからスタートして先ほどの余韻に浸った頬を引っ叩くような展開。Bメロの332のリズム(付点8分×2+8分)の力強いスネア。定番フレーズをど直球で叩き込む胆力を感じる。
2A出だしのクローズドリムショットとハイハットの絡みも美しい。ここでギターがやたらオシャレなフレーズを弾いているのに面食らった。後藤、そんなこともできるのか。

「夜更かしお寝坊 だめゼッタイ」可愛い。

だんだん語彙が貧弱になってきた。



05. ギターと孤独と蒼い惑星

Key = A
ラスサビ:Key = B♭

毎回「あおいわくせい」と読み間違える厨二感溢れるタイトル。

この曲が本アルバムの中心的な存在であることはいうまでもない。
初期衝動そのままの荒くて歪つな、しかしこの瞬間にしか鳴らせない音があることを恥ずかしげもなく主張する青さ。これはまさしく「シャウト」だ。筆者も例に漏れずロックを愛聴する多くは、10代の多感な時期にこの青臭い「シャウト」に胸を打たれたのではないだろうか。
今の筆者にはそれが昔ほど響かなくなってしまったが、この曲が今の10代をロックに引きずり込む引力を充分持っているのは明白だ。
みんな、ロック聴こう!!(ロックに限らず色んな音楽聴いて)

筆者のどうでもいいロック観は置いといて、曲の感想。

Aメロのドラムがあまりにも良すぎる。
疾走感を出すためにハイハットで8分を刻みそうなところをフロアタムを選択する豪胆さ。
軽快さとはかけ離れた「重さ」が、歌詞の雨曇りの空模様を想起させる。

楽器隊が揃ってからのリードギターのフレーズを推したい。
ベースがDを鳴らし続ける上で、Dリディアンの特性音(#11th) をさらっと使用した浮遊感あるサウンド。最近『サリアの歌』を鬼リピしているので、リディアンっぽいのが聴こえると耳が条件反射で悦ぶようになってしまった。こういうモード的なアレンジは山田が入れ知恵しているだろうと踏んでいる。

さて、歌詞への言及は極力避けるつもりだったが(もう散々されているので)、この曲の歌詞のある部分についてはどうしても語らざるを得ない。

季節の変わり目の服は
何着りゃいいんだろ
春と秋 どこいっちゃったんだよ

激しく同意する。マジで春と秋どこいったんだ。無駄に長い残暑と、ピーキーな寒波しかない。四季があるとか嘘だろ?

ともかくこの一節に筆者は後藤ひとりの「ブルース」を垣間見る。
こういう生活につきまとう些細でどうでもいい憂鬱を高らかに歌うことがブルースの精神性であり、そのブルースフィーリングを受け継いだ音楽こそが「ロックンロール」なのだ。
なぁ後藤、ブルースをやらないか?
乾いたアコギ片手に3コードで弾き語ってくれ。



06. ラブソングが歌えない


Key = C

曲の尺が3分8秒と最も短く、2サビから一気にラストまで駆け抜ける足早な構成。

この曲も『ギターと孤独と蒼い惑星』同様、Aメロでキック4つとフロアタムで8分を刻む。やはり伊地知のドラムはかなりのパワー型。
シンプルかつアップテンポな曲はこれぐらいガツガツ来てくれると嬉しい。Bメロの畳み掛けるフィルは胸の空くものがある。荒削りなのが却ってライブで映えそうである。



07. あのバンド

Key = F

これを待っていた。
筆者の好みドンピシャなのはこれだ。
邦ロックに抱くイメージは人それぞれあるだろうが筆者の邦ロック像に最も近いのはこれ。

リズム隊がバチバチにキマっているのがもう素晴らしい。
タイトな裏打ちのハイハットとスケールを動き回るベースラインの絡み、これだけで無限にブチあがれる。そしてこの骨太のリズム隊に乗せて鳴らされる後藤のリフがイカしまくっている。
個人的に本アルバムのベストリフだ。これはもう完全にギタリストが気持ちよくなるためだけのリフで、最近はギターを手に取ったらとりあえずこれを弾いて気持ちよくなっている。

以下、個人的な気持ちいいポイント。

『あのバンド』のリフの旨味は裏から入るピンポイントなスケールアウト音階の逸脱にある。
画像の赤く囲った部分がこのリフ最大の気持ちいいポイント。
「笑い声に聞こえる」の部分の後藤のギターに注意してほしい。

