歴史に沿った"音楽"の語源について


つい数分前までは、「音を楽しむ」から音楽なのだと当然のように思っていましたが、
今現在コロッと心境が変わって少しショックだったので、ただの個人的な見解にはなりますが、音楽の語源を歴史に沿わせて話したいと思います。

最後に、皆様の気を落としすぎないように、ポジティブな意見が書かれた記事も見つけたのでそちらのURLも添付させて頂きます。



※以下は私の個人的な見解である。

まずは私の音楽経歴を少し掻い摘んで説明してから話していきたい。

3~16歳まで、近所のピアノ教室を転々
その間、未就学児時にエレクトーンによる小規模の合奏を、小学校前に絶対音感を得て気に入ったJPOPをコピーし倒し、小学生時にリコーダーやアコーディオン・木琴鉄琴・ドラム等を使う合奏部入部、高学年時からはエレクトーンからクラシックピアノへ、中学生時に吹奏楽部入部、高校生~大学生時以降はピアノから離れて邦ロックという軽音楽のドブ沼にのめり込んだ。

現在は邦ロックを中心にDJ、HIPHOP、Beatbox、ジャズ、DTMなど諸々の電子音楽にずぶずぶとハマり続けてしまっている。



さて、では本題の音楽の語源について。

根本の起源を辿りたかった。

ロックの始まりはアメリカだったはずだが、アメリカという国も最近できた国なので起源にはならない。

ロック以前となるとクラシックか。所謂オーケストラ。オーケストラの発祥はヨーロッパであろう。国際音楽交流会によれば、古代ギリシアの円形劇場の演者とダンサーの間の空間をオーケストラと呼んでいたという。

時代が経つとモーツァルトやショパンらの音楽家が出現する。彼らの音楽は一般大衆よりか貴族に向けた音楽が多かったはずだ。貴族らを楽しませる為の音楽。楽しませるための音。

ではクラシックが起源か?
これも恐らく違うと考えた。

そもそも、彼らの時代から人類史は始まっていない。もっと根本的な音楽はそこではない。




日本史を人類史と考えるのは違うのだけれど、分かりやすくするために、日本史で人類史を辿ることにする。

ホモサピエンス等猿人が、二足歩行の現在と変わらぬ人になった頃。当時のニンゲンの食事は、木の実や獣を石でできた武器で倒し食らう自給自足の生活だった。


更に時代が進み、渡来人という名の逃亡者が来日して、人間の食生活に農作物が追加され徐々に潤い始めた。それでもやはり彼らは自給自足に変わりないし、自然の気まぐれな天候に生死を左右される。日照りが続けば雨乞いをし、とんでもない嵐が来れば鎮まるように祈る。

そしていつしかこの祈りは、自然のそれぞれに宿る霊や神に捧げられた。日本の神信仰の始まりである。

当時の人間は、長き日照りや諸々の自然災害は霊や神の怒りであると本気で捉えていた。だから、人間であれば喜ばれることを、同等ではない生物に同等以上の行いをした。

ある特定の日に、いけにえやお供え物を捧げ、うたを歌って踊って神霊を喜び楽しませるために、ヒトも楽しませた(その振りをした)。

祭りの起源である。

現代の祭りはやたら多くの屋台で、今を生きる人間のための一種イベント騒ぎになっているが、
本来は神霊を喜ばせるための儀式であった。

故に、これが恐らく音楽の起源であると考えた。



音を楽しむから「音楽」なのではない。
音で楽しませるから「音楽」なのだ。

気付いた時に落胆してしまった。


時代が進むにつれて、楽しませる相手が変更しただけ。

神霊から人へ。
貴族から一般民衆へ。

自発的な始まり方ではなかった。
それで私が音楽を辞めることにはならないのだけれど、少し悲しいと感じてしまった。ただそれだけのお話でした。

ご閲覧頂きありがとうございました。



では、冒頭でお伝えしたように、根暗な私とは違い非常にポジティブに考えられた記事もあったので紹介しておきます。
soundzone | 「音楽」の語源とは?ルーツを知ると、音楽がますます好きになる。

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