採譜は筆者の耳コピにつき精度は保証しかねます


このアウト感!!!
もう脳汁が溢れまくる。こんな気持ちよくなっていいんですか!?山田さん!!!
おそらくコンディミスケールを意識したフレーズで、こいつを鳴らした時の緊迫感たるや。これ以上無茶すると歌い辛いことこの上ないが、そんなギリギリを攻めるが故にギタリストは無限に気持ちよくなれてしまう。

サビの煽り立てるようなユニゾンチョーキングの連打も熱い。
抑揚を抑えたボーカルにこれをぶつけるスリル。仮にも歌モノでこんなにギターを暴れさせていいのか?と心配になるほどだ。
これは邪推なのだが山田はかなりオケ重視の人間というか、ミックスの楽器配置や音量バランスからして「楽器を聴け!」というマインドを感じてニヤニヤしてしまう。



08. カラカラ

Key = E

山田が残響レコードフォロワーであることが完全にバレたナンバー。
イントロ5/4拍子と6/4拍子の組み合わせで一旦煙に巻き、ハーモニクスでハッタリをかまして4/4拍子にシームレスに移行する(アクセントで2/4が混ざる)構成。残響リスナーであった筆者はもちろん気持ちいいので無限に拍手を送っている。
とはいえ、かの残響ロックの中心軸にあった90sのポストロック、マスロック、エモ…(american football 聴いて ) の要素でゴリ押ししているかと言えばそうでもなく、根底にあるのは真っ直ぐなギターロックといった面持ちで、この手の音楽のとっつきにくさを感じさせないように仕上がっている。こういう山田のバランス感覚には舌を巻く他ない。

そしてこの曲もギターリフが気持ちいい。
『あのバンド』にも見られた弦飛びするフレーズ。スライドと16分のカッティングを織り交ぜていてなかなか複雑に思えるが、割と基本的なテクニックの組みわせなので結束バンドの楽曲の中では比較的難易度の低いリードだ(完璧に弾くのはもちろん難しい)。
山田の趣味を詰め込んだ楽曲なのでボーカルは山田。
芯のある喜多のボーカルと比べると繊細なハイトーンボイスが、理路整然と組み上げられるアンサンブルのピースとしてぴたりとハマっている。



09. 小さな海

Key = C

かなりのスルメ曲。
1サビまでのミディアムバラードから、アップテンポへ切り替わるものの、2Aメロに入っても派手な展開は付けず抑制感を維持し続ける。
『ひとりぼっち東京』をさらに深化させた「アップテンポなバラード」と言ったところか。
他の楽曲に比べ派手な掴みもないので、一聴した際の印象の残りづらさは否めない。しかし、Cメロの強拍を付けた節回しや、ラスサビでの Em7- G♯dim7 - Am7 で「強くなってさ」の詞を強調するなど、ボーカルと詞を最優先にした構成であることが繰り返し聴くことで分かってくる。
山田は後藤の詞にかなりインスパイアされているのが随所から伝わるが、この曲の詞にはかなり思い入れがあるのではないだろうか?
本アルバムの楽曲群は全体的にかなり楽器隊の主張が強く、歌モノのアルバムとしてはボーカルをあまり優先しない意向を個人的には感じる(筆者がサウンド偏重な傾向も加味して)。そんな中でこの『小さな海』は少し異質な存在だ。詞への探究心はあまり持ち合わせていないのでこれ以上の詮索はしないが、この曲の味わい深さを一考する余地はそこにあると思う。



10. なにが悪い

A-B:Key = C
サビ:Key = D

伊地知の溌剌としたボーカルが冴えるミディアムバラード。
本アルバム随一のメロディアスナンバーだ。
ギターの弾き語りを想定して、コード進行を細かく作った印象を受ける。ゆったりした曲調でありながらカラッとしたバンドサウンドに仕上げられたのはドラムボーカルという編成のおかげだろうか?

コード進行が筆者の好きな王道バラードなので、少々突っ込んでいきたい。

まずイントロの IVm(この曲においては Fm )。哀愁を出したいならこいつを使えでお馴染み、定番の「サブドミナントマイナー」だ。あらゆるバラードでもう擦り倒されている。
超有名所を例に挙げると Oasisのモンスターヒット『Don’t Look Back In Anger』(Key = C) のラスサビの繰り返しフレーズに差し込まれる Fm がそれ。それまで F - G - C と進行していたところを、そこだけ F - Fm - C に切り替える演出が憎い。

「 Don’t look back in anger … 」の繰り返しで  F - Fm 。

この『なにが悪い』のイントロでは |C |F - Fm/A♭(IVm)|と進行する。
のっけから哀愁マシマシである。ここでは喜多のギターは普通にローコードの Fm を弾き、ベースがA♭を鳴らして Fm/A♭ のサウンドを強制的に作り出している。ちょっと捻り入れたかったんだよな、分かるぞ山田。

続くAメロの決め手は Vm7。
|C - Gm7(Vm7) | F△7- Fm|。
Gm7での歌メロが良い。ここはCミクソリディアンのモーダルインターチェンジ。「止めらんないリズムが」の太字部分でB♭を強調してブルージーな響きに仕上げている。こういうのやるやる!

だんだん山田に馴れ馴れしくなってきたところでBメロ。
ベースとリードギターのオクターブのユニゾンが気持ちいい。完全にバックボーカルとして歌っている。ドラムボーカルを想定してビートはシンプルなので、曲に動きをつけるためのアレンジに苦心したのが伺える。  

サビの転調前の D - B♭- A の展開、なかなかハッタリが効いている。
この時の筆者の頭の中、(Dが来て)おっ転調か?Gに行く…?なんだこいつ(B♭)!?半音落ちた(A)!あ、Dじゃん!!
山田!ポップス作るの上手すぎるだろ!!

サビからはもうど王道のバラードをぶつけてくる。
|D | F♯7(♭13)|Bm7 |Am7 - D7|G |G/A |
F♯7(III7)が良い味出してますよ!山田さん!
この曲はぜひアコースティック編成でも聴いてみたい。ピアノを加えたアレンジもいいかもしれない。

「惨めな夜も…」からの王道進行で、2巡目にパッシングディミニッシュ。押さえるべきツボをしっかり押さえている。軸のブレなさにおいてはピカイチの出来。

ここで一つ本アルバムの不満点を挙げると、こういった楽曲をアルバムの中盤に挟んで欲しかった。アップテンポな楽曲が多いせいなのもあるが、そのどれもが完成度が高く聴き応えがあるゆえに、ゆとりを持たせたリストにしても良かった気がする。アルバムを通して聴く際のバイオリズムには個人差はあれど、筆者としては良い意味で休憩ポイントのような曲を中盤に配置して欲しい。
とはいえ、個々の楽曲は間違いなく素晴らしいのでこういった粗も一つのスパイスとして味わうことも容易ではあるが。



11. 忘れてやらない

Key = E

ギタリストの腕を破壊するための曲。

後藤!!なんだあのサビの超絶リードは!!
ずっと弾きっぱなしじゃないか!!!

技巧面で言えばこの曲がダントツでリードが難しい。というか単純にやることが多い。「たくさん弾きたい!」というギタリストのエゴに山田は大真面目に応えたのだろうか?それにしたってギターが突如として暴れまくっている。
後藤のギターをふんだんに味わいたいなら(聴くのも弾くのも)この曲で決まりだ。

結束バンドの楽曲はギターを前面に押し出したサウンドもあって、国内外問わず多くのギタリストからいわゆる「弾いてみた動画」を投稿されており、筆者もよくチェックしているのだが、この『忘れてやらない』のギターは特に苦戦しているものが多い印象を受ける。
最難関はやはりギターソロで、間髪入れずぶちこまれる2小節にまたがるスウィープに、「F*ck this part」と憤る海外の投稿者には思わず噴き出してしまった。

TAB譜の書き込みでキレる投稿者

速弾きから逃げ続けてきたタチなのでこれにチャレンジするのは少々足踏みしてしまう。腕が死んでしまうよ…。



12. 星座になれたら

Key = A♭

ここに来てファンクなナンバーを叩き込む名采配。
聴くべきはやはりリズム隊の応酬。伊地知の16フィールのプレイが素晴らしい。小気味良いゴーストと適度な打ち分け、そこに絡みつくようにグルーヴする山田のベース。そんな大人びたフィールに乗せた喜多のボーカルに覗くちょっと背伸びした雰囲気が、垢抜けたサウンドに愛嬌を与え鼻につかさせない。

フュージョンライクなコード感やビートから the band apart を連想するリスナーが多く、後藤にモズライトの購入を望む声が各所で上がったらしい。個人的にBメロのリードはSuchmosの『FUNNY GOLD 』のリフを参照したように感じた。




13. フラッシュバッカー

Key = E

本作屈指の大名曲。個人的ベストナンバー。
スッキリとした音像が求められがちなシーンにおいて、この歪み、このリバーブ感をぶつけてくるとは恐れ入った。
基本ギターは2本で完結した楽曲が多かった中で、この曲はイントロからギターをがっつり3本重ねているのが印象的(3本目のトップノートが遠くから響く鐘の音のようだ)。ドラムもルーム感マシマシの音作りで、薄い音の膜が耳を覆うようなサウンド構築(倍音成分が強いので耳コピが大変だった)。

Aメロのコード感が好みドンピシャ。

|A△7 | B/A | G♯m7 - G♯7/C | C♯m9 - C♯m7 - Bm7 - Bm7/E |で基本この繰り返し。

B/A (V/IV) のリディアンのフィールがめちゃくちゃ良い。キリンジの『エイリアンズ』のサビの浮遊感にも通ずる。サビではB/Aの部分がA6/B(IV/V) に切り替わるのも面白い。この V/IVIV/Vの使い分けが詞の世界観と合致して実に秀逸なのだ。
辿ってきた情景をリフレインして、美しい瞬間を切り取って残したいと願うA - Bメロ。逡巡を断ち切るようにノンダイアトニックコードが挟まり、サビで詞の人物が見たのはゆっくりと立ち昇る朝の光。ここでA6/Bのドミナントを抑制したサウンドが、太陽が完全に昇りきっていない夜明けを想起させる。
このサビの情感には小林武史作編曲の傑作『Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜』を思い起こしたのだが、小林武史もまたV/VIとIV/Vを巧みに使いこなすコンポーザーだ。山田はひょっとしてこれを参考にしたのだろうか?

2Aから後藤の咽び泣くファズサウンド。めちゃくちゃ偉いぞ。
1コーラス目はリードも控えめでコード感重視だったのに対して、2コーラス目から一気に楽器隊のセッション感が強まる展開には思わず目頭が熱くなってしまう。やっぱりバンドって良いね。

喜多のボーカルワークも素晴らしい。
サビメロのブルーノートのしゃくりをあけっぴろげに誇張せず、流れるように歌い上げる。
「眩しいからさ」
「そだけで」
「離れない 離れい」
の太字部分。ここの対処には唸らされる。上手いボーカルを聴いている際に、たまに出くわすドヤ顔が覗く瞬間がないのは非常に有難い(曲構成のドヤ顔は歓迎するが、ボーカルのドヤ顔が許容できない)。

泣きのギターソロとコーラス、落ちサビ後に楽器隊が揃い A♯m7(♭5) からの下降ベースクリシェ、いやー憎いぜ山田。そしてアウトロで同主調からの借用和音C - Dの推進力を経てからトニック (E) へと解決し完全に夜が明ける。この構成力、凄まじすぎる。



14. 転がる岩、君に朝が降る

Key = D (原曲 Key = B)

本作のボーナストラックに位置する、後藤のボーカルによるカバーソング。オリジナルは00年代邦ロックの代名詞的存在、ASIAN KUNG-FU GENERATION

散々プレイングやら曲の構成やらに言及してきたが、この曲に関しては後藤のボーカルを取り上げざるを得ない。

これは声を大にして言いたい。
このどうにか歌の形を保とうとして、技巧を凝らすだとか感情を込めるだとかに一切手が回らず、いっぱいっぱいになりながら歌い切ろうとするボーカルにしか出せない味があるのだ。

後藤のボーカルはお世辞にも抜きん出て上手いとは言えない。ところどころピッチはヨレて、ブレスが甘く声量も十分ではない。だがそれ故に一つ一つの音にあまりに真摯で、その余裕のなさが結果的に小細工を弄する余地をなくし、ただ純粋に音を届けるボーカルを成立させている。久々に「良い歌」を聴いたなと切に思う。

必死なボーカルに反してギターは自信たっぷりにサウンドしているのが微笑ましい。下手にアレンジをいじらず原曲のテイストをそのままに残した山田にも拍手を送りたい。


終わりに


本作は一貫してバンドサウンド、ギターロックにこだわってはいるものの、コンセプトに対して変に意固地にならず、間口の広さを備え、遊び心にも満ちていたように思う。
なによりかつての邦ロックのエッセンスが、『結束バンド』の音楽性に強度を持って機能していることに気づかせてくれたことに感謝したい。邦ロックとは長らく距離を置いていたが、この機会にかつて聴いていたバンドを聴き返したり、聴きそびれたバンドを探ってみようと思えたのは収穫だった。
結束バンドの次回作にも大いに期待したい。


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